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【フィルム写真を添えて】内気だった私がSNSにハマったわけを考える

SNSは、私の人生に大きな影響を与えました。

私が中学生の頃に「LINE」や「Twitter」が流行り始め、
高校生の頃には「Instagram」が登場しました。

そして現在、私は本業・副業ともにSNSに関わる仕事をしています。

また、私は現在20代の社会人ですが、
今の友人の多くは、
大学以降にSNSで出会った、いわゆる「趣味友」「ネッ友」です。

SNSが自分の人生にどんな影響を与えたのか、
SNSとリアルの世界との違いは何なのか、
自分なりに考えてみました。



SNSにハマった経緯

自己肯定感高めに育った幼少期

幼いころの私は、自分で言うのも何だが、
勉強もスポーツもそこそこでき、性格も明るい子どもだった。
近所や親戚の大人から「かわいいね~」と甘やかされ、
キッズモデルをしたこともあった。
後にも先にも人生で一番のモテ期で、
正直調子に乗っていたと思う。

しかし、小学校後半からはどんどん内気な性格に成長していった。
また、思春期の女子特有の人間関係が表れてきて、
それが自分にとっては苦痛だった。
数人ずつでグループ化していがみ合ったり、
リーダー格の女子に、「○○ちゃんはうちの味方だよね?」と迫られたり、
授業中に「明日からあの子無視ね」という手紙が回ってきたり、
それらに辟易し、誰に対しても特に味方につかずに過ごした。

結果、
いじめを受けたり避けられているというわけではないが、
親しい友人もいない、そんな状況になった。
休み時間には図書館で一人本を読んでいるような子どもだった。


自信と挫折の中学時代

中学に入っても、教室では「すみっこ族」だったが、
変わったのは部活動に入ったことだった。
私は幼少期から習い事で新体操を続けていて、
中学でも新体操部に入った。
(新体操部がある中学って変わっているかもしれない)

未経験だらけの部員の中で唯一の経験者で、
レギュラーに選ばれ、周りに羨ましがられ、
部活動だけは自分が輝ける場所だった。

しかし、3年生最後の引退試合で、
二軍に落とされてしまった。
私が経験者であることに胡坐をかいている間にも、
周りの部員たちは必死に練習していたのだった。

まさか周りに抜かされるなんて、と内心自尊心が傷ついた私は、
情けないことに「足の調子が悪い」などと言い訳をして、
その後の練習を度々休むようになった。
最後の晴れ舞台で、一軍の選手がキラキラのレンタル衣装を着て出場する中、
私はコーチのお古の衣装で出場することになった。


SNSが支えになった高校時代

さらに、高校受験に失敗し、
滑り止めの高校に入学することになった。
その時もまさか落ちるなんて、とショックを受け、
ひねくれた高校時代を過ごした。

幼少期に中途半端に褒められて育ち、
中学・高校で挫折を味わったせいで、
高い自己顕示欲と低い自己肯定感を併せ持ち、
いつまでも承認欲求が満たされない面倒な性格に成長してしまったのだった。

そんな私が出会ったのが、Twitterだった。

私が最初に始めたのは、
いわゆる「日常垢」というようなものだった。

徐々にフォロワーが増えていき、
いいね(当時は☆「ファボ」だった)をもらえたり、
フォロワーとコメントのやり取りをするのが楽しみになっていた。

どうでもいいことでも誰かが見てくれて反応をくれたり、
身近な人には言えないような悩みを聞いてもらえたり、
愚痴を共有しあったり、
ネットでの繋がりがいつの間にか自分の心の支えになっていた。


SNSで世界が広がった大学時代

冴えない高校時代を過ごした私は、
大きな期待と野心を持って、「大学デビュー」を目指した。

しかし、あまりの期待と緊張からか、
入学式の数日後から、精神的な原因で声が一切出なくなってしまった。

入学式でできた友人たちは優しく、
話に入れない私に気を使ってくれているようだった。
しかし、だんだん気まずさと申し訳なさを感じるようになり、
自分から距離を置くことにした。

そんななか、何か趣味を見つけたいな、
と思って始めたのが、カメラだった。

バイト代を貯めて買った、5万円の小さなミラーレスカメラ。
すぐに飽きるかもな、と思っていたけれど、
存外に楽しくて、
大学やカフェ、旅行、いろいろなところにカメラを持って行くようになった。

そして、カメラについてもっと詳しくなりたい、
同じ趣味を持った友達と知り合いたい、
と、Twitterでカメラアカウントを始めた。


カメラという趣味は、いわゆる「趣味垢」の中でも、
実際に会うハードルがかなり低いと思う。
仲良くなったら、「今度一緒に写真を撮りに行きませんか?」
と、自然な流れで会う約束ができる。
カメラ好きの人と出会って、同じ感動を共有したり、
カメラや撮影スポットについての情報交換をするのが楽しかった。
さらに、仲良くなった友人と別の友人を交えてグループで出かけたりして、
友人の輪が広がっていった。

さらに、コツコツ投稿を続けていると、
少しずつフォロワーは増えていき、フィーチャーされることもあった。
自分の写真が評価されている、ということが数字で表れるので、
反応が多くて喜んだり、逆に反応が少なくて悔しさをバネに研究したり、
SNSにのめりこんでいった。

