【フィルム写真で振り返る】25歳社会人、一人で山形合宿免許に行ってきた
10月末~11月頭、一人で合宿免許に行ってきました。
25歳、社会人のこの時期に行ってきたのは、
いくつか自分なりの理由がありました。
キャリアや人間関係など、
いろいろな悩みからメンタルの調子を崩してしまい、
9月からしばらく仕事を休職していました。
休養中と言えど、
「時間があるうちに何か行動しなければ」という焦りを感じていました。
転職や今後の人生をいろいろと考えた結果、
思い切って合宿免許に参加しようと思ったのでした。
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視線
大勢の若い学生に交じって一人で参加するのか、
とやや不安もありつつ参加したが、
学生の長期休みを外れた閑散期だったのもあって、
教習生の数は少なかった。
入校最初の手続きで、
教官に「25歳なんだ、仕事はしてるの?」
と聞かれ、
「はい、してます。」
と答えると、
「まあ、別に書かなくてもいいけどね。」
と少し気まずそうに言われた。
他の教習生にも、
「何年生ですか?」
と聞かれ、
「学生じゃないんです、25歳です。」
と答えると、
へえ~…と微妙な反応をされた。
変わっている・訳ありだと思われても別にいいと思った。
一人で遠い土地に来て、周りはもう二度と会うこともないような人たちだ。
ある意味気楽で開放感があった。
自由
合宿中は、実技教習が1日1~3コマと、
オンラインの学科教習を2~3コマ受講する時間割だった。
空き時間は自室でゆっくりするもよし、
教習所の施設(カラオケ・ビリヤード等)で遊ぶもよし、
出かけるもよしだった。
電車は数時間に1本、バスもほとんどないような田舎で、車は使えない。
私は、空き時間のたびに宿舎の自転車を借りて、
一人で田舎の町を走り回った。
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田舎
田舎の風景、夏と秋の合間の空や雲。
「東北は寒いだろうから」と母が貸してくれたコートを脱いで、
ニットの袖を捲って過ごした。
初めての田舎の土地で、ただ一人で自転車を走らせる。
首都圏では、
ビルやマンションが立ち並ぶ街で多くの人がせかせかと歩いて、
小さな公園や花畑も人でいっぱいになる。
しかし、この田舎には広大な自然が惜しみなく広がって、
皆それが当たり前のように気にも留めない。自由。
見渡す限り田んぼや山、
まるでこの世界に自分一人になったような感覚になる。
現実から離れられたような気がして、最高に清々しかった。
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人生
長い田舎道を走りながら、一人物思いにふける。
思えば、今までは平凡に大きな滞りもなく進んできた人生。
それが20代半ばになって、働かずに一人で合宿免許に参加している。
人生何があるかわからないものだな、と苦笑したくなった。
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少し前、地元で母と買い物に出かけたときに、
母の知り合いと出会ったことがあった。
「娘さんは何をしてる人なの?」と聞かれた時、
母は困ったように笑いながら、
「今は何もしてないんです、プー太郎で」と答えた。
母を心配させている。がっかりされている。
その会話が、ずっと頭にこびりついている。
以前にも考えたことだが、
自分は、幼少期に中途半端にちやほやされ、
成長するにつれて挫折を繰り返して周りに失望されたことで、
極端に低い自己肯定感と、
でもどこかで「自分は本当はできる」という負けん気とプライドを持った、
複雑な人間に育ってしまった。
そのため、
いい大学に進学しなければ、いい企業で正社員にならなければ、
というように、社会的評価や成功にこだわっているところがあった。
しかし、実際には能力が伴わないことや、極端に打たれ弱いことから、
自分が描く「正規ルート」で走れなくなってしまった。
これからの人生、自分はどうするつもりなのか、
巻き返すためにはどうしたらいいのか。
休養中も、将来のことを考えると気が休まらなかった。
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合宿免許で選んだのは山形県の教習所。
教習所がある地域を訪れるのは初めてだったが、
母親が宮城県出身なのもあり、東北には昔から馴染みがあった。
畑や田んぼ、自然が広大に広がり、
果物を収穫したり、犬の散歩をしたり、古民家の縁側で本を読んだり、
それぞれ自分の時間を過ごしている人たち。
(もちろん農業にも大変さはあると思うが、)
都会よりもゆったりとした時間が流れているように見えた。
教習所の宿舎で優しく迎えてくれる寮母さん(というのかな?)、
観光案内所で観光スポットを教えてくれるガイドさん、
地元のカフェで個展をしていた作家さん。
東北訛りで、優しい笑顔で話してくれる人たち。
私がこだわっていた「東京の正社員」以外でも、
生き生きしている人がたくさんいた。
どうせなら、自由に生きる人生もアリなんじゃないか、と思った。
本当は、写真や文章に携わる仕事がしたい。
地域の観光や特産品の魅力を伝える仕事もしてみたい。
自分のお店もやってみたい。
安定よりも期待を求めてみてもいいんじゃないか。
今やりたいこと、今しかできないこともある。
そう思うと、自分に課していたしがらみから解放されたように、
清々しい気持ちで満たされた。
この歳になるまで免許を取らなかったのは、
車がなくても支障がない生活圏だったのもあるが、
自分に自信がなかったからだった。
教習に参加すると決めた後も、
本当に自分に運転ができるのか、
教官に怒られて心が折れてしまうのではないか、
と不安と緊張でいっぱいだった。
しかし、実際に参加してみると、
たどたどしさはありつつもなんとか慣れていき、
他の同期と一緒に卒業することができた。
教官に強い言葉で指導されることがあっても、
冷静に受け入れることができた。
学生時代、バイト先の社員に叱責されて1週間で辞めてしまった自分を思うと、
少しは人間として成長できているかもしれない、と思った。
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おわりに
25歳で免許合宿、最初はしり込みしていましたが、
結果的にとてもいい経験になったな、と思っています。
学生の頃のように授業や指導を受けたり、
のどかな田舎で一人自分について考えた時間は、
今だからこそできた経験だったと思います。
今回に限らず、やるかやらないか迷ったときはやる、
経験のチャンスを大切に行動していきたいです。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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