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協調性とマジョリティ

常日頃から他者に興味も執着もないから(良くも悪くも)あまり外部評価に囚われてない。だって自分のモノサシで測ってくるヒト苦手だし。自分の基準で人の容姿に口出すとはどんだけヒマなのかと思うしそもそももっとおもしろい自分の話はないのかと思う。教養がないと話すネタが全部パワハラ、セクハラ、下ネタになるっていうのはまさにそれでたのしくない。そういう人はきっと人生1周目なんだなと思うようにして距離をおく。時間も体力も1ミリも使いたくないから。昔から協調性というのが分からなかったし何故みんなと一緒がいいのか、1人でいるのは憐れみをうけるのか分からなかった。みんな仲良くって理想だけどなかなかの無理ゲーじゃない?だからこうやって令和になっても突然戦争ははじまるし。戦争はなくならない。だって好きから始まるから。大好きな人がいてその人が誰かにとられたり誰かの方をむいたりしてどこにもいかないで!って気持ちからはじまるんだよね。独占欲とプライドが血を流す。とはいえ多少なりともコミュニティでの私もいるのでひっそりとしております。

言っていい事と悪い事は子供でも解る
大事なのはその間
言ってもいいかもだけど
言っちゃうとあなたの評価がぐんと下がる上に
言わない方がよかったよね、とはいわれない一言
がたくさんある。

これはホントそうで私の近くにもその一言多い残念な人がいて疲弊しちゃうので断捨離。そんな些細な事?そんな意味じゃないし!冗談だし!みたいになってもそれはあなたのモノサシで私の気持ちとしては疲れちゃうからしんどいのよーって話。私はマジョリティじゃないかもだけど私は私が大事なのよ。
マイノリティであればあるほど、どうやったらマジョリティになりすませるかもよく分かる。それはマジョリティな人々が違う!違う!違う!と教えてくれたから。単純にたくさん投げかけられた違うを気をつければいいだけ。

マイノリティはマジョリティの皮もかぶれるのだ♪

マジョリティはマイノリティにはなれないだろうけどね。マイノリティは2度美味しい。けどマジョリティからの疎外感とマイノリティでの敗北感と2度つらかっただけ。ずっと協調性なく生きてきたけど協調性ってなに?って思う。そんな事を考えてる時点ですでに協調性のない人のシルシなんだろうなとは思う。マジョリティがベースで生きやすくなってる現代。フラットでオープンでマイノリティを感じさせないのが多様性に満ちた社会の答えな気がするけどまだまだ遠い。今日も私はマジョリティなコスプレして生きていく。

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