初めて買ったミラーレスカメラ
始めたての頃に撮った池の写真


SNSが仕事になった20代

社会人になっても、まだまだカメラにハマっていた。
カメラ友達の輪もかなり広がったうえに、
学生の頃よりも自由に使えるお金が増え、
旅行に行けたり、行動範囲も広がった。

当時、星の数ほどあるカメラアカウントの中で、
何か、自分を象徴するものがほしい、と思って始めたのが、
「#現像メモ」だった。
全国のフィルム現像所を利用し、作例を紹介する。
その取り組みが功を奏し、
「現像メモがすごく参考になります!」
「現像メモを見てフォローしました!」
という反応をもらった。

SNSのフォロワーもじわじわと増えていき、
企業案件や撮影依頼のDMをもらうようになった。
いいねやコメントといった反応だけでなく、
直接的に、自分の写真を求めてくれる人がいる、
ということがとても嬉しく、自分の自信になった。

現在も、個人の撮影依頼や企業案件、
カメラ記事の取材など、
色々なことに携わらせていただいている。
また、SNSの運用経験が、思いがけず転職活動にも役に立った。

自分の価値を模索していた学生時代から、
ようやく自分が輝ける場所を見つけられたと思えた。

代官山発ジュエリーブランド ANSUR 


SNSと出会って変わったこと

付き合いやすい友達が増えた

一番大きかったのはこれだ。
いわゆる「リア友」が少ない私にとって、
SNSはとてもありがたいものだった。

前述のとおり、
カメラのSNS友達は、実際に遊びに行く関係になりやすい。
趣味が共通の話題になり、話も弾みやすい。

思春期に経験した女子特有の人間関係は極端としても、
それ以降も、学校や会社、サークルなど、
リアルのコミュニティは疲れるなと多々感じていた。

全員が繋がっていることで、
誰か個人との関係が他の関係にも影響したり、
「誰々が誰々の悪口を言っていたよ」
といった噂が回ったり、
一人一人とフラットに付き合えなくなる。

その点、SNSの繋がりは、
リアルでは違うコミュニティ(学校・会社・出身等…)の個人個人が、
点同士のように、一人一人と付き合える。
すべてがすべていいことずくめではないが、
それはのちに書くことにする。

自分の評価を陰から見ることができる

私は、人前に出ることがとても苦手だ。
授業や仕事でプレゼンがあると動悸がして手汗でびっしょりになるし、
就職面接では緊張しすぎて面接官に笑われたこともある。

しかし、そのくせ、
どこかで「評価されたい」「注目されたい」
という強い承認欲求をもっている。

SNSは、「私」というリアルの人間ではなく、
匿名で、自分の作品や文章だけを見てもらえる。
そして、それが数字や言葉になって表れる。

さらに、同級生や同僚など、
存在を認識している身近な相手に見られるのではなく、
お互いに「どこかのだれか」として、
見る・見られる関係である。

例えば、知り合いに見られるのは気恥ずかしいことや、
自分の弱みを晒しても、
見る人にとっては、「どこかの誰かさんの笑い話」でしかない。
それが、自分にとても合っている気がした。

人付き合いの考え方が変わった

SNSの繋がりは、いいことも多いが、悲しいこともある。

SNSは、リアルのコミュニティと違って、
簡単につながることができると同時に、簡単に切ることもできる。
SNSがきっかけで会う約束をした人が、
当日に何の連絡もなく待ち合わせに来なかったり、
以前SNSで絡んでいた人にいつの間にかフォロー解除されていたりということも多々ある。

SNSの友人は、直接会っていなくても、
SNSで近況を確認できている間は、
久しく会っていない感覚がなかったりする。
しかし、相手がSNSから離れると、
途端に疎遠になるどころか、連絡手段すらなくなってしまったりする。
毎週一緒に撮影に行ったり旅行に行くような仲だった友人も、
結婚を機にSNSから離れてしまい、今はすっかり近況がわからない。

また、文字だけのやり取りでは顔が見えない分、
良くも悪くもコミュニケーションのハードルが低いのだと思う。
コメントで心無い言葉をかけられたり、
ひどい言葉で批判されたりしたこともある。

そんなSNSでの関係を経て、
良くも悪くも、無意識に「ほどほどな人づきあい」のスタンスをとるようになった。
お互いにSNSで近況を認識しつつ、
きっかけがあればコメントやメッセージを送る。
機会があれば一緒に出かける。
ただ、過度に深入りしたり期待したりはしない。
例えば相手が突然SNSを消してしまったり、繋がりを切られてしまっても、
自分が傷つかないためだ。

その甲斐あって、
気楽な人間関係を続けることができている。
ただ、本当は、SNSがなくても付き合っていけるような、
例えばお互いに結婚式に呼べるような、
深い友人関係を築きたいという気持ちもある。



まとめ

SNSでのコミュニケーションは、SNSが普及する前とは大きく違っていて、
合う・合わないはあると思います。

SNSがなかった時代に、
人付き合いの寂しさを感じたり、
自分の価値を模索していた私にとって、
SNSは、新しいつながりや、自分を認めてもらえる、
大きな存在になりました。

今の私にとって、間違いなくSNSは必要なもので、
SNSがなかったらどんな人生になっていたのだろう…
と考えると、本当にありがたいことだと思っています。

今後も、さらに想像もつかないような新しい世の中になっていくかもしれません。
予想もしなかった新しいチャンスがあるかもしれないし、
逆に、どんどん廃れていってしまうかもしれません。
いろいろな期待と不安を抱えながら、SNSとともに今を生きています。

最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました!


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