「自分のようになってほしくない」という親の思い
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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、700日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。
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【 今日のトピック:親の思い 】
僕は今、児童相談所で働いていて、日々、虐待の記録を読んでいます。
児相では、受理した子どもごとにファイルを作成して、その子どもに関する記録をつけているんですが、特に弁護士の関与が必要なケースは、僕が集中的に記録を読んでいます。
今日は、立て続けに同じような事案を目にしたので、少し考えるところがありました。
どちらも、母親が幼い子どもを、しつけのためだったり、言うことを聞かせるために叩いているんですが、どちらも、母親が精神的に不安定なのです。
片方は母子家庭で、もう片方は離婚していないので、その点は全く違うんですが、母親が、子どもに対し、「私みたいになってほしくない」という思いを抱いていて、なおかつ、自分は親から虐待被害を受けた体験があることが共通していました。
そして、自分が叩くことで、自分を傷つけた親みたいになってしまうことに大きな苦悩を抱えていることも共通していました。
・自分みたいになってほしくない
・子どもを叩いている自分は自分を傷つけた親と一緒だ
こういった思いが共通していたので、「似ているなあ」と素朴に思いました。
母親はどちらも、とても苦しんでいらっしゃいました。苦しんでいる母親に必要なのは、精神科での治療やカウンセリングです。
僕が母親と実際に面接することはないんですが、仮にあったとしても、僕の言うことは母親には届かないと思います。
精神疾患を患っている人には、都合の良い言葉しか届かないのです。僕がそうでしたから。
精神疾患の最中は、周囲を傷つけます。凝り固まった考えで自分を傷つけ、そして、手を差し伸べてくれる相手を傷つけます。
せっかくのアドバイスを聞こうとしません。
このお母さん方は、自分が精神疾患に苦しんでいるにもかかわらず、児相職員のアドバイスを聞き入れていました。本当にすごいと思います。
アドバイスを受け入れるお母さんもすごいですし、余裕のないお母さんの耳にアドバイスを通す児相職員たちもすごいです。僕には一生できない芸当です。
僕がここから書くことは、苦悩するお母さんにの役に立つことではないと思うんですが(お母さん方に必要なのは、理屈ではなく支援なので)、それを承知で、今日記録を読みながら考えたことを少し書いてみます。
まず1つめは、「私みたいになってほしくない」という思いを抱いて、本当に「私みたいにならない」が実現できるのか、ということです。
「私みたいになってほしくない」というのは、つまり、「私みたいに不幸な人生を送ってほしくない」ということだと思います。
しかし、これって、「私がきちんと育てないと、子どもが私みたいに不幸になってしまう」ということが前提になっていませんか?
それって、子どもに失礼じゃないですか?
「私がきちんと育てないと、子どもが私みたいに不幸になってしまう」というのは、それは結局、「私が現在不幸なのは、きちんと育ててもらえなかったから」というふうに、自分の不幸を親のせいにしています。
どうしてそう思うのかというと、自分の不幸が自分のせいだということよりも、自分の不幸が「親のせい」にしたほうが自分が守れるからです。
自分が不幸になったのは自分のせい、という現実は残酷すぎます。
しかし、正直なところ、自分が不幸になったのは自分のせいで、だから、自分とは違う人間である子どもも、自分の力で不幸にも幸せになれるのです。
しかし、これって、母親にとってあまりにも残酷な現実です。
・自分は育て方が間違っていたから不幸になった
・だから、正しい育て方を施せば、子どもは自分とは違って幸せになれる
この理屈が通らなきゃダメなんです。不幸な母親にとっては。
でも、よくよく考えれば、こんな理屈は間違っています。
子どもだって母親とは違う人間です。それは明らかなんですが、しかし、生まれたばかりの子どもって、おむつを替えてあげたり、おっぱいをあげたりしないと生きていけないので、母親はとにかく、自分のたくさん時間を犠牲にして子どもに施しを与えることになります。
今の核家族社会では、母親が本当に多くの時間を子育てに割いています。その結果、「親子は同じ」という意識を加速させてしまいます。
でも、だんだんと子どもは成長し、自分とは違う人間として生きていくことになります。
だから、やっぱり、子どもは自分で自分の幸不幸を左右するのです。
したがって、「私みたいになってほしくない」という思いは、そもそも不要です。
そんなこと思わなくても、子どもは自分とは違う人間として成長します。その結果、子どもが不幸になったとしても、それは、子どもが選択した結果であり、親はどうすることもできません。
子どもが不幸だと、子どもは親を恨むかもしれませんが、それは、子ども自身が解決するべき問題です。
親にできるのは、衣食住を提供してあげることだけで、それ以上は、子どもが自分で友人関係の中に自分の「キャラ」を確立して、自分で生き方を決めていくのです(このへんは、橘玲さんの著書を参照)
子どもは、自分の力で、親と同じようにも、親と違うようにもなります。
こう考えると、「自分を傷つけた親と一緒だ」という苦悩も解決します。
自分と親は違います。間違いなく違う人間です。
暴力を振るって傷つけているのが親と同じように感じるかもしれませんが、しかし、自分と親は、全く別のプロセスを経て成長しているので、暴力を振るったことだけを捉えて「同じ」と考えるのは軽率ですし、間違っています。
違う人間として、全く別ルートで育っているのですから、自分は自分のやり方で、自分を変えることができます。
・自分は育て方が間違ったせいで不幸になったわけではない
・自分が自分の責任で不幸になった
・だから、自分の力で自分の人生を変えることができる
・親と違うルートで育ったので親と一緒でもない
・子どもも、子どもの人生について責任がある
こんな理屈を僕は見出しましたが、とはいえ、こんな(屁)理屈を、苦しんでいるお母さんは必要としていません。
ただ、僕は、どれだけ不都合であったとしても、それが真実であれば、受け入れることが苦悩の解消につながると信じています。僕がそうだったので。
「良薬口に苦し」ということわざがありますが、苦い薬ばかりを飲んでいたら耐えられないので、苦い薬を選り好む必要はないと思いますが、しかし、本当に「良薬」なのであれば、苦かろうが受け止める心がまえがあったほうが、苦しみから抜け出しやすくなると僕は考えています。
それではまた明日!・・・↓
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