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いかのおすし⑩ 【掃除】

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《美桜ママ》

先週は、お店の近くの神社でこども祭り。今週は近くの幼稚園で発表会。毎年、その関係者からの大量予約で製作作業に追われるから、先週も今週も昼過ぎまで土曜出勤。

 美桜の「一人留守番」が多くて悪いなと思っている。

でも、「森野さんど」の2店舗目が順調で、店長は次の出店も考えているらしいから……あわよくば、ひとつお店を任せてくれないかな、なんて野望もある。

美桜が大学に行きたいとか、留学したいとか。いろんな夢を言い出した時に経済的に我慢させるような惨めな思いだけはさせたくない。私も今さら他の職を未経験からなんて考えにくいし、私が考案した新メニューは採用してくれるし、評判いいし。この店で収入アップを望むのも悪くない。

夏休みの「ヒナタちゃん事件」後、もしスマホを買うなら、と色々な条件を言いったら美桜はちょっと面倒になってきたみたいで、あまり欲しいと言わなくなった。
友達とはいつでも会って話せるし、友香ちゃんのスマホで流行りの YouTube は見ているらしいし。そもそも美桜は体を動かして遊ぶのが楽しいタイプだし。
スマホを持ってるからといって、いつでも必ず連絡がとれるわけでもないということはヒナタちゃんが実証済みで。
普段のコミュニケーションが一番大切なんだよね、結局。

先週は友香ちゃんと公園でドーナツを食べて、今日も公園と言っていた。
「まさかとは思うけど、また知らない人と遊んでたりしないよね」
「んなわけないじゃん」
今朝、そんな会話をして家を出てきた。

美桜は、何時に誰とどこへ行くか必ず言うし、緊急時は隣の大家さんが「こども110番」の家でもあるし。何の心配もなく過ごしてきて、わざわざ毎月高いお金を払ってまで今買う必要があるだろうか。中学で部活に入ったら必要になるだろうし、その後もっと子育てにお金がかかるというし。今はちょっとでも貯めておくべき時期――。

そんなことを考えながら、せっせとホイップクリームを泡立てた。
僅かな節約心が激しい後悔に繋がるなんて思いもせずに。

約束より遅れて予約品を受け取りに来た客を見送ったところで、その接客中にスマホが震えていたことを思い出してポケットから取り出した。

着信履歴は12時32分、知らない番号から。

こういう場合、折り返した方がいいのかな。この番号は保険屋さんだったか…車検の連絡でもないし。

まあ、重要な連絡だったらまた電話するだろうと思ってポケットに戻すと、左右を気にしながら道路を横断して店に向かってくる友香ちゃんのママが目に入った。

「やっほ。プリンあるかな。1個だけで申し訳ないけど」
杉崎さんは、はす向かいのお弁当屋さんの順番待ちレシートをひらひらさせて言った。
そういえば昨日、美桜が遊びに行くのでよろしくとお願いした時、「私はナオキの部活の車出し当番なの。でも旦那が家にいるからゆっくり遊んで大丈夫だよ」と言っていたっけ。

「お弁当はあっちのスタミナ丼なの。ごめん」
「そりゃそうよ。お兄ちゃん、食べ盛りだもん。それより、いつも遊ばせてもらってごめんね」
「ううん。美桜ちゃんならいい子だから全然いつでも歓迎だよ。今日は残念だったけど、またいつでも来てよ」

「え?」

笑いながら言った杉崎さんの笑みの意味が分からなかった。
「残念って?」
「うん。ネコちゃん見に行くの楽しみにしてたから」
「ネコちゃん?」
「そう。今週は保護猫の譲渡会でしょ。先週、楽しかったみたいね。まあ、フリマは定期的にやってるみたいだけど」

