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宿災備忘録 四季 対岸の君と逡巡の季節 夏・弐1

「私も、ついて行っていい?」
「駄目だと言っても、ついてくるんだろう?」
「ええ」

 学校が夏休みに入ると、維知香は毎日のように深遠のもとを訪れるようになった。戻った当日、床屋の前で抱いた違和感の正体がわかった気がして、深遠は戸惑いを覚えていた。

 嬉しいのだ。維知香が自分のもとにやってくるのを、嬉しく思っている。しかし、その感情を素直に受け入れて良いものなのか、深遠は判断に迷っている。

 あくまで自分は、守護。正一には、必要とあればずっと維知香のそばにいると誓ったが、それは正一が望むものとは意味合いが違う。

 深遠は、ほんの僅か、進む足を速めた。維知香を引き離すつもりでしたことではなかったが、維知香は敏感に深遠の変化を察し、待って、とでもいうように、作務衣の裾を握る。

「まさか、私を置いて行こうなんて、思ってないわよね?」
「思っていない。だが、君の欲望を満たそうとも思っていない」
「欲望なんて大げさね……別に、無理にとは思っていないけど……近くに行ってみてもいいじゃない」

 ふてくされたような語調で言葉を切り、維知香は作務衣の裾を離した。

 維知香は宿災としての任を覚えるよりも早く、脱厄術師の任に興味を示していた。結界の向こう側にある世界に行ってみたい、と幼い頃から口にしていた。維知香がそれなりの判断力を持った時に、そこを見せようと約束した。維知香は、自分は既にその時に達していると考え、待つことに飽きている。

 深遠は、まだその時ではないと考えている。何故かと問われれば、まだ危険な気がする、といった、非常に曖昧な回答となる。しかし至極核心に近い、直感のようなもの。無視はできない。

(あちら側を見たいというのは、彼女の欲望なのか、災厄の欲望であるのか……後者だとしたら、それは何を意味する?)

 誰に問えば良いのか、わからない謎。考えすぎると、心が迷宮に取り込まれる。深遠は意識して木立の香りを体に吸い込み、これから向かう場所に気持ちを向けた。

 今日は、鷹丸家の裏山にある【罠】を確認しに行く。空間に張った蜘蛛の巣のような結界は、歪みを目指して寄ってきた零念を巧みに捕らえる。維知香が定期的に祓いを行っているため、著しく集結している気配は感じられない。

「この前祓った時にね、今まで見たことのないカタチの零念がいたの」
「どのような?」
「甲虫に、蝶の羽を生やしたようなカタチ。どんな穢れが零れて、あんなカタチになったのかしらって、随分考えたわ」
「どんな穢れか、想像はついたのか?」
「わからないけど、その穢れを持っていた人は、頑固で、でも繊細で、見る人によって印象が変わるような人なんじゃないかなって……もしかしたら、とても生きるのが大変なのかもしれないなって」
「……そうか」
「考えたって仕方がないことなんだけどね。私は、祓うのが任だから」
「そうだな」

 維知香は【祓い】や【あちら側】に対して、全く恐怖を抱いていない。自らの運命をすんなりと受け入れ、前向きに生きているとするのなら、それは喜ばしいことなのだろう。しかし深遠は、どこか不安を覚えていた。

 恐怖を抱かないあまり、危険が忍び寄っていても気づけないのではないか。それはいつか、維知香の身に取り返しのつかない事態を招いてしまうのではないだろうか。


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