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いかのおすし⑪ 【昼休み】

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《美桜》

公園の時計を見たらもうすぐ12時半。
散歩してる犬が遠くでキャンキャン吠えてる。

「保護猫の譲渡会」は遠くからしか見られなかった。「なでてもいいですか」って聞いたら「まずは親と一緒に受け付けしてください」って言われちゃって。

がっかりだよ。この前みたいなドーナツ屋さんもないし、つまんない。

本物の大きな川には危ないから近づかないけど、芝生にあるニセモノの川は小さな子も入って遊んでるから、靴下を脱いで足先だけ突っ込んだ。

ぬるくてお風呂みたい。これもがっかり。

本物の川は、冷たくて気持ちいいって友香ちゃんが言ってた。
本物はずっと流れていていつも新しくてきれいな水。
ニセモノは、ずっと同じところを回っていて汚い水。

でも、少しくらい汚くてもいいか。
がっかり続きの今日、たっぷりアンと話ができたんだから。

「将来、美容師になろうかなって思うんだ」
「いいね」
思いきってアンに言ってみてよかった。
「いつもママに切ってもらってるから美容院に行ったことないんだ。美容師さんとお友だちになりたいな。あ、いまでもママに切ってもらってるってナイショにしてね。ビンボーくさいから」
アンは少し笑ってくれた。
「アキラさんは美容院で働いてるって言ってた」
「ん? アキラさん?」
「うん。えっと、中島アキラさん」

ああ、そう言えば。
この前のひと中島って名前だったね。アキラって名前なんだ。なんでそんなことまで知ってるんだろう。アンはこの公園によく来るから、もしかして前から知り合いだったのかな。
ちょっともやもやした。
もしかして中島さんのこと好きなのかな。そういえば、最初から親しそうに話をしていた気もする。
そう考えてたら急に恥ずかしくなった。
違う違う。何言ってんの。そんなわけないじゃん。大人と子どもだし。親子みたいなもんだよ。

「もうちょっとあっちに行こう。日陰のほう」
アンに言われて、リュックとくつを持って裸足のまま向かう。アンは水遊び用のサンダルだから歩きやすそうだけど……。
「うわぁっ」
ぬるぬるした石の上で足が滑った。手をついてぎりぎりセーフだけど……。
「たぁすけてぇ」
情けない声しか出ない。
「だいじょうぶ?」
アンが慌ててブリッジしてるみたいな私を起こしてくれた。やせてるのに意外と力持ち。
「あー。スカート、濡れちゃった」
アンに見せたくて履いて来たチェックのスカート。ベージュの部分は濡れると分かりやすく色が濃くなって、カッコ悪い。
「うんこ漏らしたみたいだよ」
恥ずかしいから、わざと汚いこと言った。
「あはは。うんこ、うんこ!」
アンも手を叩いて笑った。アンが口を開けてこんなに笑う顔、ひさびさに見たかも。そう思ったら、もっとおかしくなってきた。ふふ。あはは。

アンは手を伸ばして、わたしの手を取ろうとする。
「そこ、気をつけて」
「あは。あはは。ありがと」
濡れた手をスカートで拭いて、そっとアンの手を握る。
はずかしいなぁ、もう。



日陰の大きな石の上に並んで座って、真剣な顔のアンの横顔を見る。まつ毛が長くて、いいな。
「あ、そういえばアン、今日やりたいことがあるって言ってたじゃん?」
アンは、ゆっくりわたしのほうを振り返った。
「先週そう言ってたよね。友香ちゃんとわたしに、応援してほしいって」
アンは、そっと笑ってうなずいた。
「やりたいことってなに? いつやるの? がんばって」
アンは、また前を見て小さな黒いリュックをぎゅっと抱えた。

3年のとき、消防署の社会科見学に持ってきてた黒いリュック。
「なんだコレ、パクリじゃん!」と木村のバカにバカにされてたリュック。他の子も「チートだ、チート」とか言い出して。
友香ちゃんが急に怒りだしてバカ木村にバケツリレー用の水をぶっかけたときのやつ。わたしもヒナタも、アスカちゃんまで男子に水かけまくって、みんなでひどく怒られ……。

