時代に合わせなくていいものがある
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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、700日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。
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【 今日のトピック:伝統 】
今日は午前中に歯医者の予定が入っていました。
いつもは自転車で行くんですが、今日はどしゃ降りだったので、久しぶりにタイムズカーシェアを利用して車を運転して歯医者へ行きました。
その道中流れていたラジオで、選択的夫婦別姓を取り上げていました。
「選択的夫婦別姓」については僕が言うまでもありませんが、現在の戸籍法のルール(夫婦はどちらかの名字に統一しなければならない)を、夫婦別姓を許容する制度(今でどおり、夫婦で氏を統一してもいいし、統一しなくてもいい)に変更するかどうか、ということです。
ラジオによると、選択的夫婦別姓賛成派が過半数だそうなんですが、このラジオを聞きながら、少し物思いにふけっていました。
言うまでもなく、選択的夫婦別姓の前提には、「男女平等」という思想が横たわっています。
男女平等だけでなく、「悪しき家制度への攻撃」も含まれているでしょう。
僕は別に、男女平等を否定するつもりも、家制度の復活を叫ぶつもりもありません。
合理的な説明がつくなら別ですが、合理的な理由もなく、男女に差を設けるべきではありません。
今でも、建設現場などで「女は入るな」とか「女は血が出るから」なんてことを言っているそうですが、普通に反吐が出ます。
また、家制度のもたらしていた束縛から人々が個人に解体され、より自由な人生を歩けるようになったこともすばらしいと思います(もちろん、これによって自由な人生を送れるようになった人と、より一層厳しい環境に追いやられた人たちの双方が存在することも直視するべきです)。
しかし、何でもかんでも、時代にあわせて変化させるべきかというと、そうじゃないと思います。
タイトルのとおり、時代の変化に合わせるべきでない事柄が、この世界にはあります。
例えば、伊勢神宮では、式年遷宮といって、20年ごとに建物をまるごと建て替えますが、これは、今でも昔の建築方法を続けているせいで、木が腐っちゃうからです。
地面にそのまま木で建物を建てれば、そりゃあ、木は腐ります。
しかし、「木が腐らない方法で建てればいいじゃん」とか「鉄筋コンクリート造にすればいい」なんて誰も言いません。「時代に合わせろよ」なんて誰も言わないんです。
これは、国家体制にも通じます。
フランスとドイツは、王制がなくなり共和国となりましたが、それに習ってイギリスで王制が廃止されることはありませんでした。
フランス革命は、間違いなく、当時の最先端だったんでしょうが、イギリスはそれに習いませんでした。
もし仮に、エリザベス女王やチャールズ皇太子が、イギリス王室の廃位を宣言したり、あるいは、フランス革命のように、市民の蜂起によって、エリザベス女王ががギロチンにかけられたりしたら、それは「時代の変化に合わせた」と評価できるでしょうか。
こういった残虐な方法ではなく、正式な投票によって皇室の廃位が決定したら、それは「時代に合わせた変化」と評価できるのでしょうか。
そもそも、国民は、民主的な投票によって、昔から脈々と受け継がれてきた国家体制を否定することができるのでしょうか。
僕は、やっぱり、イギリス王室や日本の皇室・皇統など、時代が変わっても変化させるべきでない事柄があると思っています。
時代に合わせず存続させることの価値を「伝統」と呼びますが、伝統には大きな価値があるのです。
・皇室が2600年前から男系によって存続してきたこと
・伊勢神宮では20年に一度の式年遷宮を継続してきたこと
他にも、
・ユダヤ人がユダヤ教を守り続けてきたこと
なんてのも含まれます。
ユダヤ人は、本気で、唯一神ヤハウェが世界を作り出した(旧約聖書の創世記)と信じていますし、その世界誕生から、史実として認められているダヴィデ王・ソロモン王の時代はつながっていると信じています。
ダヴィデ王・ソロモン王の時代って、2000年以上も前です。
そんな時代から、僕ら日本人からしたらアホらしいとしか思えない選民思想を、ずっと守り続けています。
最後の審判がやってきて、その中で、ユダヤ人のみが救われるという選民思想を、今でも本当に信じています。
この「選民思想」こそ、ユダヤ人がユダヤ人たる根源ですが、ここまで長い伝統を持つ選民思想を、ユダヤ人に放棄せよと世界中の人々が言っても、絶対に放棄なんてしません。
なんか、選択的夫婦別姓から話があっちこっちいきましたが、そもそも僕は、選択的夫婦別姓に賛成です。
戸籍上の氏(うじ)を統一することになった理由は、共同体全体で土地を受け継ぐという生存戦略が環境に適応していたからでしたが(共同体の構成員であることを示す記号が氏だったわけです)、今は、この理由は当てはまりません。
戸主という制度はなくなり、家督相続もなくなりましたが、それでも、夫婦で同じ名字という制度は残ったので、「夫婦の名字は同一」という伝統があるようにも思えますが、戸籍のあり方は、家族のあり方で変化していいと僕は思います。
今は、土地を共同体で受け継ぐ必要なんてありません。家族は、個人が自己実現するための安全基地として機能するべきでしょう。
土地を受け継ぐ共同体としての意味は既に失われていると思います。
だから、選択的夫婦別姓には賛成なんですが、女系天皇には反対です。
皇室・皇統は、日本という国の根幹です。日本が日本という国家であり続けられる理由が、皇室なのです。
なんか、言っていることがちぐはぐな気がしますが、家族のあり方は変化してきたにせよ、「共同体」すら不要となったとは思っていません。
自分が自己実現するには、共同体が不可欠であり、「家族」の存在は今でも大きいと思います。
そして、日本という国家共同体も、バラバラになっていいとも思っていません。
確かに、皇室・皇統なんてなくても、国家は維持できるかもしれません。フランスやドイツなどは、王室を失いながらも先進国として世界をリードしていますし。
アメリカなんて国は、最初から王室なんかありませんし。
ただ、日本は、国譲りの神話によって、縄文人から弥生人に政権交代して以降、ずっと同じ皇室・皇統が君臨してきました。
実質的な政治主体は、藤原道長とか征夷大将軍による軍事政権とか、民主制によって選ばれた政権など、いろいろと変化してきましたが、ずっと、天皇陛下の治める国だったのです。
僕は、日本という国が好きで、日本語が好きです。この国を失いたくありません。
豊かな国土で農作物を栽培し、漁をして、畜産・酪農する。日本の生産物は、ハチャメチャにおいしいです。
水も美味しい。
そして、日本語で話せる人たちがたくさんいます。
こういった「日本」という国を、後世に残したい。
男系天皇を廃位しても、こういった日本を受け継ぐことはできるのかもしれませんが、天皇陛下が治めてきた国なんです。
こんなふうにかくと、ただの愛国者ですが、皇室が政権を手に入れた経緯が非常に徳があります。
皇室って、前政権(縄文人)を完膚なきまでに征服するのではなく、神として祀りました。
敵国を讃え、神として祀る。こういった「国譲り」から始まったこの国に、僕はとても誇りを持っていて、そこから脈々と男系という伝統によって受け継がれてきたこの国を、僕らの世代も、受け継ぐ義務があると思います。
日ユ同祖論の動画でも見れば、もっと箔がつくでしょうか笑
まあ、いろんな考えがあっていいとは思いますが、
・2600年にわたって皇統が男系で続いてきたこと
・世の中には時代に合わせなくていいものがあること
この2つは知識として持っておく必要はあるかなと、今日は思いました。
それではまた明日!・・・↓
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