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#441 「ひとりで生きていかなきゃいけない」という固定観念はもうやめよう

【 自己紹介 】

※いつも読んでくださっている方は【今日のトピック】まで読み飛ばしてください。

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このブログでは,現在弁護士5年目の僕が,弁護士業に必要不可欠な経験と実績を密度高く蓄積するため,日々の業務で積んだ研鑽を毎日文章化して振り返っています。

日々の業務経験がトピックになっているとはいえ,法律のプロではない方々にわかりやすく伝わるよう,心がけています。スラスラと読み進められるよう,わかりやすくシンプルな内容でお届けしております。肩の力を抜いてご覧くださると嬉しいです。

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【 今日のトピック:支え合って生きていく 】

最近,近所でふと,井戸端会議を耳にしました。

話していたのは,40代~50代の男性たちでした。

「年金なんかどうせ貰えないから個人年金を掛けているんですよ~」

「結局,死ぬまでずっと働かなきゃいけないですよねぇ」

という世間話です。

日本政府の年金が貰えなくなるような緊急事態に陥っているのに,日本政府の年金よりも何倍も規模の小さい個人年金が貰えていることを想定していて,そんなことが本当に起きるのかという素朴な疑問が最初に浮かんでくるのですが,今日話したいのは,そこじゃありません。

まあ,将来年金が受給できるかどうかにかかわらず,給料を貰っていれば,給料から源泉徴収されて厚生年金保険料を支払う義務がありますし,給料を貰っていないのであれば,国民年金保険料を支払う義務があります。

それで年金が貰えなかったら,そういったどうしようもない政治家たちに投票した国民がリスクを背負ってしまうのは仕方ありません。デモクラシー(民主政)って,そんなもんです。

だから,年金が貰えるかどうかをどれだけ心配したところで,保険料納付義務はあって,国民年金なり厚生年金なりの保険料を納付しなきゃいけないのは変わらないので,あーだこーだ言う意味は全くありません。

僕としては,「年金」は「保険」なので,つまり,「今使えるお金を減らして将来使えるお金を増やす」ものなので,日本政府の年金以外に加入する必要はないと思います。

せっかくのお金ですから,若くて元気なうちにたくさん使っておいたほうがいいと僕は思います。

日本政府の年金すら,貰えるかどうか疑問に思っているにもかかわらず,さらに,「貰えるかどうかわからない」年金に加入して,今使えるお金を減らすのは,合理的ではありません。

日本政府の年金も,民間企業が提供している個人年金も,受給できるのは将来のことなので,そういう意味では,「貰えるかどうかわからない」のは一緒です。

しかも,年金問題は,必ず炎上するので(2007年の社保庁問題や,老後2000万円問題),日本政府の年金が受給できなくなる危険性は,かなり低いと僕は思っています。

むしろ,「年金はどうせ貰えない」というプロパガンダが広がれば広がるほど,日本政府は年金支給額を減らしやすくなるので,「年金どうせ貰えない」と自分が言えば言うほど,プロパガンダに自分も加担してしまい,本当に受給額が減ってしまうと僕は思います。

「年金なんかどうせ貰えない」と,無意味に嘆いて個人年金にも保険料を支払うくらいなら,法的な義務として粛々と年金保険料を支払うけれど,「年金はきっと貰えるでしょ」と年金をポジティブにとらえて,「年金なんかどうせ貰えない」というプロパガンダに加担しないほうがいいと思います。

さて,ちょっと前置きが長くなりましたが,僕が話したいのは,年金の話じゃありません。

「支え合って生きる」という,一見すると,意識高い系のテーマです。

僕は,めちゃくちゃに「意識低い系」を自覚しているのですが,そういった意識低い系の視点から見ても,「支え合って生きる」という考え方が大切だと思っています。

先ほど書いた,「年金なんかどうせ貰えないから個人年金を掛ける」とか「一生働かなきゃいけない」なんて言葉は,その前提に,「生活費を自分で工面しなきゃいけない」という思想がはっきりと現れています。

