#362 「反対仮説」という専門用語
どうも,こんにちは。
古田博大(ふるたひろまさ)です。
このブログを初めてご覧になる方は,はじめまして。
いつもご覧くださっている皆様,いつもアクセスありがとうございます。
僕は,1990年生まれで現在30歳。2017年1月から弁護士として働き始め,ちょうど2年半が経過した2019年7月10日にうつ病を発症し,それから今日までずっと休職しています。
うつ病発症からしばらくは,眠ったり食べたりすることもままならず,生きることそのものが苦しい時期が続きましたが,長い時間をかけて少しずつ回復することができました。今は,週2日の休みをはさんで毎日出勤練習(慣らし勤務)を繰り返しながら,復職への準備を進めています。
うつ病をきっかけに「自分も何か行動したい!」と思い,2019年12月から,この毎日ブログを始めました。とはいえ,このブログでは,うつ病に関することだけでなく,日々考えたことを自由気ままに書いています。
書きたいことがたくさんあって,文章が長くなってしまうことも多いですが,ブログの負担が大きくなりすぎてうつ病に悪い影響を与えないよう,書き始めてから1時間程度でアップロードすることにしています(#ほぼ毎日時間オーバーしていることはナイショです)
「書きたいがたくさんある」と「1時間でアップする」は両立が難しく,そのため,文章がつながっていなかったり,文章自体がわかりにくかったりと,弊害も多々あるんですが,どうしても「毎日ブログ」を続けたいので,毎日綱渡り状態ですが,アクセスしてくださる皆様のおかげで,今日までなんとか続けることができています(;^_^A
僕のうつ病の経過については↓でまとめています。
それでは,今日も書いてきます!
今日は,「反対仮説」という法律上の専門用語について書いていこうと思います。
さて,「反対仮説」なんてワードを知っている人は全然いないでしょうけど,弁護士の業界ではよく使います。
「反対仮説がどれぐらいありうるか?」という文脈で使われることが多いです。
これ,結構大事な概念なので,少し詳しく書いていきます。
めちゃくちゃ当たり前のことから始めますが,世の中には民事裁判と刑事裁判が存在します。このことは,広く知られていると思います。
じゃあ,民事裁判と刑事裁判で何をやっているかというと,「どんな事実があったのか」をひたすら確認しています。
民事裁判であれば,原告と被告という双方の当事者が,それぞれ自分に有利な事実を主張し,それぞれ証拠を提出し,証拠に照らして裁判所が事実を認定します。
刑事裁判も「どんな事実があったのか」を確認しているという意味では,民事裁判と同じです。ただ,刑事裁判では,「無罪推定」という原則がありますから(#「推定無罪」ではなく「無罪推定」です),検察官があらゆる事実を立証する必要があり,検察官が立証に失敗した事実は,存在しないものと扱われます。
さて,そもそも,民事裁判と刑事裁判において,裁判所が「どんな事実があったのか」を確認するのは,どうしてなのでしょうか。
「どんな事実があったのか」を確認する作業は,「事実認定」とも呼ばれます。裁判所が事実認定するのはどうしてなんでしょうか。
ざっくりとした言い方になってしまいますが,そもそも,裁判は何を目指しているかというと,「法的な権利」を目指しています。
例えば,民事裁判で,被告に対して貸金1000万円の返済を求めている原告は,「被告に対して1000万円の貸金を返還請求できる権利を原告が持っている」ことを,裁判所に確認してほしいからこそ,民事裁判を起こしているんです。
「被告に対して1000万円の貸金を返還請求できる権利を原告が持っている」と裁判所で確認してもらえたら,その判決に基づいて強制執行することができます。つまり,裁判を経ると,国家権力によって貸金1000万円の取り立てを実現することができるようになります。
だから,原告は民事裁判を提起しているんです。
逆に,民事裁判の被告は,「原告の求めている法的権利が存在しないこと」を,裁判で目指しています。
「原告の求めている法的権利が存在しないこと」が裁判で確認されれば,原告から仮に督促を受けても,それを拒む根拠(国家を後ろ盾にした根拠)を得ることができます。それに加え,再び裁判を提起されたとしても,既に「原告の求めている法的権利が存在しないこと」が過去の裁判で確定しているのであれば,新たな裁判でまた勝訴することができます。
