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発達障害と熱中症について。

近年、温暖化の進みは深刻で特に夏の間は最高気温40℃超えも珍しくなくなりました。「熱中症に気をつけてください」というアナウンスはテレビやネットなど至る所で聞かれます。
その熱中症につい先日私もなってしまいました。原因はこの週末に37℃を超える外気温の中を計30分近く歩き回ったことにあります。

その日どうしても外せない用事があったということもあるのですが、連日冷房の効いた室内で過ごしていると季節感を失いますし、たまには外に出て今年の夏の暑さを存分に体感しないと1年が何もないまま終わってしまうという思いもありました。
「私は人一倍暑さに強い」という自負心もあったと思います。

次の日、毎朝の体温チェック(新型コロナ感染症対策のために職場から義務付けられているもの)をすると37.3℃という、いつもより少し高い数字が出ました。
その時は「まあこれぐらいは誤差だろう」と楽観視していたのですが、その2時間後にふと再度体温を測ってみると「37.7℃」に跳ね上がりました。
「37.5℃以上」というのが感染症法でいう「発熱」なのだそうです。ちなみに38℃以上は「高熱」とのことで、このままほっといていると私も「高熱」ゾーンに突入する可能性があるわけです。
正直、この数字を見た直後はパニックになりました。前日は(決してやましい場所に行ったわけではありませんが)通勤以外の外出をしてしまったわけです。「どこかでコロナに感染してしまったのかもしれない」というのがパニックの理由です。
幸い、初期症状といわれる匂いや味がしないとか風邪のような症状もなくただ熱だけだったことと、前日の炎天下に水もろくろく飲まずに歩いてしまったことから「これはコロナでなく熱中症の脱水症状だ」とすぐに気づくことができました。

数日後のワクチン2回目接種のために常備していた経口補水液OS-1を開けて口にしてみるととても飲みやすく感じました。このOS-1は水分が充分に足りている時はしょっぱくて不味く感じる(試しに冬場に口にしたことがありますが不味くてゴクゴクと飲む気になれませんでした)ので、おいしく飲めるということはやはり脱水症状を起こしていたようです。
しかもそのOS-1を2本、その他に天然水をやはり同じぐらい飲んでも一向にトイレに行こうという気にならないのです。どれだけ脱水状態が深刻だったのでしょうか。

幸いその日は休みでしたから水分補給をしてアイスノンを首に当てて冷房のきいた室内で休養することで脱水症状は改善されましたが、その後も平熱(36.4℃前後)より少し高い微熱状態(37℃~37.2℃)が続いたものです。

発達障害者は人一倍熱中症のリスクが高い

そこで思い出したのは「私は元々熱中症のリスクが高かったのだ」ということでした。
熱中症のリスクが特に高いのは子供と高齢者と言われていますが、発達障害の当事者の場合は成人の場合でも子供や高齢者と同じように人一倍熱中症のリスクが高いと考えられます。

その主な理由として
①体温調節機能が充分に発達せず、熱を体内に溜め込んでしまう
②感覚の鈍麻から自分が暑いのか(寒いのか)ががわからない
③逆に感覚過敏から「冷房は嫌い」と避けてしまう
④リスクを客観視できず「自分は大丈夫」と思ってしまう

というのが挙げられると思います。
①②は割と発達障害の専門サイトや専門番組で取り上げられることが多い特性ですが、③④はあまり取り上げられることがない印象です。私自身の場合に照らし合わせて考察してみたいと思います。

①体温調節機能の未熟さ

私は元々あまり汗をかかない子供でしたが、高校生大学生になっても、その後社会人になっても他の人ほど汗をかくことはありませんでした。
同級生たちからも「他の人はみんな本当に暑そうなのにLuちゃんだけ口では「暑い暑い」と言うけど汗一つかかないし涼しそう」と不思議がられたものです。
汗をかかないと熱が体外に放出されず、体内に溜め込んでしまいます。私の場合も外気温によって体温が大きく影響され夏の間は37℃超えが普通でした。

また、子供の頃に親戚の車で海に移動した時に、私がしょっちゅう車の窓を開けたり閉めたりしていたのを隣に座っていた伯母が不思議そうな顔で「Luちゃんはやたら頻繁に窓を開けたり閉めたりするんだね」と言ったのを覚えています。
自分の身体で体温調節が自動的にできないので「寒い」と感じたときに窓を閉め「暑い」と感じたときに開けていただけなのですが、伯母は「子供だから車の窓の開け閉めが面白いのかもしれない」ぐらいに思っていたのではないかと思います。