「うん。美桜といると勇気がでるんだ。だから、背中を押して欲しいんだ」

背中を押す? 
あ、この前ドリルに出てきた言葉だ。日本語くわしいな。
「いいよ。どーんと押してあげる。どこで押せばいいの」
「公園から帰るまで。中島さんに会うまで、そばにいて」
そういえば先週、中島さんと会う約束したとか言ってたな。すっかり忘れてた。
「そんなんでいいの。いるよ、もちろん」
「一人になったら逃げてしまいそうだから」
逃げる? どういう意味だろう。へんなの。
「あ、でも1時に帰るってママに言っちゃった」
公園の時計を見て、そっか、ざんねん、とアンは泣きそうな顔になる。

大変。背中押すって言ったんだから、押さなくちゃ。
「あ、どこかに公衆電話ないかな。ママに電話して何時まで公園にいていいか聞いてみるよ」
「それなら、この電話使っていいよ。兄さんの借りてきた」
アンは急に笑顔になってリュックをごそごそ探りだした。
渡されたスマホは、12時32分っていう時計しか出てない。
勝手に触っておかしくなって「先生に言うよ」って言われたら嫌だからアンに返した。まあ、アンはミクみたいなイジワル言わないと思うけど。
「電話のかけかたわかんない」
「ママの番号いくつ?」
「えっとね。090の……」
覚えているママの番号を言うと、そのままアンがボタンをぽんぽん押して私にスマホを渡した。
「えっ。かけちゃった?」
まだママになんて言おうか決めてないのに。心の準備もできてないのに。
ママ、帰ってきなさいって言うんじゃないかな。やばい。どうしよう、どうしよう。

でも、しばらく待ってもママは電話に出なかった。
「ママ、お仕事中だから出ないみたい」
笑ってアンにスマホを返した。



待ち合わせしているっていう中島さんがなかなか見つからず、しばらくは石の上に座ってぼーっとしてた。
石の上にも三年。
ふふ。わたしだってことわざいっぱい知ってるし。それにしてもおなかすいたなぁ。
水筒の中の「ひょうざんのいっかく」をガリガリ齧っていたら、アンが「アキラさんだ」と言って急に走り出した。
「え。まってよ」
わたしは、くつ下を慌ててはいた。
「まってよぉ」
靴のかかとを踏んだまま走る。
もうっ。一緒にいてとか言ってたくせに。やっぱり中島さんが好きなのかなぁ。ひどいよ。

中島さんに会ったら、きちんとご挨拶しないと。
いつもお世話になってます? 違うな。なんか違う。

考えながらアンのところに行ったら、中島さんが車いすに座ってたからびっくりした。
「どうしたんですか。大丈夫ですか」
「アキラさん、けがしてるんだって。約束した場所、ここじゃなかったんだって。向こうの駐車場から探してたらしくて」
アンが代わりに答えた。わたしは、ちゃんとした挨拶してないことに気付いてたけど……まあいいや。
「悪いけど、向こうの駐車場までいくよ」
中島さんは車いすの操縦に慣れてないのか、すごく疲れたような声で言った。
「よかったら、イス押しましょうか」って声かけたら「ありがとう。助かる」と笑ってくれた。
よかった。

公園の中のアスファルトをゴロゴロ進む。
中島さんの着てる服が、車いすがガタンと揺れるたびに少しヒラヒラする。おしゃれな服。やっぱり美容師さんはおしゃれさんだ。
中島さんが、怖くないように。急がず。石とかあったら大変。ゆっくり。
よしよし。わたし、なかなかうまいぞ。
ママが怪我しても、おばあちゃんになっても、お手伝いできそう。

小さな駐車場についてアンが車のドアを開けると、中島さんは「よいしょ」って言いながら運転席に座った。
「運転はできるんですか」
「うん。だけど車いすを畳んで乗せるのが……」
中島さんの声は疲れてる。助手席には松葉づえも置いてあった。
「わたし、やります」
この前、体育委員で最後の片付けも手伝ったから畳み方も知ってるもんね。
足をのせてた台をあげます、シートを持ち上げます……アンと一緒によいしょと持ち上げて、言われた通りにトランクに入れた。
「乗って」
ほっと一息ついたところで、中島さんはアンに向かって言った。乗ってと言われたアンはリュックを前に抱えて素直に助手席に乗ろうとする。
「アン、どこ行くの」
「すぐそこのマンションだから。降りるときも手伝ってもらうよ」
中島さんがアンに言った。
「あ、じゃあ、わたしも手伝います」
すぐそこなら。ちょっとだけ手伝おう。
「アンは車いすのことよく分からないでしょ。わたしのほうが慣れてる」
すぐそこに見えるマンションからなら、歩いてすぐに帰れる。怪我してるし、困っている人は助けないといけない。
知ってる人なんだから優しくしないと。
思いやりの心が大切だよね。

