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苺パフェの季節

苺パフェの季節だな、と思う。
今は控えておこうと思いつつ、「白洲正子ときもの」展の帰りに娘と食べて帰った、以前のことを思い出していた。

その年の1月14日は、雪がちらつく寒い日だった。
いつだったかを確かめるのに、日記や手帳ではなく、Facebookで遡る自分の行動に、これでいいのかしら・・・と思う。

今の時代、普通のことである気がするけれど、
どうも、丁寧さに欠けた生活をしているような気がしてしまう。

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丁寧な仕事。
「白洲正子ときもの」展では、装束風のきものなど、丁寧に手掛けられたものの美しさを見た。

白洲正子さんの「たしなみについて」という本について、noteをはじめたての頃に書いた。
その中に出てくる、呉服屋さんの言葉は、日常の中で思い出す。

『ごはんをよそう時、「ほんの少し」と言われても、いったいその人の言う少しとは、どの位の量をしめすのか。
その「少し」をはっきりどれだけ、と知るのが私達の商売でございます。』


「少し」という感覚的なことを知る経験値、もしくはセンスについて、
それを、言葉で表現するのに、ごはんをよそう時のことを例えにする。
そのわかりやすさに感激したのだった。

確かに、デザインなどの細い作業に慣れると、大体の寸法は経験で見当がつく。
綺麗に見える構図や、物の位置は、黄金比に当てはめなくても感覚でわかる。
線の幅や角度で、全く違う印象になってしまうこともよくわかる。

そこに丁寧さが見え隠れすると思っている。
粋にみえるか、野暮ったくなるのか。
しかし、それを言葉にするのは難しいと思っていた。




そして・・・。
苺をひとまわりさせるための大きさと角度。
この丁寧さと、美しさも味わって帰ったのだった。

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もちろん、美味しさも。
苺パフェは、寒い日でも食べたい。
その日、お店のバッグホルダーをお借りしたのだが、さりげなく銀色に光っていて感じが良かったのを思い出した。
技のある、控えめな仕事人みたいだった。

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