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綴ることは生きること


好きだった人とお付き合いをしてnoteをはじめ、別れて休止、落ち着いたので再開した人。

きっとみなさんにはそう見えているだろうし、まんまあるこ としては間違いではない。

けれどそれは私が見せたい私であって私の全てではない。
私の1部ではあるけど私の全てではない。


実はもともと違うアカウントでnoteをやっていた。
苦しくて苦しくて、もう生きていられないかもしれないと泣きながら過ごした日々が書いてある。

きっとまんまあることは違う人間のように見えるだろう。
私は今、あの頃ほど苦しくもないし泣きたくもない。
彼女への気持ちは、

ああ、まだ泣けちゃうけど大分落ち着いた。

それでもたまに読み返しては心の中のもやもやと再び対峙する。
だって忘れてはいけないような気がするから。
あの頃の私があって今の私があるから。


なにもかも上手くいかなくて世界が敵だらけだと信じて疑わなかった。
私を大切にしてくれている人がいることはわかっていたのに、いつかその気持ちがなくなり変わっていくことに絶望していた。

全部全部、自分が自分を大嫌いだったから。


今好いてくれてる誰かに嫌われたらもう二度と立ち直れなくなるような、自分のことをそんな弱い人間だと思っていた。

そして好かれる価値なんかないんじゃないかとも思っていた。

それを「子どもだった」「甘えてた」と一言で片付けるにはあまりにセンスがない。
私には私なりの暗く辛い気持ちが、しっかりそこに存在していたんだ。


そんな中たったひとつ一度も疑わずに頼りきれたこと。
それが 言葉にすること だった。

人に本音を言えない私が唯一信じ抜けた、自分の味方。


汚くても弱くても足りなくても全部言葉にした。
生きていることを肯定できなくても文を書いた。


言葉を綴ることは生きることなんだろう。

苦しみの中でもTwitterで呟いていたように。
もっと長い文が書きたくてnoteを始めたように。
好きな人に言えない気持ちをnoteに書いていたように。
一度離れてもまた戻ってきたように。

私は稚拙な文を画面の中に打ち続けるのだろう。


もうすぐまたひとつ数が増える。
憧れていた大人の女性像はかなり遠くにあるけど今の私もこれはこれで素敵なんだと、やっと認められた。


これからもよろしくお願いします。
一瞬の人生の中であなたと出会えて幸せです。



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