わたしは後ろの席に座った。

中島さんは、なんでか分かんないけど大きなため息をついてから車のエンジンをかけた。



車が走り出したらマンションまでは本当にあっという間だった。
そのままゆっくり通り過ぎたときは、どこの入り口から入るのかな、って思っただけだったのに、車はぐんぐんスピードをあげてマンションはどんどん遠くなった。

「あれ? いまのマンションじゃないんですか?」
中島さんの後ろ姿にそっと聞いてみた。
「美容院に連れて行ってあげる」
「美容院?」
「そう。今日の御礼に髪の毛セットしてあげる。もし切りたいんだったらカットもするよ。パーマは無理だけど」
「え。ほんとですか」

中島さんはアンに話しかけてたみたいだけど、わたしもやってもらえるんだよね? わたしは編み込みしてくれたら嬉しいな。中島さんならできるはず。

アンはずっと静かに外を見てる。嬉しくないのかな。きょねんからずっと伸びっぱなしの邪魔そうな長い髪。今日やりたいことって、切ってもらうことだったのかな。
「あ、見て。お巡りさんがいるよ」
信号のところでお巡りさんが車を停めようとしてたのが見えた。制服を着たお巡りさんはかっこいいから好きなんだ。
でも中島さんは手前で曲がったからよく見えなかった。
「違うよ。あれは警備員だよ」
なんだ。ニセモノか。

車はスピードをあげてどんどん走った。



思ったより遠くて……。
気づいたら寝ちゃいそうだった。
いや、寝てたかな……。
寝てる間に誰かの話し声がずっと聞こえた気がする。子守唄みたいだったよ。

外の景色は田んぼと古い家ばっかり。遠くの山がけっこう近い。今、何時かな。やばいな。
前にも後ろにも車は走ってない。小さな交差点の赤信号でとまった。
横を見たら「おはら商店」って看板。

ぐぅぅぅぅぅぅぅ

看板に書いてある「パン」の文字見たら、おなかが鳴った。
はずかしいなあ。
車は、お店の駐車場に入った。
「やっと起きた? 途中のコンビニで呼んでも起きないから困ったよ。ここで好きなジュースとかおやつとか買ってきていいよ。お金あげる」
中島さんがそう言って千円札を1枚、わたしに向かって差し出した。
「え、いいんですか!」
はずかしいけど助かった。ぺこぺこだったよ。
「三人ぶん適当にゆっくり選んで。ここで待ってるから早く降りて」
中島さんに「早く」とせかされて、千円は多いですよとか、自分の分は自分で払いますとか、そんな言葉もでなかった。すぐに降りてお店に入った。

「いらっしゃい」
お店のおばちゃんは、わたしをチラっとみて、またすぐ他のおばちゃんたちと3人でおしゃべりを始めた。

――サカタの実習生がまた逃げたってさ。そうなん? 工場はとっくに潰れてるでしょ。でもなんか外国人集めてるよね。実習生じゃないん?

わたしは、お店の奥の冷蔵庫をのぞきこんだ。
2リットルのペットボトルの方が「お得」だからママならこれを買う。でもコップを洗うの面倒だから、きょうは小さいの3本かな。

――逃げてきた外国人集めてどっか売り飛ばすんさ。うそよ。ほんと。もともとだまして日本に連れて来るん。クリハラさんの桃、また盗まれた。困るねえ。さっき、サカタの二代目が金ぴかの時計して……

このパンおいしそう。いくらかな。3つも買ってお金足りなかったら困るな。いや、わたしも少しならお金もってるからいいか。消費税はいくらだろ。レジにいるおばちゃんにパンの値段を聞きたいけど、いつまでたってもおしゃべりが途切れない。

――工場で変な声が。ブタの解体、あの国は。違う子供の声。虐待? あそこんち子供いないんね。お婿さんはいい人。そうそうイケメン……。

職員室だったら「お話し中すみません。高橋先生にお話しがあります」って声かけるとこだけど、めんどうだなぁ。
ふぅ、とため息をついて外で待ってるはずの車をちらっと見た。

「えっ!?」

さっきとめた場所に、車がとまって……ない。

買い物カゴを持ったまま走ってお店の外にとびでた。おしゃべりおばちゃんが「ちょっと!」と張り上げた声が背中にささる。

車は……どこ?