さっきから何を言っているのかさっぱり分からない。

「やまと公園で、フリマやってるの?」
「やまと公園じゃないよ。えっと、川沿いの公園、なんだっけ大きな公園」

私は顔がひきつるのを悟られないように努めた。
「ああ、そう。今日は川沿いの公園だったね。犬も猫も、友香ちゃん大好きだから、楽しいよね」

しっかり公園の名前を聞いてなかった私が悪かったんだ。そういえば、土曜日はなんとかって言っていたかもしれない。やまと公園だと思い込んでいた。

「いや、だから。友香は熱出して寝てるから、お土産のプリンを買いに」
「え?」
「あ、ごめん。そっか。朝からお店にいるんだもんね。えっとね」

杉崎さんは分かるように順に説明してくれた。

「友香がね、朝起きたら熱があったんだって。私も朝7時前に家を出ちゃったから知らないんだけど。美桜ちゃんがうちに来たけど、どうしようって旦那からLINEきたのよ。うつしたら大変、ダメに決まってるじゃんって返事したから美桜ちゃんは家に帰ったと思うけど」

「あ、そうなんだ。ごめん。友香ちゃん、熱だいじょうぶかな」
「うん。下がったって連絡は来てた。ありがと」

具合の悪い友達と一緒に遊ばせるのはもちろん嫌だけど、突然断られて肩を落として家に帰る美桜の姿を想像してちょっと切なくなった。土曜日までひとりで留守番、つまらなかっただろう。

「じゃあ、私も早く帰らなきゃだね」
「そうだね」

「きょうだい3人分」と言ってプリンを3つ準備し、いつも遊んでもらってる御礼として渡す。「いいわよ、払うわよ」とやりとりしているとユニフォームを着たナオキ君が道路の向こうで手を振って叫んでいた。
「母ちゃん、24番、呼ばれてるよ!」
すっかり声変わりしちゃって逞しくなったな。人んちの子は成長が早い。
杉崎さんは「じゃあ、今日はおごってもらっちゃうね。本当にありがとう」と言って小走りで道を渡った。

こういうとき家にいる美桜と連絡が取れたら安心だな。固定電話でもあれば良かったけど。川沿いの公園のフリマや猫の話、ちゃんと帰ったら聞かなくちゃ。

さて早く帰ろうと考えた時に、店に一本の電話がかかってきた。

私は、目の前を走るもみじマークの車があまりに遅くてイライラしていた。抜かせない道路幅の住宅街。抜け道だと思ったのに年寄りだらけの地域はこれだから困る。
「あの信号も赤になっちゃうー」
アクセルを少しブンとふかしても、前の車は同じペースで、急ぐ気配はない。仕方なくブレーキを踏むと前の車はそのまま赤信号を直進していった。
「げ。止まらないのかよ」
誰一人横断しない交差点で「チッ」っとハンドルを軽く叩きつける。
13時になったらすぐあがろうと思っていたのに。

奥さんが受けた予約注文の数に間違いがあったらしく、杉崎さんが帰った直後にクレームの電話がきた。すぐに作って幼稚園まで走って届け、その分のお代は頂かないということで事なきを得たけれど。
がっくりうなだれてしまっていた奥さんを慰めていたら、すっかり帰るのが遅くなってしまった。

 14時過ぎ、やっと着いたアパートの外階段を駆け足でのぼる。インターフォンを鳴らし「みおー?」と声を掛けながらアパートの鍵をまわす。
中から「おかえり」の声もしないし、玄関に寄ってくる足音もない。
チェーンはかかっていない。

胸の中のもやもやが急に大きく広がった。

「美桜? いないの?」

靴を脱ぎながら部屋の中に呼びかける。
いない。靴もないのだから。たぶん、いない。 

それでも奥の部屋に入って布団もはぐ。寝ているわけでもない。ダイニングテーブルは、朝、片付けなかった私のコップが残っているまま。お昼ご飯を食べた形跡もない。

それら全てが、美桜はずっと家にいなかったということを示唆していた。

嫌な予感がした。
ちょっと待って。落ち着いて。

友香ちゃんと公園で遊んで、13時には家に帰るよう約束した。今まで、私が帰るまでに家に戻ってきていない、ということは一度もなかった。

私が予定より遅くなる。遅く帰ったら、ふてくされた美桜がいる。お詫びのプリンでご機嫌を取る。
それだけ。
それだけのことだと思っていた。

なのに。

部屋の時計を見上げると14時15分。まだ外で遊んでいても全然おかしな時間ではない。

だけど。

そもそも、友香ちゃんと遊んでいるのではない。いや、もしかして熱が下がった友香ちゃんと遊びたくて、また誘いに行ったのだろうか。それとも他の友達と遊んでいるのだろうか。そんなときはメモを残して行くはず。少なくとも、さっき通ったやまと公園には誰もいなかった。

