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資本主義経済教vs.科学

地球のため、全人類、夜は戒厳令(123)

「資本主義経済教vs.科学」

世界中で異常気象に悩まされている。
テレビなどでは、やれ偏西風だ、やれエルニーニョだ、やれラニーニャだ、やれ温暖化だ、などなど、そこまでは突き詰めていくが、それ以上については、せいぜい温室効果ガス止まりだ。

何で温室効果ガスや温熱が排出されてしまうかについては、追究が許されていないかのようだ。

それは、資本主義経済のアンタッチャブルな領域に手を突っ込むことになるからだろう。

資本主義経済は、人類の本能とも親和性が高く、成長・発展や拡大を無批判に無限大に求めるもので、資本主義経済教という宗教だと言っても過言ではない。

一方、気象学などは科学の領域で、その科学というものはエビデンスもあり解釈に裁量はあまりないものと思われ、こちらも一種の宗教的様相を呈する。

今、地球は、その存続に当たり、資本者義経済教と科学との間で宗教戦争が起きている。

科学は、「今、地球は温暖化しており、気候変動が悪化の一途をたどっており、少なくとも温室効果ガスだけはゼロにしなければならない」と説いている。

しかし、資本主義経済教は成長・発展・拡大を掟とし、無限大に向けての競争を教義としている。

そのため、資本主義経済教と科学は折り合うことができなかった。今後もできないだろう。
資本主義経済教の側が折り合いを付けなければ、地球は壊れるだろう。

SDGsなどは、全くもって資本主義経済教のためのものであり、エクスキューズ的にCO2の削減を盛り込んだものであり、あたかも環境に優しいの体だが、実は世界中で開発を進めてしまうための教典である。

なぜ開発するとCO2が減るのかも意味がわからず盲信させられている。
開発をすれば、CO2を吸収してくれていた場所を潰すことになり、またインフラや物資の要求量が増え、CO2が増えるはずだ。

そして、投資は人命・人権・環境を度外視する。
投資された側の人間は労働者となる。資本主義経済では、労働者は資本の搾取の対象でしかないし、消費者という立場になれば、消費を通じて改めて搾取の対象になる。
モノを買っても、その値段の中には資本の取り分が絶対に含まれており、それが搾取された分だ。
開発は投資によって成り立ち、開発はその土地をCO2を吸収するところから排出するところへ変貌させてしまい、労働者を二重に搾取する対象にしてしまう。
人命・人権・環境がこのように度外視される。

SDGsの目指す人命・人権・環境は達成されないどころか、ますます侵害されることになる。

SDGsは噴飯ものだった。

人類、地球の持続可能は、人類が資本主義経済教のマインドコントロールから解き放たれることが絶対に必要だ。

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