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合理的配慮をするにあたって大切なのは、「どのような合理的配慮が必要かを見極める力」である話

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最近また、「合理的配慮」の話題がよくでていると感じます

2024年4月1日に「合理的配慮の義務化」がされるにあたってのことだと思います

支援者側や当事者側からすれば「当たり前」と考えるのですが

合理的配慮を「ずるい」「どこまでが合理的配慮なのか」という声もあがっています

それはひとえに

「どういうものが合理的配慮なのか」という「知らないこと」への漠然な不安の裏返しなのではないでしょうか

私としては

「合理的配慮」自体は全ての人に必要でであること

その中で支援者として大切なのは

「どんな合理的配慮が必要かを見極める力」

なのだと思っています

今回はそういった考えを記述していきます


身近にある合理的配慮

障害の有無は関係なく、

全ての人が平等であることを基本とし

人権と基本的な自由を当たり前に行使できるように

環境の変更や、調整を行う

これが「合理的配慮」です

「合理的配慮」は生活の中にあふれています

・学校での学習のさい、視力に苦手さがあれば眼鏡の着用、および、見やすい位置に移動できる

・聴覚に苦手さがあれば、手話での会話、文字での筆談を行う

・車椅子の方が移動しやすいように階段ではなく、なだらかなスロープにする

などなど 皆さん目にしたことがあるでしょう

合理的配慮がなされていなかったら

・眼鏡の着用、見やすい位置への移動を禁止したら、文字が見えず学べる機会を失ってしまう

・コミュニケーションを発声のみに限定すると、相手と会話できない、理解できない

・階段のある場所は行くことも見ることもできない

当然このような事態になります。そして今までの日本社会はこれを「是」とする風潮が強いのです

日本社会の現状は、「健康な人がベースとなった合理的配慮の社会」 だと考えられます

なので、苦手さや障害や特性の強さなどで

「本来得られるはずのものが得られない状況が作られている」

ことを是正するために今回の「合理的配慮の義務化」が重要なのです

合理的配慮なのか、ワガママ、ずるい、の線引きは何なのか


合理的配慮の話題において「これはずるいんじゃないか」と声高に叫んでいる人にそれを見極める力があるとは思っていません

なぜなら支援者の多くは、その経験や知識、技術を基にして

この支援は「ニーズ」(必要性)なのか「デマンド」(要求)なのかを見極めて提供しているのです

例えば、デマンドの例として

・私はグーグルに入社したい。しかし学校(施設)ではそういった勉強をさせてもらえない。これは合理的配慮にかける。もっと高度な勉強を提供してもらいたい

・自分には遊べる友達がいない。周囲の人が自分を避けているためである。周囲に働きかけて自分と遊んでもらえるように働きかけてほしい

など、こういった事例は、「合理的配慮」では対応できない「要求」だと思っています

例えばこういう場合

・こちらでグーグルに入社できるような勉強は提供できないが、入社できた人の体験や、どこで勉強するのが適しているか、一緒に調べることはできる

・周囲に働きかけることはできないが、遊べる友達を作るにはどうしたらいいか一緒に考えることはできる。

といった具合に「どこまでできるか」「こうすることはできる」と提案することはできます

それも「合理的配慮」なのです

なんでもかんでも相手の願いや要求を叶えるのでは、ただの「願い聞き」になってしまいます

お互いに相手の能力や、「ここまでできる」という範囲を提示し、折衷案を作っていくことが一つの「合理的配慮」の形なのです


こういった視点から見ると、2022年12月にあった

名古屋城の天守閣にエレベーターをつける問題

これをどうとらえるかという話になるわけです

観光として中に入って見れる。しかし、階段しかなく上れる人だけしか見れません

それでは

「身体障害の方」「車いすの方」の当たり前に行使できる人権や自由があるとは言えないのではないでしょうか

いやいや

観光やアトラクションでもジェットコースターとか個人の年齢や身長などの身体的特徴で断ることもあるからいいでしょう?

いやいや

少なくとも「市」がやっていることなのだから、市民に対して合理的配慮に基づいた「平等」を実現するために動くのが原則ではないか?

いやいや…といった具合に

「できる」「できない」についてはドンドン議論を深めていく必要があるとは思います

ただ、上記でも述べたように

「健康な人がベースになった合理的配慮社会」

「全ての人が生きやすい合理的配慮社会」

に変えていく

前提のもと、議論を深めていくことが必要なのだと考えています


以上になります

これからも少しづつ投稿していけたらと思っています
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