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母親を決める法的なルール

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、900日以上(ほぼ)毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

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【 今日のトピック:母子 】

タイトルで結論を言ってしまっていますが、母親と子というのは、揺るがないつながりを持っています。

なぜなら、母親は、子どもが自分のお腹から出てくることを体感しているからです。

現代では、確かに、卵子提供によって、出産した女性と母親を区別できるようになっています。

その場合は、出産した女性と卵子提供者のどちらを母親と考えるか、解釈の余地が出てきますが(ちなみに、日本では、法的には、卵子提供者ではなく出産した女性が母親とみなされます)、出産した女性と卵子提供者が同一人物の場合は、やっぱり、出産した女性から見れば、これ以上ないほど、我が子が我が子であることを実感します。

ちなみに、フランスでは、出産した女性は、生まれた子どもの(法的な)母親であることを否定することができます。

生物学的には、間違いなく母子関係が存在するのですが、母親が、生まれた子どもを「認知しない」という選択ができるのです。

日本では、法的な母子関係は、出産したという事実のみによって発生します。だから、母親は、自分のお腹から出てきた子どもの母親であることを否定することはできません。

どれだけ産みたくなくても、望まない妊娠であっても、いったん、生きて産まれてきたのなら、その子どもの母親であることを絶対に否定することはできないのです。これが、日本では、法的な結論です。

法的に母親なので、子どもを育てる法的な義務が発生します。

まあ、フランスのように、自分で出産しておきながら、法的には自分の子どもではないと言えるという制度を日本に導入するのもあり得ますが、そうであれば、速やかに、子どもに親を与える制度も同時に導入するべきでしょう。

母親が母親であることを否定してしまうなら、残された子どもは、大変な不利益を被ります。母親が母親であることを否定しても、生まれた赤ちゃんの健やかな成長がきちんと保障されなければなりません。

ただ、現状では、日本だと、このような仕組みは認められていません。しかし、実は、日本の民法に、「母の認知」が規定されています。というのも、日本の民法は、フランス法を起源としている(箇所がある)からです。

でも、昭和37年(1962年)に、最高裁判所が、母の認知を否定しました。その結果、法律には「母の認知」が書かれているものの、その記載は意味をなくしました。

この最高裁判決によって、日本では、子どもを産んだ女性が、生まれた子どもの母親であることを否定できなくなったのです。

子どもから見れば、実の母親が法的にも母親でいてくれることは、基本的には良さそうです。

うーん、どちらがいいのかは、なんとも言えません。

日本に暮らしていると、実の母親(自分を産んでくれた女性)がわからないという状態は、非常におそろしい感じがしますが、法的に母親が自分の子どもであることを否定できることが認められるようになれば、「そういうもんか」と子どもは思えるようになるのかもしれません。

「産んだ女性は産んだだけで育ててくれなかったけれど、養親が育ててくれた」と思うのかもしれません。それは、フランス語の文献を読んでみないとわかりません。

少なくとも、日本では、子どもを出産すると、生まれた子どもの母親であることを否定できなくなっていて(これは、昭和37年に最高裁判所で裁判官を務めていたおじさんたちが決めたルールなんですけどね・・・)、それを前提にすると、生まれた子どもが、産んだ女性に対して「親としての責任を果たしてよ」と思うのは、法的にごもっともということになります。

フランスのような「母の認知」を認めたほうがいいのかどうかは、なんとも言えません。僕にはわかりません。

ただ、「母の認知」を導入するのであれば、小学校で「お母さんに生まれたときのことを聞きましょう」なんて宿題を出すのは即刻やめなきゃダメでしょうね。

今だって、「生みの親」と「育ての親」が違うことがあり得るのにもかかわらず、「お母さんに生まれたときのことを聞きましょう」なんてことを言っているのは、「お母さん」=「生みの親」であることを前提としていて間違っています。

シングルマザーも、シングルファザーもいますし、里親さんに預けられている子どももいれば、施設で育つ子もいます。

ただ、どれにも共通しているのは、「誰かから育ててもらっている」ことです。子どもは、ひとりで生きていけないので、必ず誰かに育ててもらっています。

その「誰か」は、親ではないことも当然あります。祖父母だったり、里親さんだったり、養親だったり、施設の先生だったり。

だったら、「いつも家で一緒にいてくれる人にありがとうを伝えましょう」と言うべきでしょう。

なんか、思わず筆が進んでしまいましたが、「生みの親と一緒にいるのが普通だよね」という感覚が蔓延している限りは、「母の認知」を導入するには時期尚早だと思います。

生まれた子どもが「そういうもんか」と思えるようになって初めて、「母の認知」を導入できるんだと思います。

現状だと、自分を産んだ女性が自分の母親であることを否定したという現実は、やっぱり、子どもにとって相当にショッキングだと思うので、日本ではまだ時期尚早なのかもしれません。

それではまた明日!・・・↓

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