だから,被告は被告で,民事裁判を頑張っているんです。
そして,刑事裁判では,検察官が,「国家が国民に刑罰を与える権利」を目指しています。
有罪判決が出れば,その判決に基づいて,国家が国民の自由や財産を強制的に奪う=刑罰を与えられるようになります。
逆に,被告人は,「刑罰権がないこと」を目指しているわけです。
こんなふうに,民事裁判では,「法的権利の有無」が目標となり,刑事裁判では,「刑罰権の有無」が目標になっています。
じゃあ,「法的権利」や「刑罰権」は,どこから湧いて出てくるかというと,「事実」から湧いてきます。
例えば,先ほどの民事裁判の例で,原告は,「被告に対する貸金1000万円の返還請求権」という法的な権利を民事裁判の目標としていましたが,いくら権利があること「だけ」を主張しても,「法的な権利」は空から降ってくるはずもありません。
法的な権利を自分が持っていることを裁判所に認めさせるという,民事裁判の目的を達成するには,目標となっている法的な権利の発生原因となる事実を主張して,それを立証しなければならないんです。
「事実」という今日のキーワードがやっと出てきました(汗)。
つまり,「法的な権利」という裁判の目標を達成するには,「法的な権利」の発生原因となる「事実」を主張し,それを立証して,裁判所に認定してもらわなきゃいけません。
先ほどの民事裁判の例を使えば,「原告が被告に対して貸金1000万円を返還請求できる権利」という目的を達成するには,①原告が被告に1000万円を貸し付けたことと,②約束の返済期限を既に過ぎていること,という2つの事実が必要になります。
この2つの事実があれば,「原告が被告に対して貸金1000万円を返還請求できる権利」が発生します。
別に難しくないですよね?
事実→法的な権利という,右向きの矢印を表しているだけです。
・1000万円を貸し付けた
・返済期限を過ぎた
という2つの事実から,
・貸金1000万円の返還請求権
という権利が発生します。
ちょっと言葉遣いが難しいですが,言っている内容はあまり難しくありません。
少し脱線しますが,世の中には,いろんな事実がありますよね。
「昨日テレビ見た」とか「友達と遊んだ」とか,僕らは,いろんな事実(出来事)に直面しながら生きています。
「事実」というワードは,「体験」・「経験」と置き換えてもいいかもしれません。僕ら人間は,日々いろんな経験をして生きています。
その中の,ほとんどの経験(事実)は,「法的な権利」にはつながりません。
テレビを見たり,友達と遊んだりしても,そこから何かしらの「法的な権利」が発生するなんてことはありません。
でも,↑に書いたように,誰かに1000万円を貸し付け,約束した返済期限を過ぎたとしましょう。この体験(事実)は,日々刻々と積み重ねている体験(事実)とは異なり,「法的な権利」を発生させます。
この「法的な権利」は,別に裁判を提起するかどうかにかかわらず,保有することができます(しかし,「法的な権利」は目には見えません。人間が生み出した「想像上の産物」だからです。)
この「法的な権利」は,裁判を提起しなくても行使することはできます。当たり前ですが,「返済期限過ぎたから1000万円返してよ」と言えます(笑)。こうやって,裁判外で権利を行使してよいです。
ただ,裁判外で払ってくれない場合にどうすればいいかというと,裁判を提起するしかありません。
自発的に払ってくれない相手に強制的に払わせるためには,裁判を提起して判決をもらい,その判決に基づいて相手の財産を差し押さえて無理やり売却し(=競売),そのお金から支払いを受ける,という手段しか日本には用意されていません。
これ以外の方法,例えば,怖いお兄さんに手伝ってもらって(=脅してもらって)支払わせようとすれば,それは「恐喝罪」という犯罪になります。
ちょっと脱線が過ぎましたが,要は,無限にある「事実」のうち,いくつかは「法的な権利」に化ける場合があって,化けた後の「法的な権利」を裁判で確認してもらうには,化けるために必要な「事実」を,裁判所で認定してもらう必要があるわけです。
