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できることを積み上げる→ホンモノの自信がつく

【 自己紹介 】

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、700日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

毎日ご覧くださってありがとうございます。本当に励みになっています。

法律に関する記事は既にたくさん書いていますので、興味のある方は、こちらにテーマ別で整理していますので、興味のあるテーマを選んでご覧ください。

【 今日のトピック:できる→自信 】

昨日のブログはだいぶ短くなってしまいましたが、今日は元気を取り戻したので、いつもどおりの分量でいきます。

さて、昨日は、「できない」に直面するとめちゃくちゃ悔しくてつらいと書きました。

「できない」に直面して引き起こされる「悔しい」・「つらい」というネガティブ感情が、「なにくそ!」というバネになって、ポジティブに働くこともあります。

しかし、「できない」に毎日毎日繰り返し直面するのは、あまりにも過酷です。

例えば、小学校2年生の九九を思い出してみてください。

九九を習うタイミングは、みんな同じです。

小学校2年生に進級し、クラス全員が全く同じタイミングで「九九」なるものに出会います。

なのに、「九九」の出来には大きく開きがあります。全く同じタイミングで九九に出会っているにもかかわらず、できる子とできない子がはっきりと分かれてしまうのです。

できない子は、つらいです。悔しくて仕方ない。

いつも一緒に楽しく遊んでいる友だちと、自分とで「九九」の出来に差があるのは、悔しくてつらいです。

九九は本当に大切な単元なので、小学校でもめちゃくちゃ繰り返し教えます。

だから、九九ができないと、九九が重要だからこそ、「できない」に繰り返し直面します。

しかし、九九ができないことをバネに一生懸命勉強して、九九ができるようになったら、それはとても大きな成功体験になると思います。

しかし、うまくいくことばかりではありません。というか、うまくいかないことが多いのかもしれません。

だって、九九ができないその子は、ほかにも「できない」を抱えているかもしれません。

一生懸命漢字を練習するんだけど、なかなか覚えられないとか、足が遅いとか。

そんなたくさんの「できない」に直面していたら、途切れなく悔しさがやってきてしまって、混乱します。

パニックになります。

僕も、うつ病直前は、毎日毎日、「書面が追いつかない」という「できない」に繰り返し直面していて、パニックに陥っていました。

「できない」に日々直面した結果、僕みたいにつぶれてしまうパターンもありますが、自分がつぶれない方法を編みだすパターンもあります。

それは、自分の拠り所をつくるパターンです。

「できない」「できない」と、日々繰り返し感じていても、「それでも大丈夫」と思える対象をつくる。

それはきっと、とても大切なことなんだと思います。

ただ、そういった「拠り所」がめちゃくちゃ空虚になる可能性があるんです。

例えば、母親が、とにかく、「お前は大丈夫」「心配ない」「本当はできる子」と言うだけで、それをただ子どもが鵜呑みにしてしまうのは、実はとても空虚で危うい「拠り所」になってしまいます。

そういった、いわば「言霊」に母親が頼ろうとするのもわからなくはないんですが、「できない」に日々直面する子どもにとって必要なのは、内容を伴わない空虚な言葉ではありません。

「できる」という実感です。

誰かの言葉を、ただ鵜呑みにして信じることではなく、五感で感じた、「できる」という実感。

それこそが、子どもにとって何よりも大きな拠り所となります。

「できる」を積み重ねるんです。

「できない」に毎日毎日直面するでしょうが、それと同様に、肌感覚として実感する「できる」も繰り返し体験する。

その結果、「できる」が「自信」に昇華するんです。

こういった、できる→自信という構造を先週金曜日の研修で学んだんですが、それを僕もめちゃくちゃ共感したんです。

僕にとっての「できること」は、読書です。

「読書した」という経験は、まごうことなき「できる」経験として、僕の中に蓄積されていきます。

文章を読み、それを理解するという「経験」は、僕にとっての「できる」です。

その蓄積が、自信につながります。

今日の話は、「成功体験が自信につながる」と言われているやつを、もう少しレベルを落とした感じだと思います。

僕としては、「成功体験」なんて大それたものはいらないと思います。

「成功体験」なんて書くと、なんか、「成功」しなきゃいけないような感じがしますが、自信をつけるには、「成功」なんて不要です。

「できる」を、五感で実感すれば、それで十分なんです。

僕みたいに読書していれば、つまり、「読書」という体験を、五感で実感していれば、それを繰り返していって、自信は身についていくんです。

ただ、自分にとっての「できる」が、自分ではわからないことも本当に多いです。

「できる」を自分自身で納得しながら体験するのが大切なんでしょうが、その発端となる「できる」を自分で最初から見つけられるかどうかはわかりません。

児童相談所で子どもを支援する場合は、一緒に子どもと話したり、子どもをよーく観察したりして、子どもの「できる」を一緒に見つけていきます。

その「できる」は、本当になんでもいいんです。

例えば、施設の先生と話すことでもいいし、ホコリに気がつくことができたことでもいいし、ゴミを拾えたことでもいいし、アリを夢中で見ていたとか、本当になんでもいい。

支援する側が、常識にとらわれず、「できる」を見つけてあげる必要があります。

ま、「できる」を見つけるのに失敗したら、また見つければいいんだと思います。

誰かの言葉を大切にするのもいいんですが、やっぱり、実感が伴っていないと無意味なんです。

だから、僕が親だったら、意味ありげな言葉を伝えるよりも、一緒になって「できる」を見つけてあげて、「できる」を「できる」として体験させてあげたいです。

例えば、僕の子どもが、僕みたいに読書が好きで、夢中で本を読んでいた場合は、本を読み終えた後に、どんな本なのか尋ねます。

「どんな内容?」なんてオープンクエスチョンで聞いちゃダメです。

自分なりに想像して聞きます。質問に対する肯定なり否定なりが、語りのきっかけになりますからね。

子どもがアリを見るのが好きなら、僕は一緒になって見てあげたいです。

で、アリが並んで動いているのが好きなら、一緒になってアリの巣までアリを追っかけていってあげたいです。

そして、「アリが1列に並んで歩いているのはどうしてだろう」とか「アリの巣の中はどうなっているのだろう」とか「そもそも、アリは何を食べているのだろう」とか「食べたものはどうやって💩になっているのだろう」とか、そういったことを一緒になって考えてあげたいです。

それが、子どもにとって大切な「経験」となり、自信につながるからです。

子育てってなんか楽しそうです笑。子どもが生まれるかどうかわかりませんが、なんか今から楽しみです。

それではまた明日!・・・↓

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