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平成10年から同じ職場で働き続けて感じる狭域世界からの脱出ゲーム

今日は、令和6年2月2日。
私は、平成10年からずっと同じ職場で働き続けてる。それなりに人事異動があり部署は変わるので仕事内容や関わる人も変わるという変化はある。

大卒してから就職した会社があったんだけれど、そこは1年ほどで退社し、家族の意向もあり、公務員に準じた本社の就業規則に即したいわゆるお堅い職場で事務として働いている。
最初就職した会社は、That’s 民間で、しかも営業職だった。大卒で一人暮らししていくには、というお給料の使用用途を逆算をし、かつ関わりたい業種ということで広告代理店という業界に所属していた。そこでキャリアを積もうと前途洋々明るい気持ちで就職したのだった。ビギナーズラック的な嬉しい職務体験もあったり、しんどかったこともあったりしたが、早々にその会社を退社し、公務員に準じるような場所で働くこととなる。

その職場は、国家資格を有している方が多くいる為、一介の事務員として国家資格なしにいるということにおいて、今まで受験勉強したり大学に受かったりした経験なんてなんの意味もないということを思い知る。私って狭い価値観の世界にいたなあと、いつまでたっても感じることばかりだ。

20代からこの職場に身を置いてきて、いま40代。
子供もいるし、子供の受験を親として経験することで、社会に出て、受験勉強をしたことは職場において、なんの意味も持たないことを重々に身をもってわかっていても、子供には、自分の持っていた、握りしめていた価値感を押し付けてしまうことに気が付いた。その握りしめている価値観を手放したくても、外したくても、どうしてもなかなか手放すことが難しかった。
教えていただいた「統合」という手法や、ヒーリングなどもやってみたけど、手放すことは難しかった。
だってね、自分のことならいいんだよ。
子供のこと、子供の将来のことだと思うと、もう私の古い概念がビチーっと張り付いていて、「とりあえずは勉強して、そこそこの大学に進学して、いい仲間に恵まれてそこそこの生活ができるところに就職してほしい」といういわゆるレール的概念がまとわりつく。昭和から令和に変わってもなお頑なに持ち続けている😅


この価値観と同時に、40代になって「今更この職を失うわけにはいかない」という概念もあった。事務員という再就職時に経験年数をお給料に加味してもらえない職種において、今更別のところで一からのお給料で働けないよね、という価値観。
これは同僚ともよく話していたことで、とりあえず働いていればお給料がもらえるんだから、という消極的な生活のためという理由で仕事を続けている。だけどみんなそうしてるんでしょ?と、そうして、どんどん軽かった自分が重たくなっていった。


ここにきて、時代のせいか、潜在意識の学びのおかげか、私の場合はフラワーエッセンスも大きく関与していると思うけれども、随分バイブスが軽くなってきて、子供の受験や進路についても、随分さまざまなものが手放しできてきた。

まず第一に私たちは、この地球に体験しに来ている。
私は、こうやって会社に勤めることや、今まで、これからのことも経験しようと生まれてきている。その体験にいいとか悪いとかのジャッジは一切ない。ただいろんな体験をしたいと生まれてきている。
そこに子供として私のもとに来てくれた子は、ここでこの時代に生まれてこようという意思で生まれてきている。そこで体験することを親であっても奪ったり邪魔をしたりしてしてはいけない。ということが、頭だけではなく、腹落ちという感覚でわかってきた。
第一子である長男は私にそれを教えてくれたんだな、と感じている。ありがたい魂よ、と思う。
これを統合などでどうすることもできなかったのに、これが腑に落ちたのは、私の場合は、この私の価値観は
私を守ってくれていたんだとわかったから。
私はこの世界でよりよく生きようと、そうするにはこの価値観で生きればいいんじゃない?と外的内的に強く思い込んだためだ。

そこに気づき、そうだったね、とその価値観で私は私を守ろうと、この世界で生きていくために必要だと思ったよねと、自分で認めることで、一気に世界が広がった。

私が今の仕事を生活のためにやめられないのは、根底は同じ価値観からだ。
結局私は生活のために、今の仕事を選び(親にいわれたこととしても自分で選んだから)、そしてそれを続けてきた。息子の人生はじめ誰の人生にも、起こることすべてに必然があり、その必然は長いスパンでみることであり、正解は間違いと表裏一体だし、正解間違い成功失敗なんてないということ、これがわかってきた。

長い間、ほんとうに長い間、狭い世界観で生きてきたなあ!と思う。こうやって自分の持っていた価値観にもそうだよねと認めることで、全然世界観が変わってくる。狭い世界から広い世界へ。

すぐに職をやめる必要もないけれど、いつでも辞められるという気持ちが芽生えてきた。辞めてもいいんだよ、と許可を出してあげること。自分を認め愛し労わること。20年以上ともに歩いてきた価値観と、さよならをする時がやってきた。
いくつになっても、世界観は変わるし、狭い世界からの脱出はわりとすぐにできるかもしれない。
こちらのページにきてくださって長文を読んでくださって、どうもありがとうございます!!

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