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いかのおすし⑧ 【4時間目】

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《美桜ママ》

あと数日で夏休みが終わる。とにかく給食が始まるのが助かると思いながら夕飯の片づけを終えた時間、吉田シュウト君のママから一本のラインが届いた。

――ヒナタちゃんの話、聞いた?
 
私が「?」のスタンプを送り返すと、今度は電話がかかってきた。
吉田さんは挨拶もせずに話しだす。
 
「ヒナタちゃん、まだ帰ってこないんだって」
「え?」
「誘拐じゃないかって、ミクちゃんママからLINEがあって」
 
ユーカイという言葉の意味がピンとこなかった。あまりにも突然すぎて。
「どこ行ったか、美桜ちゃん知らないかな。警察にはもう連絡したらしいんだけど」
「ええっ?」
 
警察という単語を耳にして、さっきのユーカイが『ユーカリ』のような植物の名前ではなく、『融解』とか夏休みの自由研究に使うような難しい単語ではなく、いわゆる犯罪の「誘拐」だということを理解した。
 
壁の時計を確認すると7時半。
さっきまで明るかったけど、たしかに小学生の女の子がひとりきりでまだ帰らないとなるとちょっと遅い時間だ。
 
「ちょっと待ってて。知らないと思うけど、今、美桜に聞くよ」
シャワーを浴びていた美桜にガラス越しに聞き、「ヒナタ? 知らないよ。夏休み中いっかいも会ってないもん」という予想通りの答えを吉田さんに伝えた。
「ありがと。ちょっと私たちも協力して探そうって言ってたんだけど、本当に誘拐だったら騒がない方がいいかもしれないし」
 
人の家のことながら、目の前が真っ暗になった気がした。
誘拐だなんて。まさか。
 
ヒナタちゃんが誰と何時まで遊ぶ約束だったのか吉田さんに尋ねると、伝聞なんだけど、という前置きをしてから知っていることを全部話してくれた。
 
ヒナタちゃんは数日前から埼玉のおばあちゃんちに一人でお泊りしていた。社会勉強のため、駅までは親と一緒だけれど改札から電車に乗って目的地で降りるのは一人。駅の改札でおばあちゃんが待っている。
帰りも同様の予定で、予定通りおばあちゃんが大宮駅までヒナタちゃんを連れて行き、改札で別れた。
ところが、3時間たっても「無事に家に帰った」という電話が来ないのを不安に思ったおばあちゃんが息子に電話してみたら、帰ってくるのは明日の予定で今日はまだ大宮にお泊りの約束だ、と。
おばあちゃんは、その約束は覚えていたけれど、ヒナタちゃんはしょっちゅう自分のスマホからパパに連絡して、何時の電車に乗るとか、どこで待っててとか、そんな事を決めていたみたいだから、てっきり予定を変更したのだろうと思って駅まで見送ったのに、と真っ青になった。
らしい。
ヒナタちゃんのパパは、今朝はヒナタと一度も連絡をとっていないと言う。

では、ヒナタちゃんは誰と頻繁に連絡をとっていたのか? 
誰と待ち合わせていたのか?
大宮駅からどこへ行ったのか?
 
両親はずっとヒナタちゃんに電話やLINEをしているが、いっこうに既読にならない。発狂しそうになった午後3時ころ、やっと既読になって「今から帰る」との返信があったというが、その後は「電源がはいっていません」というメッセージが流れるばかりで、まだ家にも大宮にも帰っていないという。充電がなくなっただけならいいけれど、誰かが意図を持って電源を切ったのだとしたら……。
 
私は、その話を聞いてぞっとした。
「それは……警察、だよね」
電話口でそういうと、シャワーからあがった美桜がタオルで頭を拭きながら心配そうに私の顔を覗き込む。「ヒナタがどうかしたの?」と小さな声で聞いてくるので、大丈夫だよ、という気持ちで美桜の頭を撫でるけど、私は大丈夫だよって顔ができているだろうか。
 
