へんこの波乱万丈エピソード編1️⃣💜💜

私は❗酪農家の長女に生まれ、妹二人😊
家は藁葺き屋根に土壁
夏は藁葺き屋根に植物が生えていた
幼少期は毎朝牛のべぇ~とニワトリのコケコッコ~で
目が覚めた🎵

夏は近所の川で魚釣り。家の裏にえさとなる太いミミズをオモリのついてない木の竿にテングスをひっかけ針にミミズをさし川へ出陣
深い所にぞっとミミズを入れたとたん竿はシノるシノる
この感覚はなんとも、忘れられない躍動感で病み付きになりもっと深いところへ。
なんと、足を滑らせドボーンと深い所に落下😱
なんだか、川底を冷静に見ていた自分にびっくり、私は泳げません😆
魚は元気よく泳いでいたけど 母に方告したら普段怒らない母が
もう、行かないでと顔がご立腹
母の気持ちをよそにそれからも
毎日雨の日以外は釣り、釣り
うぐい釣り三昧😄
釣りに少し飽きてきた私は木登り、牛舎の屋根を暴走、トラックの運転席の荷台にに座り、親の運転で農道を走り、気分爽快😁
冬はボブスレー、ミニスキー、肥料袋まで、出して来て畑を滑りまくってまくり😆
そんな、活発な私の苦手は自転車
2年生位まで補助輪が付いていた
1年生の朝の登校の時、後ろから車が来たので、ハンドルを畑の方向に向けて切り、そのまま自転車ごと、畑の手前の草むらに落下。 農道は道路にガードレールはない
私を追い越した運転手さんが私を起こしてくれた。鼻を強打して傷がついた。学校に行かず、自宅に戻る事に 今は立ちこぎ出来るまでに😊それから、2年後のある朝スボンのお尻の辺がほころびていたので、縫い物になれていない私でも、これくらい縫えるわと思い裁ちハサミで、お尻の縫い目をエイと、持ち上げたら右目の黒目に直撃、あいたたたたー😱
その状態でも、自転車をこいで、学校へ。先生達は早く眼科に行きなさいと、大慌てで先生は車に私を乗せ私を藁葺き屋根の自宅に送る。父に眼科に連れて行ってもらい手術するか、しないかを経過観察となり、手術は受けずに1年半眼科に通う日々。今も右目は視力0.1のまま😅その後、中学生になり前歯4本は差し歯になっていて給食を用意していたらクリーム色のバットに笑った瞬間差し歯が、4本一気に飛び出し、慌てて口に戻す。誰も見てないはず。
日にちを変えて又 笑ってたら
バットに落ち同級生は爆笑
慌てて、拾うがトラウマになり
笑わないようになった。

中学生2年の夏の学校帰り
若い人が車の中から私の事を呼んでいる。運転席の窓を開けたら太ももら辺に雑誌が乗っていた
何を会話したかは覚えてないけどいきなり雑誌を左へずらしたら 見たことない物があり、よくわからないけど、一応、キャーって言っておいた。
やがて近くの高校に通い
あだ名はへんことなり、笑わない私はリアクションが、面白いとクラスのある意味人気物に。
初彼氏出来てデート中 トイレに行かず、帰りの電車で膀胱パンパン。 食事も口はおちょぼ口でぼろぼろこぼれ恥ずかしくて顔は真っ赤。早く家に帰りたい。
高校卒業の時は速記者になりなくて担任の先生に聞いたら東京に行かないと仕事はないと言われ
東京が日本地図に載っているて思ってなく世界に行かないとならないと勘違いから私の卒業後の人生は始まった。

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