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きものの口

きものの口の話。
これは、幸田文さんの『しつけ帖』の中の、「包む括る結ぶ」の中の一文にあります。

父のしつけは、娘に贈る「一生もの」という帯のついたこの本。
小気味の良い文章で綴られていく、幸田露伴の教えの数々のうちのひとつに、このお話があります。

さて、私がきかされた、着物についての教えですが、これは救いの教えといえるか、どうでしょう。
口というものをどう思うか、といいます。

口の話が続いた後で、

 その話がずうっときて、きものの口です。袖口はなんだ、といいます。手を出すところで、手が出なければ不自由だし、恰好もつかない。だからあいているにきまっています。それだけか、といいます。ほかになにがあるでしょう。 
 きれいじゃないか、手も袖もきれいで、風情も色気もこぼれるところだ、といわれておどろきました。着物、着物というくせに、なぜこの要点を見ないのだ、といいます。着物の袖と襦袢の袖が二重にかさなったいろどりの美しさ、そのいろどりの美しさを、袖口六寸という寸法で区切ったあざやかな演出、この寸法、減っても増えても間が抜ける、考えきった計算だろうに、どうしてそううっかりだ。
 女の手首のほそさ、手の甲のなめらかさ、友禅の染色。形と色。からだと布ーこれだけのものが自分の手許にあるというのに、そうかねえ、身惚れないかねえ。そう粗暴なこころがらじゃ、風情もいろけも、話したって所詮、無駄だー急に目が開いたように思いました。

そして、身八つ口とふり八つ口の話に続きます。

着物のおんなの人の姿を想像して、袖口のいろどりが目に浮かぶようで、この部分を覚えていました。
着物の色合わせの美しさを思います。
半襟を換えたり、帯締めを合わせたり。
袖口と襦袢の袖が二重にかさなったいろどりの美しさ・・・。
鮮やかな演出。

ここの部分だけでも、幾通りもの色合わせが想像できました。

手首も、うなじも、着物姿であるからこその美しい風情でしょう。
のぞくが故に強調される、細さ、なめらかさ・・・。
それが自分の手許にあるという。
見惚れる、という言葉の魅力。
この頁が好きなのです。

ぱっと見映えのするいい着物、に対して、煤ぼったい(すすぼったい)という言葉が顔を出す、文章。
テンポが良くて、するすると引き込まれ、途中でやめることができません。

明治三十七年生まれ。
再読して改めて時代背景を思いました。




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