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「楽しい」のは自分が主人公だから

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、600日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

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法律に関する記事は既にたくさん書いていますので、興味のある方は、こちらにテーマ別で整理していますので、興味のあるテーマを選んでご覧ください。

【 今日のトピック:楽しさと主体性 】

僕は、人の話を聞くのが苦手です。

いや、対面での会話はむしろ得意だと自負しているんですが、どうも、大人数で講義を聞くのが苦手で仕方ありません。

だから、大学時代や法科大学院に通っていた頃は、講義はほぼすべて爆睡でした。

ずっと眠っていました。一応眠らないでいようと思っていたのですが(正直に白状すると、「眠らずにいようと思った授業もあった」くらいですが・・・)、どうしても眠くて眠くて、これは今でも改善されていません。

今でも、講義を受ければ眠るでしょう。

「講義後すぐさま発表しなきゃいけない!」ということなら、必死で聞くと思いますが、そうでもない限り、講義は爆睡一直線です。

どうして講義で爆睡してしまうかというと、純粋に楽しくないからです。もっと言えば、「つまんない」んです。

よくよく聞くと、おもしろい内容を話していることもあるんですが、ただ、「講義」や「授業」という形式をとられるだけで、僕は「楽しくない・つまんない」という感情がわいてきます。

それはたぶん、「講義」や「授業」では、自分が主人公でないからです。

講義や授業って、1人の講師や先生の話を、そのほか大多数が聞くという形式ですから、どう考えても主人公は講師・先生です。

いやあ、講師や先生にとって、講義はとても気持ちいいでしょうね。その他大勢が自分の話を聞いているわけですから。

自分の話を、本来自分とは対等なはずの人たちが聞いてくれるって、まさに「主人公」で、楽しいと思います。

大人数の前で話すのが苦手な人もいますが、ただ、その人たちも、自分が話をすることを「つまんない」とは思わないでしょう。

めちゃくちゃ緊張して憂鬱になることはあるにせよ、少なくとも、それは自分が「主人公」となっているからこそ湧いてくる感情です。

「主人公」感がないのであれば、湧き上がってくるのは「つまんない」という気持ちで、「緊張」や「憂鬱」ではないはずです。

僕は、とにかく、「主人公」感がない状態(だれかの講義を聞く)が苦手で、主人公感がないと察知するや否や、爆睡してしまいます。

もちろん、受講者にとって講義が常に脇役かというとそうではなく、受講者側の気の持ちようで、どれだけでも主人公になれると思います。

講義内容をめちゃくちゃおもしろいと感じて、熱心に聞き入っていれば、その瞬間は間違いなく、主人公受講者になっています。

僕もそうやって、受講者であっても主人公になれることを意識できていればよかったのですが、「受講者・講師=脇役・主人公」という構図が、ほぼ本能的に脳内インプットされているのか、受講者となった途端に「つまんない→爆睡」と脳が即断即決してしまいます。

しかし、これだけ講義を聞くのが苦手な僕でも、会話や対話は好きです。

会話や対話と講義は、どちらも「人の話を聞く」という点で一緒なんですが、ただ、会話や対話であれば、自分が主人公です。

だから、楽しい。だから、好きなんです。

もちろん、つまんない会話もありますが、それは、自分がおもしろくすればいいし、おもしろくできます。だって、自分が主人公なんですから。

「主人公」ということは、自分の力でおもしろくすることができる、ということです。

だから、僕は読書も大好きなんだと思います。「読書」は、自分1人だけの作業ですから、間違いなく自分が主人公です。

読むスピードも自分で決められるし、そもそも、どの本を読むかも自分で決めることができます。

最も手軽に(本は図書館で無料で借りられるし、必要な人間は自分1人だけなので他人の都合も考えなくていい)、自分が主人公となって「楽しい」を得ることができます。

僕が、これまで読書が好きじゃなかったのは、読む本や読むスピードも、自分で決めていなかったからだと思います。

「どの本を読んだ方がいいか」「いつまでに読まなきゃいけないか」ばかりを気にして本を読んでいたので、これは全然自分が主人公になっておらず、楽しいはずがありません。

こう考えると、「主人公」感が、「楽しい」という感情に不可欠な気がしてきました。

これに今日気づけたのは大きな収穫だと思いますが、ただ、僕は、なんでもかんでも「主人公になれよ」と言いたいわけじゃありません。

主人公になるかどうかも、自分で選べばいいと思います。

「主人公」感は、「楽しさ」と同時に「プレッシャー」も与えてきます。いわば「諸刃の剣」です。

プレッシャーを感じたくない場合は、うまいこと「主人公」感を省いて(つまり、自分以外に責任を押し付けて)、プレッシャーを回避しましょう。

ただ、この「プレッシャー回避」に慣れすぎると、「楽しい」を感じることができなくなってしまいます。

プレッシャーもないけど楽しくもない人生は、主人公感が欠け、「つまんない」です。

だから、「楽しい」が味わえそうなときは、主人公になっちゃいましょう。

そして、めちゃくちゃつまんないとき(主人公感を抱けないとき)も、なんとか主人公感を作り出せば、少しは楽しさを味わえるかもしれません。

(ま、「つまんない」からはさっさと逃げ出して、自分が主人公となって「楽しい」を味わっておけばいいと僕は思いますけど)

それではまた明日!・・・↓

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