見出し画像

休日、美容師さんと。熱中しようよ。

「頑張ってたらちゃんと試合出れてたかもしれないですね」

「多分、ちょっとは出れてたかもですね」

あと数十分で店仕舞いする店内で私と村田さんの声だけが宙を漂っていた。
あの頃の自分が何を思っていたのかをうっすらと思い出す。今の私だから、村田さんの言う事が出来るはずのない夢物語だったとはちっとも思わなかった。



行きつけの美容院に行き、いつもカットしてもらっている村田さんに希望を伝える。
伝え終わり、村田さんが準備を始める。
村田さんはいつもぱっとしない顔のまま取り掛かる。
私が伝え下手だからなのか、ただ単に村田さんペースがそうなのか、2年以上切り続けてもらっているがいまだに分かっていない。せめて画面をもっと見えるように近づけて話した方が良かったのだろうか。
彼はこちらが要望を伝え終わっても自分から取りかからない。基本が無表情な人なので伝わっているのかどうか分からないのと、待たれているのでまだ話さないといけないのでは、と毎回どぎまぎしたままカットが始まる。

ふと、中学時代の部活の話になった。
「朝練して、部活終わってからも夜中のグラウンドで練習してましたね、やりすぎて故障して辞めちゃいましたけど」
「凄い、ほんとに壊れるまでやったんだ。熱中ですね」
村田さんはバドミントンを中学ではじめ、のめり込んだのだと言う。

私はそういう人が羨ましいとずっと思っていた。自分には何かにのめり込み、熱中する才能がないのだと。本気で最近までそう思っていた。

「もともと運動苦手だったんで、出来ないって思って頑張るのとかあんましなかったんですよねー」
「えー、3年最後の試合とか泣かなかったですか?」
「他の人らは泣いてました、僕は泣くどころか早く終わってラッキーって思ってました」
「他の人らって、友達…仲間?とか、じゃなかったんですか?」
「友達かぁ〜、いない、いなかったですね」

そこから14年後、私はフルマラソンに挑戦して完走した。元々出る気はなかったが、元同僚から誘われ、それは自分で出ることを決めたものだった。
「なんか、部活とか学生の時に熱中してた人のこと羨ましいなって思ってました。ずっと。僕には出来ないって思ってたし」
「頑張ってたらちゃんと試合出れてたかもしれないですね」
「多分、ちょっとは出れてたかもですね」

私より先にいた男性客が帰っていき、オーナーは奥に引っ込んだらしい。時刻は19:30になろうとしていた。
あと数十分で店仕舞いという店内で私と村田さんの声だけが宙を漂っていた。
あの頃の自分が何を思っていたのかをうっすらと思い出す。今の私だから、村田さんの言う事が出来るはずのない夢物語だったとはちっとも思わなかった。
あの頃の私が今の私を見たら飛び上がって驚くのだろうか。嘲笑うのだろうか。安堵するのだろうか。

多分、ちょっとした夢だった。
別にあの頃のことを後悔してるわけではない。
でも、あの頃を取り返したいとは、少しは思っている。
そのために走ろうと思ったわけでもなかったが結果として、今思い返してみればそこの点とあそこの点が繋がったという、それだけのこと。
私は知っている。
私にもやれるという事を。
私は知っている。
なりたい私にはいつからでもなっていいのだと。

「この後打ち上げなんです、マラソンの」
「そうなんですか、ありがとうございました。またお願いします」

また1ヶ月後、ここで髪を切る。大体は覚えてもいないような、何でもない話をしながら。何もないと思ってたこの街に、今はそういう小さな、でも確かなものがある。
この街にいてもいいんだなと思えることがまた一つ積み上がっていく。



この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?