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生きること。学んだこと。

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生きている中で学んだことについての投稿をおまとめ。
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目の前に現れるひとはじぶんの鏡💫

日々過ごしているといろんな人に出会う。 ひと、ひとりに会うだけでもそのひとにまつわる情報量ってとてつもない。 顔、雰囲気、体型、話し方、今までの経験、何が好きで何が嫌いなのか、誰と交流があって誰と住んでいるのか、どんな家族構成なのか、、、 たっくさんの要素の中でじぶんの”メガネ”を通してそのひとの情報を受け取っている。 たった"ひとり"をとってもそのひとの側面、持っている要素は無限にある。要素と要素の掛け合わせでどんな印象を抱くかも無限のパターンがある。どのような情報

受け入れてプラスに変える

ただ目の前に起きた物事や抱いた感情すべてが"ある"ということを認識して 勝手なジャッジで優劣、善悪を付けずに、まずはその状況や、その時に沸いた感情を受け入れて それから自分はどうしたいのか? なぜそのように感じたのか? どうして今のタイミングなのか? なぜそうなっているのか? どういう氣づきや学びがあったのか? など一つ一つ一歩俯瞰して冷静に捉えてみる。 そうすることができればいくらでもその中から氣づきや学びを得ることができる。 心の成長は自ら創り出すことができる。

じぶんよがりな愛ではないか?

NPOや海外へボランティアに行く機会があった。 思い返すと勝手に決めつけてしまっていた自分がいたことに氣がついた。 例えば異国の地の紛争や貧困問題も、わかりやすい言葉を使うと"発展途上国"や"先進国"という自分が生み出したフィルターを通して、勝手に自分たちは豊かであり与える側で、異国の地は貧しいなどと決めつけ、そのひと達にとっての問題はこれじゃないか、あれじゃないかと推測し、現地に行って活動をする。 「何かそのひとたちのためにしてあげたい」と思う氣持ちや実際に足を運ぶ行動

他人に評価を求めない

認められたい、評価されたい、よく思われたい、感謝されたい。 上記はすべて自分中心の欲求である。と同時に、自分から自分を何かのしがらみに当てはめていっている。 会社から評価されたいか? 先生に認められたいか? 私たちは自ずと学校教育というシステムで1〜5段階で評価されることに慣れてきた。し、それを一つの尺度とするシステムの中に放り込まれてきた。テストの点数でクラスが決められ、合否で大学のランクが決まる。本当にその数字が、合否が、他者からの評価がそのひとの価値なのか? その

たくさんの人に出会う旅🕊🌿💫

あたしは割と“知り合い多そう”とか“顔が広い”と周りから言われることが多い。うん。自分でもそう思う。 割と中学生くらいのあたりからひととの出会いとかご縁は大事にしてきた。 その傾向は今でも変わらず、たくさんの人に出会って“ひとのご縁”は常に開拓中🌾 そんなたくさんのひとに出会っていると、なにか相談を持ちかけられた時に“このひとに聞いてみると良いよ!”てひとを紹介したり、“こういうことやりたいんだよね〜”て聞いたら“あの人、こういう事業やってるよ!”みたいな感じで“ひと”

じぶんが"与え続けるだけ"ということはこの世に存在していない。と思う

環境問題と私たちの暮らし。 経済の仕組みと添加物や農薬の問題。 農薬による環境被害と人体への健康被害。 地球の健康とじぶんの身体の健康。 身体の健康とこころの健康。 お互いに影響しあっていて、すべてが繋がっている。 これはこういった問題の話だけではなくて、日頃から起こっている出来事においてもすべて互いに影響し合っている。なぜなら地球上に自分一人がただ存在するということはあり得ないからである。 自分以外にも地球に住んでいる人間はいるし、そもそも地球という環境が土地、水、風

すべて“ありがとう”で受け止めてみる

この世に生きていると、日々色んな人に出会う。 心やさしい人が大半だけど、時にはなぜかイライラしてる人とか、八つ当たりしてくる人、なんか機嫌が悪い人。もちろん自分だって知らない間にやってしまってると思う。(反省します(笑))まぁ、巡り合わせだからそういう人と対峙するときもあるよね。 で、「喜怒哀楽」っていうけど"怒り”ってすごいエネルギーだと思うんだよね。それをじぶんに使ってくれてるってありがたいなってなんかふと思う瞬間が最近あった。 私の父は何かと機嫌が悪くなったり、理

