生きるって汚い
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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、700日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。
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【 今日のトピック:清潔 】
僕は毎晩YouTubeを見ていて、岡田斗司夫さんの切り抜き動画も結構見ています。
昨日は、↓の動画を見ていました。
要は、新型コロナによって、岡田さんが命名するところの「ホワイト革命」が起きた、という話です。
価値観が大きく変わり、「キレイかどうか」が重視され、その結果、「キレイではないもの」は社会から非難され淘汰される、ということが語らていました。
確かに、コロナは、消毒を習慣化させました。
常に消毒を求められ、清潔であることが求められるようになりました。
ただ、僕は「ホワイト革命」には違和感があります。
岡田さん自身も、ホワイト革命を肯定しているわけではなく、↑の動画は、一個人が賛成しているか反対しているかどうかとは無関係に、ホワイト革命が進行中ですよ、ということを言っているわけです。
「キレイ」であることが求められ、それは、社会参加の大前提になるわけです。
お風呂に入っているとか、毎日洋服を選択しているとか、部屋の掃除が行き届いているとか、そういった言葉どおりのキレイさのみならず、体型や見た目のキレイさも求められます。
ただ、そのキレイさは、ナチュラル(生来的)でなくてもよくて、なぜなら、美容整形によって作られた顔やスタイルのキレイさも受け入れられているからです(韓国ドラマが受け入れられていることがその証です)。
しかし、作り物のキレイさでもいいからキレイさが必要ということであれば、キレイでない人たちは、全員、「努力不足」の烙印が押されてしまいます。
ナチュラルなキレイさが必要なのであれば、ナチュラルにキレイでない人もいるわけですから(僕みたいに)、その人にナチュラルなキレイさを求めるのは不可能を要求することになるので、一般化させることはできません。
しかし、「キレイさは作り物でオーケー」というルールであれば、自分がキレイでない理由は「努力不足」のほかに説明できないように思えます。
作り物でもいいから「キレイさ」を獲得することが社会参加の前提となる世界では、キレイでない人たちは、自分から社会参加する機会を放棄しているとみなされます。
本当は、自分がキレイでいられないことには、努力不足以外の原因も考えられるのですが(家庭が貧しいとか、生まれつき片付けが苦手とか)、そういった事情は考慮されません。
兎にも角にもキレイさを求める「ホワイト革命」は、「キレイさは努力で獲得できる。キレイでないのは自己責任。」という感じがして、誤りを孕んでいるから僕は承服できないんですが、この意味だけでなく、もっともっと本質的な違和感があるんです。
それは、「そもそも、生きるって汚いよね?」ということです。
だって、生きていれば、毎日うんこしておしっこして、汗かいて、髪の毛は抜けるし、爪は伸びるし、ホコリはたまるし、生きるだけで僕らはどんどん汚くなっていきます。
うんこはくさいし、おしっこだってくさいです。
生きるって、汚いのです。
この汚さは、人類が定住生活を選んだことで加速しました。今から約1万2000年くらい昔の話です。
それまでの狩猟採集生活では、定住生活に比べれば、めちゃくちゃ清潔でした。
日々移動するわけですからね。定住生活みたいに、毎日同じ場所でうんこするなんて不潔なことはしません。
うんこも、出してすぐは汚いですが、時間が経てば土に還るので汚くなくなります。だから、また翌年、その場所に戻ってきても、うんこは跡形もなく消え去っていて汚くありません。
そもそも、生きているだけで、排泄や新陳代謝によって、「汚い」が体内から溢れてくるように人間は形作られています。
そして、定住生活を選択した(「選択」というか、定住生活が、狩猟採集生活よりも環境に適応した結果、狩猟採集生活民を駆逐したと言ったほうがいいでしょう)ことによって、もともと汚い人類は、さらに汚い環境で生活することを余儀なくされました。
もちろん、現在の制度は、こういった「汚さ」を克服するべく、いろんな手立て(下水道・上水道や浄水場の整備、ゴミの収集・処理など)を尽くしています。
しかし、だからといって、人類(ホモサピエンス)という生き物が持つ汚さと、定住生活を選択したことによる汚さの加速という構造が変化したわけではありません。
人は、生きるだけで汚いし、定住生活は、その汚さを倍増しているのです。この仕組みは、現代社会の大前提となっているので、目を背けるべきではありません。
だから僕は、ある程度汚いことを受け入れて暮らしたほうがいいと思っていたりします。
別に、風呂も入らず掃除もせず洗濯もしない生活をするべきだ、なんてことを言いたいわけじゃありません。
↑の記事にも書かれているように、帝王切開で生まれた赤ちゃんには、あえて、母親の膣液を塗ります。
それは、結局、母親の膣液は「汚い」もので、そういった汚いものに触れることで、人間は強くなっていくからです。
先ほど書いたとおり、定住生活は、始まった当初から現在まで、汚さを加速させ続けてきました。
新型コロナのような集団感染症は、定住生活特有の現象です(狩猟採集生活を営んでいた先住民は、定住生活者が持ち込んだ集団感染症によってことごとく死に追いやられました。『銃・病原菌・鉄』を参照)。
だから、定住生活を続ける僕ら人類は、狩猟採集生活していた人類以上に、集団感染症を含めた「汚さ」に強くならなきゃいけなくて、で、その強さを手に入れる方法が、「汚さに触れる」なのです。
「汚さに触れて強くなる」は、僕も経験があります。
僕は、大学生の頃、昭和45年築の男子学生寮に住んでいました(当時は築40年ほど)。寮母さんがいらしたので、廊下や踊り場は掃除されていましたが、各居室は、男子大学生に任されていて、ろくすっぽ掃除されていません。
本当に汚くて、築40年モノのカビが舞っていましたし、水道管も、40年前に配管されたものをそのまま使っていました。
住み始めて2年くらいは、咳がとまらなくなる期間があったりしたんですが、3年目くらいから、咳も出なくなりました。
それに加えて、花粉症も症状が出なくなりました。
咳が出なくなったのは、身体が汚さに慣れたからだと思います。花粉症が収まったのは汚さのおかげかどうかはわかりませんが、中学・高校の頃までひどかった花粉症が、学生寮に住んでいる間に症状が出なくなりました(今年も、花粉症の症状は出ませんでした)
僕の経験がどれくらい一般化できるかわかりませんが、しかし、汚さに触れられる環境に住んでいたことは事実で、その間に、咳が出なくなりましたし、花粉症の症状も収まりました。
この経験を経ている僕としては、汚さに触れたほうがいいと思っています。そのほうが、汚さに対する耐性がついて、その耐性は、人類の汚さが倍増されている定住生活において必要とされる能力なのです。
汚さを忌み嫌っていると、汚さに触れて強くなった人たちに太刀打ちできません。
ある程度、汚いものに触れて(僕も、小さい頃は、野良猫や野良犬がどれくらいうんこしたりマーキングしたりしたかわからないような砂場で砂遊びしていました)、強くなったほうが、幸せな人生を歩めると思います。
細菌やウイルスに弱い体質だと、生きづらいので。
細菌やウイルスに触れて強くなる素質がせっかく人類に備わっているんですから、その素質を生かして、強くなったほうがいいと僕は思います。
それではまた明日!・・・↓
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