私はバッグからスマホを取り出し、杉崎さんに『もしかして、美桜おじゃましてる?』とLINEを入れた。

すぐには既読にならない。
バッグの中からプリンを取り出して冷蔵庫にしまい、また画面を見る。
まだ既読にならない。

美桜は、だれと、どこにいるんだろう。いつ帰るんだろう。

もう4年生なんだから大丈夫でしょ、という思いと、まだ9歳の女の子なのに、という思いが交差する。
こんな程度のことで騒いだら「過保護だ」「過干渉だ」のと思われるに違いない。
「ふぅ」
ひとつ、ため息をついた。

もうちょっと待とう。
このくらいのことで、思いのほか動揺している自分に困惑してもいた。

ソファに腰掛け、見るとでもなくついていたテレビは似たようなCMをずっと垂れ流している。テレビ画面より既読のつかないLINEを見ている時間が長いと気づいた私は、テレビのスイッチを切ってテーブルの上の車のキーを再び掴んだ。

家で待っていてもイライラするだけ。だったら公園まで行ってみよう。

冷蔵庫に貼り付いているマグネット式の黒板に「帰ったらすぐにコンビニの電話からママに連絡」と書き、暗記しているはずの私の電話番号も書いて小銭もテーブルに置いた。

さて、川沿いの公園って、あそこだよね。もう何年も行っていない。頭の中で必死に近道を考えながら玄関ドアの鍵をかけた。

* 

杉崎さんが言っていた川沿いの公園は、「リバーサイドパーク」に間違いないようだった。公園の案内板に保護猫譲渡会のポスターが貼ってある。
駐車場に車を停めぐるりと見渡しても、この公園は川に沿って細長く、一望というわけにはいかない。
イベントは午前中だけだったようで何も残されていない。目に映るのはキャッチボールをしている親子とウオーキングをしている年配の人、のみ。
 
運転中、止まるたびにLINEを確認したけど、2件のメッセージにまだ既読はついていない。
いつもはすぐ返信をくれる人なのにという思いが余計に私を苛立たせた。

川沿いは背の高い葦が沢山生えていて見通しが悪い。反対側は、土手が森のようになっている。自然が売りの公園だと思うけどイベントを行う広場以外は死角だらけ。夕方には不審者が出ると噂があったかもしれない。
駐車場に自転車は一台も止まっていない。公園入口の案内板をもう一度確認すると別の入り口もある。
 
とりあえず、公園の中を歩いてみよう。
私は少し急くように歩き始めた。

左右を注意深く見渡しながら、どんどん不安に陥っている自分に気付く。
どこかですれ違っていて、今頃家に帰ってたらいいのに。

すぐ近くのコンビニから私の携帯に電話する練習をしたことはある。テレフォンカードも持たせている。
でも実際に電話をかけてきたことは今まで一度しかない。
かけてきたのは練習をした次の日。「おやつどこ」というくだらない電話だったから軽く叱ってしまった。緊急の時しかかけてはいけない、と教え直した。

また怒られると思って電話をかけてこなかったらどうしよう。いや、かけろと書いて出たのだから、さすがにかけるでしょ。早くかけてきてよ。

その前に、杉崎さんに電話してみようか。
立ち止まってスマホの履歴から杉崎さんの名前をタップしようとすると、12時32分にあった不在着信がふと目についた。 

なぜか吉田さんの声が脳裏に蘇る。
夏休み、ヒナタちゃんが家に帰ってこないと連絡があった日。
吉田さんが言った「誘拐じゃないかって」という言葉。

背中をひとすじの汗がつたって落ちた。

――ムスメヲユウカイシタ。カエシテホシケレバ……

そんなボイスチェンジャーを使った声を想像して頭を振る。

そんなわけない。
誘拐犯が番号を表示してかけてくるわけがないじゃない。美桜の居場所がちょっと分からないだけで、私ったらなぜこんなに話を飛躍させてしまうの。ばかばかしくて笑いが出ちゃう。

