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ディア・ライフ

アリス・マンローの短篇は、一篇一篇が濃密だと感じる。
短いのに、ぬるぬると心に入ってきて、ふとした瞬間に意識に再び浮上する。

せっかちな私の性格から短篇集が好きで、ノーベル文学賞を受賞したアリス・マンローや、またはレイモンド・カーヴァーのような余韻の残る文章が書ける人を尊敬している。

特に、マンローは、作品集を編む際に、作品の選択だけではなく順序も必ず自分で決めていると知った。
音楽でアルバムを作成するような「流れ」が考えられていたのだった。



この短編集の最後はフィナーレと題され、作者の「記憶」の物語である。
「目」「夜」「声」「ディア・ライフ」の四篇は、作者が育った街のはずれの生家が舞台である。

子供の頃に夜に眠れずにベッドから出て歩かないではいられない話が出てくる。
妹の首を絞めてしまうのではないかと、不安を打ち明けると、父は静かに言う。
「人間ってのはときどきそんなことを考えるものなんだ」

母との関係性に不条理のようなものを感じていたことが読み取れる最後の四篇の最後には、葬儀にも帰省しなかった、できなかったことに触れている。
そして、締めくくりには、こう書かれている。

何かについて、とても許せることではないとか、けっして自分を許せないとか、わたしたちは言う。でもわたしたちは許すのだ・・・・・いつだって許すのだ。

深い言葉だと思う。

アリス・マンロー自身は、パーキンソン病に苦しむ母の代わりに十二歳の時から家事を担い、若くして結婚。
二十二歳で母になり、四人の子を産み育てる(一人は生後すぐに亡くしている)。
子供たちを昼寝させているあいだにタイプライターに向かい、掃除洗濯をしながら物語の構想を練ったのだという。

解説には、こう書かれている。

わたしたちはたくさんの悔いを背負いながら、取り返しのつかない過去を自分に語り直し、語り直しして生きている。この一篇に、そしてこの一冊に冠された「ディア・ライフ」(ディアは愛しい、大切な、ライフは人生、生活、命という意味で、文中では、必死(フォア・ディア・ライフ)でという熟語の形で使われている。さまざまな意味合いを持つ言葉なのであえてこのままとした)という表題が、しみじみ腑に落ちる。

平凡な日常を送る人々の人生の陰影、悔いや、混乱や、挫折や、隠れた残酷さ、愚かしさ・・そういった人間らしさが短篇の中に濃密に入れ込まれている気がする。
現実でも、小説の中でも、些細な出来事が人間の運命を変えていく。
読んだ後、深いところに余韻が残る。

裏表紙の松家仁之さんの文章が見事である。
接続詞のきわめて少ない小説、とは。

接続詞のきわめて少ない小説をアリス・マンローは書く。ひとの心は「そして」あるいは「しかし」と一拍おくまもなく、動き、変わる、と知っているからだ。人生とはそのようなものであり、生きることの真実は、ためらいなく正確に、すばやく大胆につかみとらなければ、手もとからするりと逃げてしまう。
マンローは実人生の痛みと歓びをとおして、それを学んだ。嘘のない感情と冷静な観察。長い時間をかけて育てられた記憶。ばらばらの断片を慎重に集め、畏れつつも果敢に点火し、燃えあがるもの。それがアリス・マンローの短篇小説である。



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