「だけどね、警察がすぐには探してくれなくて、対応が悪いってヒナタちゃんちはすごい怒ってるみたいで。誘拐犯から連絡があった訳じゃないし、もうちょっと待ってみましょうって言われたとかさ。自分で電車乗ってどこか行ったのに、どこ行ったか見当つかないんですかって、いやーな顔で聞かれたみたいで」
「そうなの。あっ、駅の防犯カメラとかは?」
「ね。どうなんだろうね。調べてくれてるのかな。大宮って大きいから」
吉田さんは最初に電話してきたときの切羽詰まったような焦った声から、一通りの話を終えて案外落ち着いたのか、そんなことを呑気に言った。
「あ、スマホのGPSとかは?」
「位置情報がオフになってるみたいで。だから分かんないって」
それでね、と吉田さんは世間話をするように続けた。 
「ミクちゃんがさ。ヒナタちゃんだったら、TikTokの誰かに会いに行ったんじゃないかって言うのよ」
「え?」
「なんか、有名な。ほら、景井ひなちゃんみたいな」
そんな有名人に会いに行ったって簡単に会えるわけないのに。誰かに騙されたのだろうか。
 
「今日、なんかのイベントがあったかも、ってミクちゃんが言うんだけどさ、ヒナタが好きな人ってまだ有名じゃないらしいんだよ。美桜ちゃん、誰のことだか知らないよね」
「うちは、知らないと思うけど」と言ってから念のため美桜に向かって「ねえ、TikTokの有名人って美桜わかる? ヒナタちゃんが好きそうな人」と話かける。案の定、美桜は目玉をぐるりとさせて首を傾けるだけ。
「ごめん。さっぱり分からないわ」
「だよね。ヒナタママもひと通り調べたみたいなんだけどさぁー」
吉田さんは、そこで少し小ばかにするような口調で話を続けた。

「ヒナタが会いたい人って、この人か、この人かって、ミクちゃんにスマホ画面を見せるんだけど、ミクちゃんも、全然わかりませーんって。なんか協力的じゃなくて、すごい修羅場だったみたいよ」
なんとなく、その場面は想像がつく。
娘のことを本気で心配しているのは、その親だけなのかもしれない。
電話をかけてきた吉田さんだって。
「その、スマホのGPSもさ、位置情報がオフだとか言う話。それがね、子供が勝手にオフにできないようにパスワードをかけてたんだって。親が。だから絶対居場所は分かると思ってたんだって。それがさ、ミクちゃんに言わせると『そんなパスワード、ヒナタは知ってるって言ってましたよ』だって。『知ってるけど黙ってる。いざというとき使えるように』だってさ。こわいねー」

GPSについてはどのような仕組みなのか、正直よく分からないけれど。でも、親よりうわてな子供が怖いというより、今の状況で軽口をたたける人のほうが私は怖い。

「でね、今日、ほら、東海道線かどっかで事故が立て続けにあったでしょ?」
そう言われて、夕方のニュースを思い出して「あっ」と声が出た。
全く関係ない地域のことなのであまりちゃんとは聞いていなかったけど、人身事故が2件同時にあったらしく、大幅に電車が遅れたとか。
 
私は、今度は頭が真っ白になった。
 
その人身事故の被害者は、2件とも子供だという報道だったから。
 
――夏休みの終わりが近づくと子供の自殺が急に増えますからね。親御さんは子供の様子をよく見ていてください。悩みのある方は、こちらにご相談を……。
 
フリーダイヤルの表示された静止画像が頭を横切る。
「まさか、ヒナタちゃん――?」
震える声で聞き返すと、吉田さんは普通に「うん、そう」と返事をする。
 
「その事故でね、電車が遅れて帰ってこられないのかもって思うんだ。たぶんだけどね、横浜あたりのイベントっぽいんだよね。それに行ってたんじゃないかって」
 
そこまで聞いて、ふっと息が漏れた。
あまりに平然と「うん」と言ったものだから、てっきりヒナタちゃん自身が人身事故に遭ったのではという私の予感が当たってしまったのかと思った。そういう話ではないと分かって心底ほっとする。
「だから、遅くなってるだけで帰ってくると思うんだよね」
吉田さんのテンションは完全に井戸端会議モードだ。
「だと、いいけど」と返事をすると、「あ、あとヨウスケ君ちにもちょっと連絡してみるから」と言って吉田さんは一方的に通話を切った。
 