スマホから目を離すと、急に手元のスマホが震え出したので驚いて落としそうになる。表示を見ると『杉崎友香ママ』。

よかった。
――ごめんごめん、熱が下がって美桜ちゃんを呼んだの。一緒にゲームやってる。
そんな言葉を勝手に期待する。

「あ、塩谷さん、ごめんねー。LINEに今気づいたのよ」
「ううん。さっきはどうも」
私は安堵の笑みをこぼし、このまま美桜を車で迎えに行こうかと考える。

「友香の咳が辛そうだったから、午後もやってる病院を探して連れて行っててね。すごい混んでたの」

声が詰まった。

そうか。そうだよ。今日は一緒に遊んでなんかいない。
でも、これなら朝から一緒に遊んで風邪をうつされた方がましだった。

「結局いつもと似たような薬もらって終わりだったんだけどね。美桜ちゃん、家にいなかった?」
「……うん。そうなの。あ、それで今、公園に来た。リバーサイドパーク」
「あ、そうだった。『リバーサイドパーク』だったね。まだ公園で遊んでるんだ。アンも一緒だもんね」

アン? 

「いや。まだ美桜には会えてないんだけど、アンって?」
「ああ、3年の時に仲良かったアン君だよ。一緒に遊ぶ約束だったみたいよ」
「あぁ……」
「ほら。先週も一緒にフリマに行ってたし」

フリマで一緒だったという話は聞いたかどうか思い出せない。でも、そういえば夏休み、転校してしまった「佐藤杏」と水風船で遊んだと言っていたことは思い出した。

「ああ、佐藤杏さん」
「サトウ? あーそう。そうだったかも。アンのお兄ちゃんとナオキが同じクラスだったんだけど、あの子はサトウじゃなかったから」

そうか。彼女と3人で遊ぶ予定だったから、友香ちゃんが遊べなくても自転車で公園に行ったのね。それならそれでいい。家にいないのは分かる。

「あー、えっと。杏さんって携帯持ってるかな?」
「ちょっと待ってて」と言って友香ちゃんに聞いてくれている。友香ちゃんが「持ってないと思うな」という残念な言葉を返したのが小さく聞こえた。

最近はクラス名簿も配られない。1年生のときはクラス全員の電話番号が書かれた「連絡網」が配られていたけれど。いつの間にか個人情報うんぬんということなのだろうか。配られなくなった。

連絡がとれなそうでがっかりはしたけれど、友達と遊んでいるなら、そのうち帰ってくるだろう。佐藤さんって、上の子と名字が違うなら多少複雑な家庭なのかもしれない。友香ちゃんみたいにしっかりしてる子じゃなくて、二人とも楽しくて時間を忘れている、とか。

ほっとする気持ちと、時間を忘れて遊んでいる美桜に若干の怒りが湧いてきた。

こんなに心配させて。もう。

挨拶をして電話を切ろうと思ったら、電話口の向こう友香ちゃんと杉崎さんのやりとりが小さく聞こえた。

「あとナカジマさんも一緒かも」
「え、誰?」
「ナカジマさん」

懐かしい名前に、笑いかけていた頬が一瞬で固まる。
中島?

杉崎さんが私に向かって電話口ではっきり言った。
「ナカジマさんって子も一緒に遊んでるって友香が言ってるけど」
それを聞いて苦笑した。

ああ、なんだ。ナカジマさんって名前のお友達。「冷静になれ」と自分に言い聞かせた。今日の私はちょっと冷静さに欠ける。「中島」なんてよくある名字。そうだよ、友達だよ。美桜たちのクラスメイト。何考えてんの私。

