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3.根性論とは邪道なのか?フィンランドの伝統文化、シスから学ぶ。

今回は「根性論=古い、善くない」という風潮につきまして、私なりの見解をお話ししたいと思います。

まず、はじめに大前提として、根性論というのは人に押し付けたりするものではなく、あくまで、自分の心の中に留め、その鍛えた精神を自身の心の中で強く保ち、あらゆる場面に活かすことだと解釈しています。

私は、その考えにたどり着くまでには時間がかかりましたし、それ以前には、根性論というものは理不尽を認めることになり、あってはならないものだとすら考えていました。

しかし、私がかつてフィンランドを訪れた際に、その考えを改めるきっかけとなった言葉がありました。

バルト海の大通りに面した某有名サウナ施設にて、現地の方と会話をしていると、何気なく仕事の話になり、悩みを打ち明けたところ、彼らの口からPerry、それはシス だよ。と返ってきました。

意味がわからず、訊き返すと、周りにいた2人のフィンランド人も声を合わせてシスだと同調ていました。

もう一度、訊き返すと、彼らはフィンランドにはシスという文化があり、簡単に言えばフィンランド魂という意味で、彼らには欠かせないマインドであり、フィンランド人としてのアイデンティティーなのだとか。

その時は納得したふりをしたが、日本に戻るなり、シスという言葉が頭から離れず、意味も理解ができなかったので、シスについて調べてみました。

すると、そこに要約されていたことは、「どんなことにも強く立ち向かう強い心、折れない心のことだ」と書かれていたのです。

冬の朝の暗い寒さの中、生活や家族のために仕事へ行くことや、驚くことに、仕事場のエレベーターを使わずに階段で上り下りするという、そんな様なことまでシスなのだといいます。

ということはやはり、前回の記事でも書いたような、個人の中で目標を決めて、困難に立ち向かったり、諦めずに忍耐強くこなすことは大事なのだと、私は、そこでようやく、彼らの言っていたシスについて、少しだけ理解できたような気がしました。

シスのフタを開けてみると、そこには、かつて日本で唱えられていた、他人に激をいれて強制させたりする根性論とは、はるかにかけ離れたものであり、フィンランド人の根性論は、自身の中に僅かな目標を見つけ、幸せの道を切り拓いていくのだということがわかりました。

フィンランド人は口だけ立派なだけじゃないのか?と、ここまで読んでくださった方の中にはいらっしゃるかと思いますので、シスという根性論とフィンランドの激動の歴史を簡単にご紹介いたします。

フィンランドは、歴史上長い目で見ても、13世期前後にはスウェーデンやデンマーク、ロシアなどに長い間、統治され続けてきた現実があります。

元来、今のフィンランドに住む人々は新しく国家を成そうとするような風潮はなく、こうした暗い歴史に長い間、翻弄され、耐え凌いできました。

ところが、19世期に入ると、同じ考え方を持ったフィンランド人は当時、支配力のあったスウェーデンを押し切り、団結して独立を勝ち取りました。

また、彼らの真面目な姿に好感を抱いていたロシア皇帝側の賛同もあり、フィンランド人は次第に団結して、国家を立ち上げ、フィンランド人が政治をなす国を形成していきました。

その時のロシア皇帝、アレクサンドル2世の像は今でもフィンランドの首都、ヘルシンキの大聖堂前の元老院広場に力強く立ち、ヘルシンキを見守っています。

しかし、その後、アレクサンドル2世が倒れてからは、フィンランドは再びロシアに統治されます。

ですが、フィンランドの人たちは統治されている中でもシスの精神でアイデンティティーを貫き、憲法を制定して、政府を発足させます。

その後も独立に向けて勢いは進み、ロシア革命が起きたのをきっかけに独立を再現しました。

彼らの努力が報われたかと思ったのも束の間、第二次世界大戦がやってきます。

フィンランドは隣にある大国、ソビエトに対抗すべく、ナチス・ドイツに接近し、敗戦。

フィンランドは多額の借金を負うことになります。

その時代を経験した人曰く、それはそれはとても長く辛い日々の道のりであったという話を聞いたことがあります。

しかし、そのような日々の中でも人々は決して諦めることなく、日々をこなし続けて、1952年のヘルシンキ・オリンピックが開催された年に、わずか7年で多額の借金を完済することに成功しました。

その後は冷戦期も経験し、ソビエトとは比較的、親しかったフィンランドは再び苦しい状況に陥りますが、これも後に欧州連合に加盟し、情報通信産業を発達させたことにより乗り越え、フィンランドは現在に至るまで優秀国として名を馳せることになります。

このように、フィンランドの人たちはシスを掲げ、何度も何度も困難を乗り越えてきたのです。

そして、その歴史から現在も、シスという言葉はフィンランド人としては、生きていく中で欠かせない根性論として存在となったのでした。

ちなみに、この暗い世の中を少しでも明るくしようという動きから発生したものの1つに北欧デザインがありますが、こちらはまたの機会にお話しすることにしましょう。

さて、フィンランド激動の歴史を振り返ってみて、いかがでしたか?

フィンランドの根性論、シスがもたらす効果は、このように歴史を変えるほど強いものであったのです。

その事実を理解した時、私は根性論も捨てたものではないなぁと思うようになりました。

もちろん、私は日本人ですが、彼らのシスをベースに心の中で強く生きようと決めました。

だからといって、彼らのようにサウナのあとに氷点下の中、湖に飛び込もうとは未だに思いませんが...。

話は戻して、ご自身の心の中で、シスのような根性論を持っていると、何か難しいことに立ち向かう時にも、気が少し楽になるのではと思います。

今回はシスを例にあげて、根性論についてを、お話しをしましたが、皆さんは何を思いましたでしょうか。

心を強く持つことは歴史をも変えられる。

私は、そのようなことを学んだような気がします。

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