指輪の刻印
時たま、この指輪をつける。
キラキラと輝くのであるが、何の石だか全くわからない。
古いピンクのケースを開けると、濱田宝飾店という金の文字が蓋部分の内側にあるのだが、それが何処であるかもわからない。
私がアンテークショップで購入した安い翡翠のような大きな楕円の指輪をして、祖母と浅草で食事をしていた時のことだ。
「それ、いいね。私のと交換しない?」
と祖母が言った。
浅草生まれの祖母は、柳川鍋をつついていたが、私はどじょうが苦手であった。
私がしていたのは、誰かが着物に合わせてしていた翡翠の大振りの指輪が素敵で真似てみたものだったが、安価で何か価値のない石であったろう。
しかし、陽にあたれば光って綺麗ではあった。
おそらくは、祖母がお気に入りのモスグリーンに柄のあるツーピースに似合うと思った。
いつも、帽子も服に合わせてしつらえていたから、いい具合に薄い緑のグラデーションにまとまるのだが、指先に大振りの翡翠まがいの指輪をすると、なるほど全体がしまるような気がした。
靴は何色だったろう。
銀座ヨシノヤの靴だけは、絶対に靴ズレにならないと信じ込んでいた祖母は、柔らかい革のサンダルやヒールの低いパンプスを履いていた。
濃いめのベージュでツートーンのサンダルであったろうか・・・。
覚えていない。
おばあさんの年齢だから、本物も探せないことはなかっただろうけれど、発見した時に「好き」と思うものを身につけるのが祖母の流儀であった。
そして、この指輪が私の手元に来たわけだが、18金に刻印された日付が、結婚記念日でもなければ、家族の誰かの誕生日などの記念日でもないようなのだ。
もしかしたら、昔、祖母が好きだった人に貰ったものかも知れない。
色々なことに、執着しないところは、江戸っ子の祖母の粋なところだと思う。
3代江戸育ちでなければ江戸っ子とは言わないらしいが、本当に江戸弁を話す江戸っ子であった。
思い出がある古い指輪であることは、ケースの経年劣化具合からも想像できた。
しかし、いい具合にプラスチックが朽ちてきて、中の白い布が茶色になっている。
何の石だかわからないけれど、大事につけてきた。
件の翡翠まがいの指輪は、祖母の棺に入れた。
代わりに、これは私が大事にするね、と言って。
これをして出かけると、誰もが「良く光るね、その指輪。」
と言う。
しかし、何の石か聞かれてもわからない。
調べてみたこともない。
もし、お分かりになる方がいらしたら、お聞きしたいけれど・・・。
私の中では、もはや指輪ではあるが宝飾品ではなくて、祖母そのものというのが正しいのか、形見というのか・・・。
サイズがぴったりなのが不思議だが、私に似合うようになっていたとしか思えない不思議を感じる。
書くこと、描くことを続けていきたいと思います。