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八月の御所グランド&十二月の都大路上下ル 万城目学の不思議さは優しさ

 2024年1月が過ぎ行く。もうなのかまだなのか分からない。大きな災害、事故から始まってしまった。阪神淡路大震災も東日本大震災も日航機墜落も、過去の戦争も、理不尽に命を落とされた人たちの全てに思う。
「みんな生きたかったろうな」
「みんなちゃんと生きれているか」
八月の御所グランドを読んで、投げかけられた言葉を噛み締めている。

 二編の主人公が出会う不思議には共通点がある。かつてその場所で生きた人たちがいたと言う真実。1年が永遠に繰り返される時間の中で、同じ暑さを寒さを感じながら巡る季節を私たちは生きている。

 『十二月の都大路上下ル』かけると読む。駆ける。
 上がるとか下がるとか、東西南北とか、方向音痴にはわからない。例えば初めて職員室に入った新入生が前の扉か後ろの扉か、自分が入ったのはどっちだっけ?廊下に出たけど右から来たっけ左から来たっけ?一か八かで進んだ先は3年生の教室だ。ぐるっと1周して1年生の教室まで戻る決まりの悪さ、超方向音痴ってこんなもの。自分の方向音痴に気付いた日、中学1年生の私だ。山でもないのに方位磁石を持ち歩いていた成人した私のことだ。主人公陸上部駅伝メンバー「坂東」のことではない。
 その「坂東」も超方向音痴だ。コース下見に出かけた場所で迷子になる。さっき通った場所に戻れない。でもまだお気楽補欠部員だからどうってことない。

 しかしその夜「坂東」に一大事が訪れる。超方向音痴女子お気楽補欠部員が慌てふためく選手への繰り上げ。それもアンカー。

「まず寝ろ!
大丈夫だ、沿道にはコースを囲むように見学衆が声援してくれてるはず。迷うわけ無い。
コースに出たら1つ前の背中に追いつけ追い越せ、決めたライバルに食らいつけ。」

 私が勝手に描いた「坂東」の心の声だけれど、昔陸上部で駅伝の応援に心躍らすお気軽応援部隊の私の声でもある。女子部員に長距離選手が在席しなかったので男子チームを応援するしかない。「ファイトッ!サカトー!」こんな感じで叫ぶの大好きだったなあと高校生の自分にリンクするのだ。「坂東」はちゃんと眠れただろうか。

 迎えた当日、コースに出た。ライバルを決めた。腹をくくった。走り出したら強くもなれる。その結果不思議な体験が付いてきた。
ライバルと二人にしか感じられなかったモノがあった。ライバルに必死に食らいついて走る走る走る。二人だけに共通したものはたぶん速度だ。振動が離れた場所に共鳴するように速度が共鳴して、同じ時刻に同じ速度でそこを駆け抜けていたモノと時空を共有した感じというのが私の理解だ。かつて都大路を上下回って(駆け回って)いた人たちが実在したこと、その超有名団体を絶対皆知っている。

 今年の大阪女子マラソンの前田選手に一時並走したのは彼女の父だった。中継見てると選手と一緒に走り出す人って絶対いる。すぐに選手に置いて行かれるんだけれど。「坂東」がラン中に見たのもそういう人だと思ったんだろう。いや思おうとしたんだろう。

 忘れちゃいけないのが超方向音痴「坂東」ということだ。道を外れそうになった時聞こえた声は誰の声だったのか。
自分のタイムを更新するほどの自分を引っ張ってくれたものは、何だったのか、誰だったのか。
「坂東」は食らいついた。食らいついたおかげで見えたもの掴んだものがあった。勇気、自信、友情、目標、思いやり。青春時代に欠かせないモノ、大人へ向かうためのエナジーだ。

 替わって翌日お気楽陸上部員に戻った彼女の京都のまち中フリータイム。昨日のライバルと出会う。確かめたかったっことがお互いにあった。そして確信に変わった。
 「坂東」の超方向音痴は変わるはずもないが、来年の大会に再び京都のまちを走る決意と約束を心に集合時間の京都駅に駆けて行った。駅への方向は大丈夫だろう、頼りになるチームメイトが一緒なのだから。
京都の冬は熱かった。

 季節は変わって本当に暑すぎる京都『8月の御所グランド』
夏休み中京都から実際どれだけの学生が姿を消すのだろう。
残った学生たちはアルバイトや、部活や、卒論や、就活に、その時は気付かない青春を燃やすのだろう。
京都居残り組の「俺」が嫌々巻き込まれたのは真夏の早朝草野球だ。その「俺」は、敗者だとかなかなかの根暗を見せつけてくれるので、夏の太陽がよけいに眩しそうだ。
夏休み、酷暑、早朝、お盆とかメンバー集めにも苦慮しそうな条件下、なぜか揃う草野球チームのかつかつ9人。その秘密が明かされていく中で、野球研究家でないと知らないような事実を知ってその冠の付いた賞が違って見えてきた。そのころの「俺」もまた随分違って見えてきた。

 選考委員の林真理子氏の書評は、普通のことを書いて感動がある小説を書くことをやってのけた作品だと称賛されていた。
実人生でも普通の中にある感動を見つけていけたらきっと生きることは幸せなのだと思う。嫌々やったことをやり終えた時ってけっこう充実感があるものだと経験値で思う。
八月の敗者だった「俺」は何かを掴んだようだ。足りないものを知った君はきっと周りからも魅力的に見えているに違いない。

頑張れ青春の中にいる君等。

 万城目学様、直木賞受賞おめでとうございます。『偉大なる、シュララボン』が出合いでした。琵琶湖の架空の島ではあるけれどあの島(竹生島)しかないと思う地元民。あれからずいぶん年(齢)を経ましたが、万城目氏が描く不思議は変わらず優しさを含み、青春をずっと昔に置いてきた者にも掴み取れそうな場所に、甘くて辛くて楽しくて苦しくて、でも輝いていた青春があって、草野球のメンバーに名乗りをあげたい自分がいました。都大路の沿道に立つ「Fight!ガンバッ!」と叫ぶ補欠部員の自分がいました。
かつて、陸上部とソフトボール部に在籍した私にとって、懐かしさに包まれた記憶と、現在を生きる青春の眩しさが混在する最高の2作品でした。


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