生活費を自分で工面しなきゃいけない=生活費をひとりで確保して生きていかなきゃいけない

だからこそ,「年金が貰えなかったら大変」なので個人年金を掛けるし,自分で働いて自分の生活費を稼がなきゃいけないので「一生働らかなきゃいけない」となってしまいます。

この考え方は,生活費の調達方法として,「年金」と「労働」しか頭にありません。

もっというと,生活するには「お金として生活費が必要である」という考え方にも一切の疑問を抱いていません。

これは,かなり危険です。完全に間違っています。

生活費を工面する方法は,年金と労働だけじゃありませんし,お金としての生活費が必ずしも必要なわけでもありません。

このことは,もう5年も前に,『魔法のコンパス』という本で,西野亮廣さんがめちゃくちゃわかりやすく書いています。

Amazon.co.jp: 魔法のコンパス 道なき道の歩き方 eBook: 西野亮廣: Kindleストア
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ホームレス小谷さんの例を持ち出して,「信用・信頼」があれば,働かなくても,生活保護を受給しなくても,生活を送ることができることを説明してくれています。

このエピソードから明らかになるのは,セーフティーネットは「お金」ではない,ということです。

お金ではなく,「信用・信頼」に基づいて,支え合うことのできる仲間がいること。それが,最後の最後に,命を救ってくれるセーフティーネットになるのです。

おそらく,明治生まれ・大正生まれの日本人の多くは,このことを理解していました。

意識的・無意識的かどうかはわかりませんが,当時,この世界にたった1人で放置されても生き残ることはできなかったので,生き残るために支え合いが強制されていました。

つい何十年か前までは,「支え合わないと生きていけない」のは,意識するかどうかは別として,「当たり前」だったのです。

でも,「支え合わなきゃ生きていけない」は「コミュニティへの束縛」を意味します。

自分が生まれ落ちた瞬間から,自分の意思とは関係なく,土地に縛られたコミュニティに強制加入させられ,脱退することもできない。

これは,めちゃくちゃに苦痛です。

どれだけ苦痛でも,コミュニティに所属していなければ生き残れなかったわけですから,生き残るために苦痛に耐えるしかありませんでした。

でも,テクノロジーの進歩によって,(表面的に見れば)コミュニティに所属しなくても生き残ることができるようになりました。

その結果,土地に縛られたコミュニティは崩壊し,「支え合あって生き残る」という「当たり前」は消えてなくなりました。

でも,いくら表面的には,コミュニティに所属しなくても生き残ることができるようになったとしても,それは嘘っぱちです。

支え合わなければ,誰ひとり生きていけないのです。

今の時代は,さらに,その傾向が強くなっています。

石器時代であれば,食べ物が自然の中にあって,それをいくらでも採集できましたが,今はそうはいきません。

あらゆる食べ物は,誰かが法律に基づいて「所有」しています。

買うなり貰うなりしないと,食べ物にありつけないのが,現代社会です。

ここで,多くの人は,「買う」にしか目が向かないのですが,別に「貰う」でもいいんです。食べ物にありつけるのであれば,買うと貰うに優劣はありません。

そうすると,「信用・信頼」が大切になってきます。

食べ物を貰えるアテを,信用・信頼に基づいて,たくさん作っておけば,「生活費」のしがらみからは解き放たれます。

生活費を稼がなくても,食べ物に困らないからです。

そして,お金として生活費を稼ぐうえでも,信用・信頼が物を言います。

別に,「年金」や「労働」だけが,生活費を稼ぐ手段ではありません。

もっとざっくり,「価値」を提供できれば,お金は集まってきます。

「働かなきゃいけない」「生活費は自分で確保しなきゃいけない」という考えに凝り固まっていると,「年金」「労働」というしがらみから,いつまでも解放されません。

この「しがらみ」がどれだけ苦しいか,僕は何度も仕事で目の当たりにしてきました。

1つは,破産です。

破産も,「お金は自分で工面しなきゃいけない」という考え方に原因があることがあります。

お金が足りないことを誰にも打ち明けられず,借金してしまい,借金したことも,家族にすら打ち明けられない。

特に,日本では,お金の話がタブー視されているので,お金について誰にも相談できないケースが多いです。

おそらく,「タブー」となっている大きな原因は人間の本能なのでしょうが(人類は貨幣経済がない状態で進化してきたので,貨幣経済を家族や友情の空間に持ち込むと本能的に「イヤらしい」と感じてしまう),単にお金に対する知識不足も大きな原因なんだと思います。