ところが、電話口の向こうで友香ちゃんの叫ぶ声が聞こえた。
「違うよぉ。美容師の中島さんだよ!」 

私は雷に打たれたように、動けなくなった。

身体を張り巡らすあらゆる神経が凍り付いて。それなのに、スマホを持つ手に汗が滲んだのが分かった。 

「中島」は、別れた夫の名字。

同じ名字の人は日本にごまんといる。だけど「美容師の中島さん」と限定されたら。しかも、美桜にわざわざ近づく「美容師の中島さん」といったら。

別れた夫、以外にいるだろうか。

脳裏に、思い返したくもない映像が蘇った。
「塩谷さん? もしもーし?」
杉崎さんの声が遠くに響いている。

離婚直前、美桜がすやすや昼寝をしていたころ。
私は夫のノートパソコンを立ち上げ、インターネットの履歴やメールを見たことがある。浮気しているとは思いたくなかったけれど、証拠があるなら見つけておいた方が有利だとも思ったから。

パスワードはかかっていなかったけれど、どこに何があるのか、どうすれば履歴を見れるのか、当時の私にはよく分かっていなかった。ぱっと見たところ特に怪しいものはなかった。

ただ、適当に触っているうちに何をクリックしたのか、急にたくさんのファイルが表示され、そのうちの一つが妙に気になった。
第六感が働いたとでもいうのだろうか。
動画のようなアイコンをクリックした。

映像が始まり、眉を顰めながら暫く写されている人物を見つめた。何を話しているか分からないけれど、途中で嫌な予感がしてマウスから手のひらを浮かし、人差し指だけでその画面を閉じた。

裏ビデオのような、あるいは、どこかで撮影されたいかがわしい映像に間違いないと感じた。
確かに、妊娠中も出産後も長いあいだ彼との行為はなかった。私の体が辛かったのもあるし、彼から求められることも滅多になかった。
我慢させているなら悪いから、AVで発散してもらう分には別に構わないと思っていたけれど。

だけど。明らかに胸の平らな子供に、太った男が近寄って行ったのを見た瞬間からずっと、脳内でサイレンのような音がけたたましく鳴り響いて止まらない。

無理だ。
見なければよかった。
彼が、そういうものを好むだなんて。

唯一の救いは子供が外国人だったこと。撮影場所も日本とは思えない。
その動画や、その行為が、海外のものなら明確に犯罪なのかどうか私にはよく分からない。「幼児」というほどの年齢ではない。映像にうつっていた大人も、もちろん中島ではない。

でも。
彼が、美桜の世話を率先してやってくれることをありがたく思っていたはずなのに。その日から、おむつを替えの何が楽しくて笑えるのか、美桜をどんな目で見ているのか。考えたくもないのにサイレンが鳴り響いてしまって。

大事な娘を触られるだけで鳥肌が立つようになってしまった。

私は、この人の何を知っていたんだろう。この人は、どうして私と一緒になったんだろう。

何もかもが、それまで耳元で囁かれていた愛の言葉も、私を愛おしそうに見つめる瞳も、何もかもが信じられなくなった。

浮気相手に会いに行くとき、彼女の気持ちが分かる気がすると言っていた。私にはきっと分からない、と。
彼女とは、そういったことも分かり合えたのだろうか。

私の父の、彼に対する偏見。あれほど腹を立てて家を出たのに。父は、彼の見た目や生育環境ではなく、どこかにその片鱗をみつけたのだろうか。

いや、そうじゃなくて。

父の偏見だと怒っていたはずの、私自身の変わり身の早さに腹が立った。
彼が不幸な環境で育ったから普通の人とは違う性癖をもつようになってしまったのかもしれない、なんて無意識に思ってしまっていた。
私は彼の何を見ていたの。
彼は良いパパであったのに。
私にとっても優しい彼だったのに。

でも、彼に嫌悪感を感じてしまっている自分がいる。
娘を触られたくない。
そう思う自分も許せない。
単なる「そういう嗜好」ということでしょ。
いや「そういう嗜好」と分類すること自体どうなの。

どうしたらよいのか分からなくなった。
目の前の彼を、ちゃんと受け止めることができず、信じることもできず、全てに耐えられなくなった。

 だから、離婚を決意した。

 こんな時に、なんであの動画のことを思い出したのだろう。

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