②暑い(寒い)がわからない

発達障害者、特にASD(自閉症スペクトラム)の場合は熱中症リスクの原因を「ASD特有の感覚鈍麻から暑いことに気づけない」と説明されることが多いですが、当事者側からするとこれは「鈍麻」というよりは「多数派と感じ方が異なる」だけではないかと感じることがあります。

小学校の卒業式のアルバムを見ると、夏に撮影したので同級生たちはみな半袖でカメラに笑顔を向けている中、一人長袖のブラウスを着て無表情でよそ見をしている私の写真があります。
私は他の人より体感温度が2~3℃低いようでした。体温調節機能が年相応に発達していなかったので、自分で熱を作り出すことができなかったのだと思います。7月ぐらいまで一人だけ長袖を着て同級生からは「変な奴」と奇異の目で見られることもありました。

③冷房の涼しさを「冷たすぎる」と感じてしまう

②に関連しますが、私はどちらかというと「暑さ」より「寒さ」が苦手な人間です。特にエアコンの冷房の涼しさについてはいまだに「人工的で冷たい。体調が悪くなりそう」という印象を持っています。
実家時代も私の部屋だけエアコンを入れませんでした。「扇風機のほうが自然でよい」と夏の間は部屋に扇風機を持ち込んで暑さをしのいでいました。
できるだけ自然に近い温度環境で、自力で体温調節機能を鍛えたいという意図もありました。
30年前ぐらいの夏の平均気温ならそれもありだったかもしれませんが、当時より5℃近く気温が上がっている現在の状況では何が何でも扇風機と水分補給でしのぐというのはリスクの高い方法であると理解しています。
理解はしているけれど、「それでも...」「やっぱり...」と長年自分が慣れてきた方法をなかなか変えられないのは「こだわり」であるかもしれません。

④リスクの客観視が難しい

これは熱中症に限ったことではないのですが、私の場合は過去の経験から得られた知見にこだわるあまり、リスクを客観的に評価したり全体的に把握するということをおろそかにしてしまうことがよくあります。
例えばエアコンの冷房一つとっても
「自力で体温調節ができなくなる」
「冷え性になる」
「電気代がもったいない」
などとひたすらネガティブな理由を探し出してしまう癖があります。
また「私は寒さには弱いけど、暑さには強い」という根拠のない自信も、ますます自身の「エアコン不要論」に拍車をかけていたように思います。
しかし、エアコンをつけずに熱中症になってしまった場合、上記の懸念は
「自力で体温調節ができなくなる」⇒「熱中症で体温調節機能が狂う
「冷え性になる」⇒「熱中症で命を落とすことがある
「電気代がもったいない」⇒「電気代より医療費のほうが高額
と全て「エアコンをつけることのリスク」を大きく上回るわけです。
多くの人はこの辺のリスクを常識と想像力で事前に回避するのだと思いますが、「実際に痛い目に合わないとわからない」「失敗して初めて理解する」タイプの私は、今回痛い目を見ることでやっとエアコンの冷房をつけることを受け容れられたのだと思います。

自身の感覚を過信せずデータに頼る

今回の私が得た教訓は「自身の感覚を過信しない」ということでした。37℃の炎天下を「私は暑さには強いタイプ」「たまには暑さに慣れないと」という思い込みで歩いてしまった結果、脱水症状で熱を出してしまったのは迂闊なことでした。
今後も、本当は熱を出しているかもしれないのに自分では「いつもこんなものだよ」と無視したり、本当は脱水状態かもしれないのに「別に喉乾いてないし」と水分補給を疎かにする可能性があります。

想像力で行動することの難しい私にとって、行動の根拠となるのはやはり「データ」「数字」です。例えば、
・温度湿度計をこまめにチェックする。
・毎日体温を測る(新型コロナが収まった後も続けたい習慣です)。

この他、「OS-1を一口含み味を確認する」も脱水症状をチェックするにはよい方法だと思います。

発達障害の特性は人それぞれなので、必ずしも私の考え方や方法が全ての当事者の方に当てはまるとは限らないのですが、あくまで一例としてとらえてもらえるとありがたいです。これからもまだまだ猛暑が続きます。みなさまにおかれましても熱中症にはくれぐれもお気をつけください。


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