「ね、ヒナタがどうかしたの? ねぇ」としつこく聞いてくる美桜にちょっと待ってもらい、最近見るようになったTwitterを確認する。

トレンドには「東海道線」「人身事故」「飛び込み直後」などの関連文字が並んでいる。
一番件数が多いタグをタップすると動画が目に飛び込んできた。
「うわ、やべ」という声と雑音、雑踏。
数秒してから画面は落ち着き、ホーム付近の映像だったと分かる。
気にせず下へ下へとスクロールすると「マジ見ないほうがいいよ。トラウマになる」「通報しました」「サンキュー。保存した」などのツイートが飛び交っている。
どうやら最初に見た動画には事故に遭った直後の映像が写っていたらしい。
「見なくて良かった」と「見てみようか」という野次馬心が行き来する。
 
「〇にたいやつは人に迷惑かけないように〇んでね」
「この中学の制服、学年によってリボンの色が違うので1年です」
「いじめ加害者の心にはどうせ響かないのに」
「この画像で癒されてくださいのネコのほうがきつい」
何万件ものツイートが飛び交い、どの意見にもイイネが多くつく。今日消えたふたつの小さな命の周りに寄ってたかって群がる人、人、人。
私は、シッシッと追い払いたくなる衝動を必死でおさえた。
 
ニュースでは事故と言っていた。自殺と断定もされていないのに、学校名や原因まで。いったい亡くなった子の何を知った気になってツイートしているのだろう。
ただそこに燃料が投下されたから集まり、そしてすぐに散って消える、烏合の衆。
 
SNSのこういうところが、私は好きになれない。
 
溜息をつくと、吉田さんからLINEが届いた。
画面上部の通知で『無事帰ったみたい』という文字が見て取れ、「あぁ、よかった」と思わず声が漏れる。
LINEを開く。
『無事帰ったみたい』
『7時まえには帰ってたってよ。早く連絡しろっての』
『またミクママから長文の愚痴が届いてるし』
そして、泣いているパンダのスタンプ。
私は『本当によかった。』という文字を送り返す。
 
ヒナタちゃんが無事だったことを美桜に伝えると美桜は微笑んでドライヤーをかけ始めた。
 
吉田さんからはまた、『ほんと人騒がせな子!』という文字の後に、またね、のスタンプが送られてきたので、私も『ばいばい』のスタンプを送り返し、画面を裏側にしてテーブルに置いた。
もう音が鳴っても見るつもりはない。
 

 
夏休みが明け、始業式の日に持って帰ってきたプリントには早速ヒナタちゃんのことが書かれていた。
警察沙汰にまでなったのだから、当然学校側もすべて把握しているのだろう。
 
もちろん、プリントにヒナタちゃんの名前は出ていない。ただ、インターネットで知り合った人に会わないようにという話を全校児童にしたので、親御さんからもしっかり伝えて欲しいとのことだった。
怖い事件が増えているから「いかのおすし」を思い出して、と。
 
担任の先生は教室でどのように話していたか美桜に尋ねた。
「知らない人についていかないとか、インターネットで知り合った人は、本当はどんな人だか分かりませんとか」
まあ、いつもの話だ。危機感はあまり感じられない。
でも、学校の責任ではない。
これは家族の問題。

自転車で公道を走るための交通安全教育や、万引きや薬物防止教育、ゲームやSNSを安全に使うための教育。
いわゆる普通の教科と違う「危険」についても学校で教えてくれると安心していたけれど。
子供が万引きしました。学校でもっとしっかり教えてください。まさか、そんな風に責任転嫁する人はいないだろうけど、教わって、感想を書いて終わり、で済むというものではないと、あらためて思い知らされる。

しかも、現代っ子を取り巻くスマホやSNS事情なんて、あの先生はどこまで把握できているんだろう。
「ヒナタちゃんに、先生は何か言ってた?」
「言わないよ。だけど先生が怒ってるのはヒナタのせいだってみんな知ってるし。ヒナタもちょっと泣きそうだった」
 