ちょっと比喩的・情緒的に言えば,「法的な権利」という「お化け」を,裁判という公式の場で出現させるのが「事実認定」という作業です。
で,「反対仮説」の話に戻ってきます。
先ほど書いた貸金1000万円の返還請求を,また例に出しましょう。
貸金1000万円の返還請求権という「お化け」を出現させたい原告は,お化け出現に必要な2つの事実:①1000万円を貸し付けたこと②返済期限を過ぎたこと,という2つの事実を立証しなければなりません。
ちょっとここで専門用語が登場しますが,民事裁判では,「立証責任」という制度があります。
この例でいえば,①と②の事実を原告が立証できない場合,①と②の事実が「存在しない」と扱われることを,「原告に立証責任がある」と表現します。
この「立証責任」があるからこそ,原告は,やっきになって①と②の事実を立証します。だって,立証できない場合は,その事実が「存在しない」とみなされてしまい,欲しくてたまらない「貸金1000万円の返還請求権」というお化けを出現させられなくなってしまうからです。
原告は,①と②を立証するため,原告が被告に1000万円を貸し付けるという内容で,原告と被告の署名押印がある借用証書と,被告が,この借用証書に基づき1000万円を受け取ったという領収書を,証拠として提出したとしましょう。そして,借用証書に書かれた返済期限が既に経過しているとしましょう。
この場合,原告が欲しくてたまらない「貸金1000万円の返還請求権」というお化け=法的な権利の出現に必要な①と②の事実は,「立証」されたことになるのでしょうか。
ここで現れるのが「反対仮説」というワードです。
被告としては,証拠として提出された借用証書や領収書を踏まえて反論することになりますが,その反論の仕方はいろいろと考えられます。
例えば,「借用証書も領収書も偽造だ!」とか,「原告に無理やり押印させられ,お金も受け取っていないのに借りたことにさせられたんです」とか,そういった主張が考えられます。
こういった場合に,「反対仮説」というワードがムクムクと出てきます。
「反対仮説」というワードは,「立証」という言葉の意味と大きく関連しています。
そもそも,「立証」とは何なのでしょうか。
「立証」という言葉は,数学的な分野や,科学的な分野でも使われます。
でも,ここでお話ししているのは,法律の分野です。
法律の分野でいうところの「立証」とは,どういう意味なのでしょうか。
先ほどの例に沿って話を進めましょう。
確かに,借用証書を原告が偽造したとか,原告が無理やり被告に押印させてお金も渡していないのに貸したことにした,という可能性は否定できません。
この可能性は,ゼロにはできません。
なぜなら,過去の出来事だからです。
裁判官は,自分の目で見たことも,自分の耳で聞いたことない過去の出来事(=事実)を認定しなきゃいけないわけで,そうすると,裁判官にすれば,「借用証書を偽造した」とか「無理やり借りたことにされた」という可能性を,完全にゼロと認めることは不可能です。
でも,それじゃあ,裁判官は何も事実認定できなくなってしまいますよね。
「偽造したかもしれない」「無理やり借りたことにされたかもしれない」という可能性を,そのまま受け入れてしまうと,あらゆる事実が「立証不十分」になってしまいます。
それはおかしい。
確かに,数学や科学の世界では,あらゆる可能性を排除できて初めて「立証」という称号を得られるのでしょう。特に数学の分野では,徹底的に「可能性」を排除する必要があります。
でも,法律の分野では,あらゆる可能性を完全に排除することなんてできません。
「偽造したかもしれない」「無理やり借りたことにされたかもしれない」という可能性は,いつまでも付きまといます。
じゃあ,どうするか。
ここで,「反対仮説」が出てきます。
「反対仮説」とは,↑の例でいえば,「偽造された!」とか「無理やり借りたことにされた!」という被告の主張のことを指します。
こういった被告の主張=反対仮説が,どれくらいありうるのか。
この「どれくらいありうるのか」が裁判では見られています。
確かに,厳密には「偽造された!」とか「無理やり借りたことにされた!」という可能性は否定できないものの,「常識的に考えれば,あり得ないよね」と認められるのであれば,それは,「反対仮説が合理的ではない」という理由で,「立証できている」とみなされます。
