見出し画像

異国趣味とフェティッシュ

私は“異国趣味“というものにフェティッシュを感じます。
“異国趣味“というとあまり普段使いの言葉ではないので、ぴんとこないという方がいらっしゃるかもしれません。
“エキゾチックなもの“と言い変えればもう少し一般的でしょうか。

私たち日本人が“エキゾチック“と聞けば、通常まずはインドとかインドネシアとかトルコとかいったようなもの、漠然と何やらアラビアっぽいものを思い浮かべるように思います。
でも、“異国趣味“とは本来、“遠く離れた異国のものに憧れる心“のことを指すので、それを思い浮かべる人がどこに生まれ育った(または生活している)かによって、思い浮かべる内容が変わってくるはずなのです。
現に私たち日本人には、日本の着物を見てわざわざ「エキゾチックだなあ」とは思わないのではないでしょうか。
けれども西洋の人たちから見れば、エキゾチックに映ることはあるでしょう。

私がとてもフェティッシュだと感じるのは、日本人である私から見てエキゾチックだと感じるようなもの、例えばインドやトルコものといったような限定された事物のことではなく、「異国に憧れる心」そのもの、そしてその「異国に憧れる心」が生み出した美しい幻影についてなのです。

歴史上、そういった美しい幻影は様々な形で、作品として、習慣として、残されてきました。
私はそれらを蒐集するのが大好きなのです。

この異国的なものに憧れる心、エキゾティズムは歴史上、どの時代にも、どの文化の中にも、同じように現れてきました。
例えば古代ローマはエジプトに魅了されていました。
18世紀の中国では西洋にそれを感じ、西洋でも中国やトルコ、のちに日本にも魅力を感じるようになります。
(ちなみに西洋では植民地政策がエキゾティズムに大きな影響を与えました)

ジョン・ナッシュの「ロイヤル・パヴィリオンの眺め」(1826)より
ブライトンのロイヤル・パヴィリオンの宴会場
天井から下げられた蓮の花を思わせるシャンデリアや、
壁に描かれた龍や中国服が描かれており、
イギリスでの中国趣味の様子が見て取れる。

自分とはかけ離れた存在である異国に憧れの心を持つ時、その異国と自分とは思考回路の根本からあまりにも全てが違うために、本当の意味で理解できていないことが沢山あります。
けれどもこの異国趣味は、そこにあえて美しい誤解をふんだんに取り入れて、本来の姿とは違う、ユートピア化されて理想化された像を新たに作り出すのです。
私たちも、外国で日本のものが「素晴らしい」と称えられている時、それが本来の姿とは違うものに変形されていることを感じとり、違和感を覚えることがあるのではないでしょうか。

このように異国趣味では、そういった美しい誤解が積み重なって、本来のものとは違う新たなものが誕生することよくあります。
この誤解は、時には差別に繋がることもあるので注意が必要です。
けれども、本来のものとはすでに違ってしまっているこの美しい幻影を見た時、その美しさや、なぜこのような変形が生まれたのかの理由を知りたくなったりなど、とにかく私は目を奪われてしまうことがよくあるのです。

そしてこの幻影は「憧れの心」という強い執念によって作られているために、強固な世界観を作ろうとする力に溢れていて、それゆえに痺れるような濃い濃度で、今まで見たこともないような美しい魅惑的な世界を体験させてくれるのです。
(これは私がフェティッシュだと感じる基準の②人工的であること、③強固な世界観があることにあたります)

このNoteでは、これからそういったものも沢山陳列していこうと思っていますが、例えばすでにこのNoteで登場している美しい異国趣味といえば、「スペインに対する幻想」があります。
このユートピア化されたスペインについて書いたのが、“ロマンティック・スペインと水玉の幻想“とサブタイトルのついたこちらの本↓となっています。
もしご興味のある方は、試し読みもできますので、覗いて見てください。

↓試し読みはこちらから

転載禁止 ©Nanako Mashiro
引用する場合はリンクを貼り、このページに飛ぶようにしてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?