わたしを追いかけて外に出たおばちゃんに「アンタ!」と肩をつかまれた。

うそでしょ? 車はないし、道の右にも左にも走ってない。

「万引きする気かい?」
そう言われてふりかえった。
頭にスカーフを巻いたおばちゃんの顔をみたら、なんだか急にあたまきた。

おばちゃんたちがいつまでもいつまでも話をしてるから置いて行かれちゃったじゃないか!

そう言いたいのをこらえて、ムッとしたまま店にもどり、買い物かごをレジにドカンと置いた。

「これいくらですかっ」
「おや。万引き失敗だね」
「ちぃーがいますぅー!」

わたしは千円札をたたきつけた。
「まぁ、まぁ。大丈夫だよ。払ってくれれば」
こっちは大丈夫じゃないんだけど!
「いち、にい、さん…600円だね」
100均かよ。消費税もないのかよ。
「ふくろは10円だよ。いる?」
10円って! 高すぎ!
「いーりーまーせーんー!」

スカーフのおばちゃんをひとにらみしてから無理やりリュックにお茶を入れた。パンも入れたいけど、どう考えても入りそうにない。
急に涙が出そうになった。

3人分、買ったはいいけど、どうすればいいの。

パンはひとつだけリュックに入れて、ふたつは手に持ったままお店を出た。
キョロキョロ見渡すと、先のほうに茶色の電話ボックスが見えた。
まんがいちのときは、このテレフォンカードでママに電話するんだよって、むかし教わったことを思い出した。
でも、それを教わった次の日、さっそく「おやつどこ」ってママの仕事中に電話したらめっちゃ怒られた。どうしても困ったときにだけ使うんだって。

どうしようかな。テレフォンカードは持ってる。ママに迎えにきてもらえるかな。でも……。

「あんた、どうしたん。さっきの車に置いて行かれちゃったん?」
首にタオルを巻いたおばちゃんが笑いながら出てきた。
わたしは、ほっぺをふくらませたままうなずいた。
「やれやれ、困ったお母さんだねぇ。叱られたん?」
エプロンをしたおばちゃんも出てきて言った。
わたしを置いてったのはお母さんでもないし。叱られたわけでもない。だって、悪いこと何にもしていないし。
だんだんムカムカしてきた。

だいいち、中島さんがアンだけ連れてどっか行くなんて気に食わない。なんで私に冷たいんだろう。親切にしてあげたのに。ヤな感じ。

「あの。このへんに美容院ってありますか」
「美容院? あったっけ」
「サカタ金属んとこの、あの床屋じゃないの」
床屋と言われてちょっとムッとした。
床屋と美容院はちがいますぅー。
「ああ、あそこのお婿さんの。中島さんとこでしょ」
あ、そうそう。たぶん、そこ。
「イケメンなのよねぇ」
話がまた長くなりそうだから、慌てて「どっちですか」と聞いた。
「あれ、あんた、中島んとこの子だね?」
違いますぅー。
「あそこは子供いないって。あの嫁さん、なんか病気だもん」
「そっか。でもほら、イケメン婿さんに似てるんね、この子」
他人なんだから似てるわけないじゃん。

でも、近くにあるなら意地でも行ってやるって決めた。
「歩くから、道おしえてください」

たしか床屋も少し前に閉店したよってスカーフおばちゃんに言われたけど関係ない。
エプロンおばちゃんが「あのブローカー……」ってまた話をはじめた。
ブローカーってなんだろ。ドライヤーと関係あるかなとか思いながら、教えてもらったとおりの道を歩き始めた。

まあ、その美容院じゃなかったら戻ってきて、その時は最終手段だ。ママに電話しよう。

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