見出し画像

産休について

子供を産みながら、仕事をするということにまつわる問題は、どこの業界にもあるのだろうなあ、と思った。

私の会社でも、産休問題はあって、
とる方はもちろん、とられる方も
お互いにしんどい。

私は、妹が実家で子供を産み、しょっちゅう帰省もするし、家に来て子守りを手伝ってほしいと言われたりするので、産み育てているのを間近で見ることができた。

そして、断片的ではあるかもしれないが、
子供を産み育てることが、どんなに大変であるかを知った。

新生児のうちは、自分の時間等なく、昼夜問わず
赤ちゃんの都合に合わせて生活しなければならず、妹は、常に疲れていて、出産の影響で、
ホルモンバランスも崩れて、
よく情緒不安定になっていた。

幼児と言われる年齢になっても、ちょこまか動く
子供からは、目を離すことはできず、
ご飯にしても、着替えにしても、
なかなか言うこときかない。

スムーズにいかないのが、子育てのようだ。

私は自分自身で、子供を産んでいないので、偉そうなことは何も言えない。

でも、私が、結婚を目の前にして断った理由も、
子供を産み育てながら、仕事をするのは無理だなと思ったことが、1つ大きな理由としてあった。

だから、子供を産みながら、働くお母さんを
尊敬する。

でも逆に、産休をとる人をフォローしなければならない人も大変な苦労と、不満を抱えることとなる。

まず、その人がいた部署の人間は、1名減分を
働かなければならない。

補充があるような企業が良いと思うが、
私の会社では、補充はなく、いない人間でも、
1名とカウントされる。

つまり、不足分は自分たちでなんとかせいやという訳である。

産休が開けても、時短や家庭があるからということで、重たい仕事は出来ないし、急な休みや早退も増える。

子供を産んでから、何年もの間、
周りの人間がその穴埋めをし続けることになる。

産休の人が複数人いれば、複数人分フォローし続けることとなる。

文章にすると、
大したことではないように思われるが、
実際に自分が、残される側となると、
人間はそんなに出来たものではなく、
大体の人が不満を感じる。

それは、産休をとる側にも伝わり、
とりづらくなり、少子化が進むという寸法だろう。

政治のことはあまりよく分からないので、
偉そうなことは言えないが、
そもそも世の中の仕組みとして、
どうにも、無理しないと回らないように出来ている気がする。

誰も幸せになれない仕組みがそこにはある。

教員の世界でも、お子さんのいらっしゃる先生達は、(特に若い世代)男女問わず、担任や部活を持つことを嫌がる先生が多いと聞いた。

やはり、当たり前だけど、
子育ては大変なので、男親であっても、
協力が必要なのだ。

でも、自分の子供には、部活もさせてあげたいし、
ちゃんと担任の先生のいるクラスで見てもらいたいという親心があるらしい。

産休に入るのに、代わりの先生がいなくて、
担任がいないクラスになってしまいそうに
なっているという話も聞いたことがある。

誰が悪いとかじゃなく、もう、仕組みとして
そうせざるをえなくなっている。

私達は、そうまでして何故必死に働かなければ
食べて行かれないんだろう。

ここからは、私の勝手な意見であるが、
例えば、学校だって、あんなに長時間拘束される
必要があるだろうか。

読み書き、足し算引き算、割り算かけ算くらいまでは、必須にしても良いかもしれないが、
そこから先の高度な勉強は、
それを極めたい子供が選べる仕組みがあっても良いのではないか。

皆で一緒に何かをする喜びはあった方が良いだろうから、体育祭や音楽発表会なんかあっても良いかもしれないけれど、毎日8時間近く、学校という場所に拘束されて、決められたクラスで過ごす必要性が分からない。

もっと、私達は、選べる自由があってもいいのではないだろうか。

大昔じゃないんだから、学行へ行かないからと、
浮いた時間を働かせる とかではなくて、
興味のあることを学べるようにするとか。

高校生くらいまでは、国から補助が出て、
興味のある分野を学べるとか。

その代わり既存の小学校中学校の制度を失くすとか。

なんとなく、学校(特に小学校から高校生)って、
会社で従順な人間を作るためのシステムな気がする。

そのまま、社会人になって、上からの指示に従順に従う。

そもそも人間って、そんなに長時間、
大人しく座って、人の話を聴くようには
出来てないんじゃないかな。

企業だって、毎年毎年新商品を開発する必要が
あるのだろうか。

銀行だって、無理やりお金貸す必要あるのだろうか。

本当に必要なものを作ったり、必要なところへサービスを提供したりするのは大切だけど、
社会の中で生きていると、「?」という瞬間は多い。

でもそれは色々な要因があってそうなっていて、
その要因の1つに自由競争もあるのだろう。

そうすることで、得られる安定的収入があることも
間違いない。

不要な所に使われている、人材や資源やお金や時間が、本当に人々が求めている所へ配分される社会があればいいのになあ、なんて夢みたいなことを考える私である。



この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?