世界はいつもじぶん色。

この世界に生きているといろんなひとに出会ったり、いろんなことに触れたり、いろんな情報を知ったりする。学校、サークル、会社などのコミュニティに出ては入ったりしながら、いろんな慣習に触れる。 あたしは普段から"なぜ"を考えるのが好きで、入ってきた情報や、じぶんが気になったことについてその背景を知りたくなる。特に興味関心がある社会課題やその社会の基盤を作っている構造について"なんで経済成長を追い求めるばかりの資本主義になってしまったのだろう?”とか“なぜもっと精神的な豊かさを求め

わくわくすること。

頭で考えたことじゃなくて、 心がわくわくする瞬間や 一緒にいて心が惹かれるひとだったり、わくわくするできごとを大切にしてこう。 じぶんが心動かされることには理由があるけど 感覚で最初にわかってしまった 出会ったときに生まれた感情は本能そのまま。 知らず知らずのうちに左脳が働いてしまって 頭で考えてセーブしちゃったり できないってなんか思っちゃったりする。 すべてはなるようになる。 想像できることは実現する。 子どもの頃はできていた。 じぶんの心に従って

出会うべきひとに出会うべくタイミングで出会える。

今日はこのことをすっごく痛感した日だった。 今日はお昼に卒業祝いという名目で久しぶりに後輩に会った。本当は1月に会うつもりだったのだが、緊急事態宣言が出てしまいリスケになっていた。3月も彼女の卒業旅行で予定が合わなさそうなのと、わたし自身も来月はほぼ予定が埋まっているのもあり、たまたま今日、奇跡的に予定が合ったのでご飯に行くことになった。 ご飯の場所は昨日、「何食べたいか」聞いたときに、和食かイタリアンがいいと言っていたので、お店の候補を2件出し、選んでもらった。 ラン

78億分の1の出会い

ひととひとが巡り合う。 これって当たり前に日常にありふれているように見えて、めちゃめちゃ奇跡。 今日、職場が一緒だった上司に逢う機会がたまたまあったのだが、あたしはこの方との出会えたことを考えるとすごく奇跡を感じる😌💞 そもそも、今いる会社はじぶんで選んだけど、他の選択肢ももちろんあった。(他の選択肢の方がいろんな意味で優勢だった) だけど、この選択すらもひととの偶然な出会いとか、たまたま言われた声かけとかによって考えていく中で今の選択肢になっていった。 100%じ

明日死ねるか?

目の前で起きていること、今やっている仕事のこと、キャリアのこと、やりたいこと、今できていること、生活している環境、誰と暮らし、何を食べて何をしているか。 じぶんの心がワクワクすること。 誰になんの価値を提供したいのか。 私はやりたいと思ったことはその場、その時々でやっている方だし ある程度できているから満たされている。 もしかしたら「もっとなんとかしなきゃいけない」、とか「"もっとこうしたい"の理想がある」というのはただの幻想で "今"に結構満足しているのかも。

一次情報と二次情報。

新型ウイルスによってひとと会う機会も少なくなり、イベントも少なくなり、家にいる時間が多くなった2020年。 緊急事態宣言が初めて出たときはTVから流れる情報、LINEの感染者情報などを日々確認していた。新型ウイルスの情報をとるために、家にいる時間はほとんどの人がテレビをつけたり、携帯やパソコンを見ていたと思う。 そこからしばらくして、元々そんなにテレビを見る人間ではなかったわたしは普段通り大好きなSNS、"Instagram"をよく見るようになった。わたしにとってInst

体験して初めて分かる🌱

2日前、友だちに誘われて今年初のビーチクリーンに行ってきた。人生で2回目のビーチクリーン🏝(今度なんでビーチクリーンを始めようと思ったのかも書こうと思います。) 2021年は“もっと足を運びたいな”と思ってたのでやっと行けて嬉しい気持ちだった。 晴れの予報だったけど駅に着いたときは雲っていて少し寒かった。寒いのが苦手なので早く太陽が出て欲しいという心持ちで、駅からバスに乗りビーチへ向かった。 以前、江の島のビーチクリーンに行ったときは思ったよりもゴミがなかったから今日は