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変容し続ける勇気と自分への信頼


今から3年ほど前から、急にクリスタルやスピリチュアル的な考えに興味の軸がシフトした。それまではおいしいご飯を作ったり、食べに行ったり、おしゃれすることが楽しみのごくごく一般的に普通の生活だった。
 
14年前から4年間、長期育児休暇を取っており、息子とともにシュタイナー幼稚園に通っていた時期は、どっぷりシュタイナーの世界に浸ってシュタイナー教育に夢中になっていた。それは主にシュタイナー教育のほうに重きを置いており、人智学の学びもあったがいわゆるスピリチュアルではなかったけれども、「この世界は目に見えない存在とともに在る」という考え方の素地はできていたと思う。
 
変化をいうものは、未知であるがゆえに恐怖でしかないのだけれど、クリスタルやスピリチュアルに関して興味が湧いてきた自分に関しては、かなり恐怖や抵抗があった。けれどその世界を徐々に知っていくにつれ、怖さや恐れが無くなっていったし、わからないけれど、自分からそういう欲求が生まれたことについて、受け入れることにした。(だし、自分からの欲求は抑えられなくなっているとも感じた。)

この3年ほど、スピリチュアルなものや引き寄せや脳科学等について触れてきて、いまやっと自分が今まで生きてくるために作り上げてきた社会的な自分という「着ぐるみ」に気がついてきた。いわゆる「本当の自分」に気が付いてきた。誰しも着ぐるみは社会に属しているので着ているものだと思うけれど、年を重ねていくと、着ぐるみを着ている時間が長すぎて、もはや気ぐるみ=自分自身になりすぎて、ほんとうの自分は何が好きなのか何をしたのか全く分からなくなってしまった。

これを少しずつ少しずつ解いていくたびに、「気づき」が起きる。これが本当に気持ちよくて素敵!時にはずーーっと頭痛が続いたり、もやもやする時期があったりもするけれど、それを超えて気づきがあると、自分の中の自分が癒されていくのがわかるんです。(これってやっぱり「自分」で気づくのがコツ。だからセッション受けるときには人はすごく選ぶ)

ものすごーーーくもつれたネックレスのように、学びには段階があるんだなと思う。これは私の性質だけれど、なぜかすぐに答えを知りたがったり真理に到達したくなるのだけれど、順を追っていくことに、学びがあるんだなあと、そしてそれはずっとこの肉体から離れるまで続くんだろうな、さらに、それこそが私の魂の望むことなんだろうな、と凪のような静かな気持ちで思っています。話がそれていますよね。

自分の中の観ていくと痛い部分も当然あるから、しんどいこともあるけれど、もう私はそれを味わうことを決めてきている、ということなので、勇気をもって飛び込む。流れが来ていることには逆らわないということ。今ではやっとここにたどり着いたと感じています。いくら素晴らしい方の書いた本を読んでもお話を聞いても、ブログを読んでも、セミナー、セッションを受けても、その時の自分に必要な学びや気づきがある、ということにコミットする気持ちになったというか。その方のおっしゃっていることすべて吸収しよう、理解せねばという必死な気持ちから、今は脱することができたように思います。
必要なことは、あとで必ず思い出すから大丈夫、と自分を信頼する心が、やっと芽生えてきたと感じます。

 変容の怖さや現代社会の在り方も関係すると思うけれど、この変容っていつまで続くの?終わりはどこ?私はどうなるの?という気持ちが意識の底に流れていたなぁと思います。そこに気づき、そしてある意味あきらめて、いまとても自己信頼のあるシンプルな気持ちです。何はともあれ、自分を信じるということがとてつもなく大事。何が起こっても伏線回収するのは肉体を離れるときにわかるんであって、答えを急ぎすぎない。効率ばかり考えない。自分をゆっくり抱きしめて信じる。大事なことはいつもシンプル、だなと思うこの秋です。
とりあえず書き直しもせず、えいっと出します。
読んでくださりありがとうございました。

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