お金は,信頼や価値が可視化されたモノなので,お金を出せるだけの信頼や価値があれば,お金集まる仕組みになっています。そんな基本的な知識すら欠けているので,お金=イヤらしい,となってしまい,誰にもお金について相談できないし,お金について困っている自分をめちゃくちゃ惨めに感じてしまいます。

ほとんどの人がお金について知識不足なので,お金に困っていることは,何も恥ずかしくないのですが(みんな平等に知識不足なので,お金に困る・困らないに差が出る原因は,純粋に運のある・なしです。自分がお金に困っているとしたら,単に運が悪かっただけで,お金に困っていないとしても,それは単に運が良かっただけです。ただ,運次第とはいえ,お金の勉強を怠っていいことにはなりませんけど),お金について困っていることが,めちゃくちゃ恥ずかしく思えてしまう。

ここで,「支え合い」という考え方に目が向くとめちゃくちゃ良いのですが,多くの人はそうなりません。

・人間はひとりでは生きていけない

・支え合って生きていく

ということに思い至れば,返済できなくなるほどの借金を背負わずに済んだはずです。

そもそも,「生活費を自分だけで工面しなきゃいけない」という考え方に,リスクが大きすぎることにも気づけたはずです。

破産に加えて,もう1つは,離婚などの家庭の問題です。

離婚のケースも,「支え合い」の観点が欠けているケースが多いです。

「夫が家事を手伝ってくれない」とか「子育てしてくれない」という不満が蓄積して妻が離婚を請求するのは,よくあることですが,この不満の前提には,家事や育児を「夫婦のみでやらなきゃいけない」という凝り固まった考え方があります。

別に,夫婦だけで子育てしなくていいです。

いくらでも,家事や育児を外注すればいいです。祖父母に外注したり保育園に預けたりすることは多いでしょうが,ベビーシッターを使ったり,近所で子育てしあったりするなど,方法はいくらでもあるはずです。

こんなに忙しい現代社会で,夫婦共働きも当たり前ですから,夫婦だけで家事も育児もこなすなんて不可能です。

僕はまだ結婚してませんが,既に,夫婦だけで家事も育児もこなすことは諦めてます(笑)。

支え合えばいいんです。

支え合うには,信頼関係が必要ですが,信頼関係を築くには,最初の一歩が何より大切です。思い切って,最初の一歩を踏み出す必要があります。

昔と違って,今は,生まれ落ちた瞬間からコミュニティが築かれているわけではありません。自分でコミュニティを選び,作り出す時代です。

コミュニティを築けない場合,運良く,最後の最後まで幸せに生きられる可能性も少しはありますが,「生活費を自分だけで工面しなきゃいけない」というリスクを負い続けてしまうことになるので,得策ではありません。

家事や育児の負担を,支え合いで減らせれば,そんな良いことはありません。

両親の離婚は,子どもにとって,とてつもなく大きなストレスになります。

僕も,両親が夫婦げんかしているだけで,めちゃくちゃ怖くて不安になっていたことを思い出します。

僕の両親は,運良く離婚せずに済みましたが,離婚していたら,僕の人生も,悪い方向に大きく変わっていたでしょう。

【 まとめ 】

きれい事に聞こえますが,人はひとりでは生きていけません。

・生活費を自分で確保しなきゃいけない

・家庭の問題は自分だけで解決しなきゃいけない

こういった,「支え合い」の考え方が欠如しているせいで,大きな紛争が発生してしまったケースを,僕は仕事で何度も見てきました。

「支え合い」は,幸せに生き残るために必要不可欠な考え方です。

幸せに生き残るべく,今から,生活費を自分で稼がなくてもいい方法,そもそもお金がなくても暮らせる方法を,考えておくといいかもしれません。

僕も,そうします。

それではまた明日!・・・↓

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