先ほどの例でいえば,「偽造された!」とか「無理やり借りたことにされた!」という主張が,「常識的に考えてあり得ない」と認められるのであれば,「偽造された!」とか「無理やり借りたことにされた!」という可能性が厳密には否定できなくても,「1000万円を貸し付けた」という①の事実が立証されたとして,①の事実を裁判所が認定することになります。
しばしば,「反対仮説が抽象的」という言葉遣いもされます。
「偽造された!」とか「無理やり借りたことにされた!」という反対仮説は抽象的なので,借用証書と領収書から認められる「1000万円を貸し付けた」という事実の認定を妨げるものではない
という感じです。
「偽造された!」とか「無理やり借りたことにされた!」という反対仮説が「抽象的」かどうかは,ケースバイケースです。
ただ,今回の例のように,借用証書と領収書が残っている場合は,それなりの根拠がなければ,「反対仮説は抽象的」と言われてしまうでしょう。
この「反対仮説」というワードは,結構重要です。
普段の生活でも活かせます。
こちらが確かな証拠を突きつけた場合に,相手がその証拠と「一応」辻褄が合う反論をしてきたとしても,その反論=反対仮説が,「常識的に考えて」どれくらいありうるのか,ということを考えるわけです。
「ありうる」可能性が低ければ低いほど,相手の言い訳は説得力を失い,信用できないのです(笑)。
僕は,この「反対仮説がどれくらいありうるのか」という考え方がとても好きで,よく使っています。
完全に職業病です!
【今日のうつ病】(うつ病経過まとめ:こちら)
まだまだ僕のうつ病は治っていないので,毎日うつ病の経過を記録しています。
今日までに経過した期間↓
・うつ病発症(2019年7月10日~):507日(1年4か月と18日)
・実家療養後の1人暮らし(2019年9月27日~):428日(1年2か月と1日)
・午前中の散歩(2019年11月7日~):387日(1年と21日)
・毎日ブログ(2019年12月3日~):361日(11か月と25日)
・出勤練習(2020年3月30日~):243日(7か月と29日)
今日で,出勤練習を始めて7か月と29日です。新型コロナウイルスの影響で,4月13日~5月11日までの約1か月間,一時中断されていましたが,それを差し引いても,約7か月間出勤練習を積み重ねてきました。
今日は出勤し,午前9時~午後6時(定時)まで滞在しました。
今日の「SleepCycle」を見ると(睡眠記録アプリ「SleepCycle」についてはこちら),午後11時32分~朝7時58分までの睡眠が記録されています。
昨日のブログで最近調子が良いと書きましたが,さっそく昨日の晩は寝つきを崩しました(笑)。寝つきが悪かったので耳栓を装着したらいつの間にか寝ついていて,朝7時58分に目が覚め,睡眠時間は8時間30分,SleepCycle独自の睡眠品質も97%/100%と良好で,結果的にとても良い睡眠がとれました。
(なお,僕のうつ病は,主な症状が不眠(①寝つきが悪い②中途覚醒③朝早く目が覚めてしまい二度寝もできない)で,この不眠症状の有無が,その日の調子の良し悪しや,回復の進み具合を左右します。そのため,毎日の睡眠時間や睡眠の質について,睡眠記録アプリ「SleepCycle」に記録されているデータをもとに逐一書き出すことにしています。)
寝つきが悪かったにもかかわらず,これだけ良好な睡眠がとれるとは思いもしませんでした。ただ,近頃バーピージャンプを頑張りすぎているようで,身体的な疲労が蓄積している感じがします。
だから,今日は運動はお休みします。明日から休日なので,整体にも行って,ゆっくり休養する予定です。
今日もブログ書けてよかった!
それではまた明日!・・・↓
昨日のブログ↓
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※うつ病への負担を考慮し、「書き始めてから1時間くらいでアップする」という制限時間を設けています。
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