わたしの存在価値
恋をしている時。あの人に近づきたい、好きになってもらいたい、どうしたら気に入ってもらえるかな、気づけばそんなことばかり考えて一日が過ぎていく。
そんなある日ふと聞こえてしまった、あの人が語っていた理想の女の子像はあまりにも自分とかけ離れていた。
瞬間、自分の価値が絶対的に捉えられなくなってしまって、好きな人の価値観の上でしか存在できないような気持ちになる。その人にとってどうでもいいような自分ならば、生きている意味がないのだ。
仕事をしている時。上司に認められたい、どうしたら期待に答えられるかな、わたしの仕事量は給料に見合ってるかな、隙あらばそんなことを考えてしまう。
そんなある日、自分のミスで周りに迷惑をかけてしまうような大きなミスをしてしまった。
瞬間、自分の価値が絶対的に捉えられなくなってしまって、上司の価値観の上でしか存在できないような気持ちになる。会社にとって役に立たないような自分ならば、生きている意味がないのだ。
こんな風にわたしはわたしの存在価値を簡単に見失ってしまう。
わたしの存在価値は、関わる他者の価値観でしか推し量れないのだろうかと悲しい気持ちになる。
様々な要素が合わさって唯一無二の「わたし」を形成していると心ではわかっている。だから、ひとつの要素が特定の他者に嫌われても、その評価がわたしの存在価値を決めるわけではない。けれど、そのひとつが気にかかって眠れないくらい悩む日もある。
そんなに悩むくらいなら、人との関わりの中以外にある、ゆらぎない自分の存在意義をみつけたい。そしたら、少しの風では揺らぐことのない強い芯を持つことができるような気がする。
だからこそ、少しずつ綴ってみようと思う。わたしの想い、考え、ことばを。
気が向いたら読んでみてください。
わたしがわたしを探す旅。
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