見出し画像

じぶんよがりな愛ではないか?

NPOや海外へボランティアに行く機会があった。
思い返すと勝手に決めつけてしまっていた自分がいたことに氣がついた。

例えば異国の地の紛争や貧困問題も、わかりやすい言葉を使うと"発展途上国"や"先進国"という自分が生み出したフィルターを通して、勝手に自分たちは豊かであり与える側で、異国の地は貧しいなどと決めつけ、そのひと達にとっての問題はこれじゃないか、あれじゃないかと推測し、現地に行って活動をする。

「何かそのひとたちのためにしてあげたい」と思う氣持ちや実際に足を運ぶ行動力は本当に素晴らしいことで全く否定していない。そこに疑問を抱いているのではなく、勝手な自分よがりなフィルターを通して世界を見ていないか?というところを問いかけたい。

自分も実際にNPOの活動で海外に行ったことがあるが、現地に赴いてみるとその土地では物質的な側面は不足しているかもしれないけれど、精神的には日本よりもかなり豊かで"今"を生きて、楽しんで暮らしていて、"今ある幸せ"を感じながら生きている人々がたくさんいた。

そのように私自身が今まで見えてこなかったことに氣づき、学ぶ機会となったのがボランティアの経験だった。

もちろん現地の人達からみた課題はあるので、わたし達にできることはあると思うが、ここで言いたいのは、自分よがりな偏見で"発展途上国は貧しい"と決めつけることや、エゴからくる「こうしてあげたい」「こうなったら良いのに」「喜んでもらいたい」と相手に求めるようなただ一方的な愛は一度俯瞰してみる必要がありそうだということ。

相手の豊かさを勝手にジャッジして、理想状態を追い求めるのは自分よがりな愛なのではないかとわたし自身が氣付いたということ。

異国の地のできごとも目の前のできごとも
じぶんが勝手に作っている意識フィルターをなくそう。

じぶんの心で感じたこと、したいことだけではなく、それが相手にとってどんな気付きや学びになるのか、どういう感情になるのかも合わせて考えることで愛が立体的になり、お互いに学びがあり、氣づきがあり、成長して、よくしていける。そう思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?