みんな知っていたなら公開処刑みたいなものだろうか。そりゃ泣きたくもなるだろうと思って聞いてると、どうやらそういうことでもないようだった。
 
「ちぇろぴぃのイベントに行く予定だったんだって」
「ちぇ……?」
TikTokの有名人とは、結局私の全く聞き覚えの無い名前の人だった。
夕飯の準備を始めながら、美桜の話に耳を傾ける。
 
「ヒナタのオシなんだって。育ててるんだって。だけど一緒にイベントに行こうって約束した人となかなか会えなくて、結局イベントの時間に間に合わなかったんだって。それで帰ろうとしたら電車が超混んでて乗れなかったんだって。それで怒られてサイアク、ムカつくって言って泣きそうだった」
 
電車が混んでいて乗れなかったというのは人身事故で遅れていたからだろう。
「一緒に行こうとした人って?」
「なんか、ネットで知り合ったオシトモとか言ってたよ」
 
ネット上で仲良くなった人と会う約束をして出かけた。親に内緒で。
完全に「やっちゃだめです」の「いろはのい」をヒナタちゃんはやってしまったわけだ。
「うちはちゃんとルール決めてます」と言っていた浅田さんの顔を思い出した。
 
あれだけ偉そうに言っていたのに、とは思わない。人騒がせな子、とも思わない。
でも、ちゃんと守らせていると言っていたルールを子供は全く理解していなかったのだろうか。ヒナタちゃんは決して頭の悪い子ではないのに。
 
「それで、推しトモとは会えなかったわけ?」
「うん。なんかね、ミクから聞いたんだけど。ひなたは女子高生のフリしてたんだって」
「はぁ?」
待ち合わせ場所が分からなかったとか、そういう話じゃないのか? 間抜けな声がでてしまった。
 
「ヒナタのTik……じゃなくてインスタか。高校生のフリしてたんだって。でね、仲良くなった高校生の男の子と一緒にイベント行こうってなってね、なんか、ちぇろぴぃと知り合いらしいんだって。だから、小学生だってばれてでも行きたかったんだって。だけどね、待ち合わせの場所でDMが来てね、お前、本当にJKかって」
 
説明がヘタなのか、私の理解不足なのかが見当つかず、とりあえずDMってなんだっけと美桜に聞くと、「LINEみたいなのって、知らないけど友香ちゃんが言ってた」という返事。
LINE以外の流行りの連絡ツールだろうか。
TwitterもインスタもTikTokも、だめだ。私は何も知らなすぎる。もっと勉強しておかないと危険だな。
「それで?」
「うん。それでね、待ち合わせ場所で、どっかでこっそり見られてたみたいでね。お前、小学生かよ、ふざけんなって、子守なんかするつもりないって。逃げられたんだって」
私は絶句した。ヒナタちゃんのほうが逃げられた?
「う、ふーん。そう……なんだ」
「ミクちゃんがそれ聞いて大笑いして、また喧嘩になってた。ウケるね、って友香ちゃんも言ってた」
 
ウケていい話かどうか、よく分からない。
逃げたというその男の人も、いい人だったかどうか、よく分からない。
いい人……ではないかもしれないけど少なくとも子供に悪さしようとする人ではなかった。ヒナタちゃんにとっては運が良かった……と言っていいのか? たぶん、そうなんだろうけど。
なんだかよく分からなくなった。
 
インターネットで知り合った人は、本当はどんな人だか分かりません。
 
ヒナタちゃんは女子高生ではなくて小学生だった、というオチなわけか。
もしかしたら相手の男子高校生だって、そう本人が言っているだけで実はJK好きの中年男性かもしれないけど。
 
まあ、とにかく怖いことにならなくてよかった。
今、こんな風に「ウケるね」という不謹慎な言葉に怒らずにいられるのも、とにかくヒナタちゃんが無事に戻ってきたからだ。
連絡が取れなくなった間のヒナタちゃんのご両親の心中を察すると、胸がぎゅうっと苦しくなる。
悲しい結果になるより恥ずかしい結果になることの方が何倍も何倍もマシだ。

私は、悲しい結果にならない道を歩いている、と思いたい。

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