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無意識のなかに、ありのままの自分が見つかるかも。


本の紹介と見せかけて、ただの振り返りnoteです。

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昨日の夜、早めに子どもたちが寝たので、久しぶりに夜の読書タイムを楽しんだ。

読んだのは、こちら。

タイトルだけ見ると、ちょっと怯んでしまいそうになる。分厚い専門書のはなしばかりだったら、読みきれるかなぁ…なんて。

しかし、黄色を背景に、青い恐竜のような着ぐるみを着た人が、棒アイス片手にこちらを見ているという可愛らしい表紙の作品。

こちらの本、科学エッセイというジャンルとのこと。科学に関係する本や映画が、難しそうな大作「種の起源」(ダーウィン)からディズニー映画「アナと雪の女王」まで、さまざま紹介されている。

前々から読み進めていて、昨日はそろそろ読み終わり。「いろいろ見てみたくなっちゃったよー」と思いながら、あとがきに入ったら衝撃が走った

その部分を引用させてもらう。少し長いので、わたしが特に伝えたい部分は、太字に変えている。

雪の科学者として知られた中谷宇吉郎は科学全般の普及にも力を入れ、「科学を文化向上の一要素として取り入れる場合には、広い意味での芸術の一部門として迎えた方が良い」(「科学と文化」より)との持論を展開していた。その手段の一つとしては、「科学的な考え方というものはどんなものであるかということを、日常的な現象を切り口に味わい深く伝える」(「科学と社会」より)随筆(エッセイ)が有効であるとも。

著者が中谷宇吉郎から引用している部分を、わたしがさらに引用するという状態。分かりにくさ満点になってしまった、申し訳ない。



なぜ、この文章に衝撃を受けたのか。

「日常的な現象を切り口に〜」のあたりで、ふと自分が最初に書いたnoteの記事を思い出したのだ。

いや、別にわたしの記事が味わい深いエッセイだったと言いたいわけではない、残念ながら。そんな技量はないし、そもそも書いたのはエッセイでもなかった。ただ、記事に科学的な要素が入っていたのだ、ほんの少しだけ。

『書き始めってエネルギーがいるから、ひとつでも書いて、そのハードルを下げよう』的な内容と、摩擦力のはなしをからめて書いていた。

「もしや、日常的なものと科学とを関連させて伝えることの実践だったのでは?」と、わたしの脳みそは勝手に解釈し、興奮していたのだった。

それにしても、どんだけ地味な内容でnoteデビューしたんだ。「記念すべき最初の投稿なんだから、もっとなにかあったでしょ」と思うのだが、きっとこれが自分なんだろうと、今は妙に納得している。


仕事のことで悩み、「子どもたちに科学の楽しさを伝える仕事をしてみたい」と気付いて動き始めた。けれど、それより前に 科学と伝えるを無意識に結びつけていたなんて

それに気がついたときの驚きたるや。

自分のなかにある科学への想いを見た気がした。そして、やってみたい仕事が、誰かの気持ちの真似ではなく、自分の中から出てきたものだと実感した。

なにげなく書いていたnoteに、こんなに勇気をもらえる日がくるとは思わなかった。

今なら「ありの〜ままの〜」と、歌って踊り出せそうな気さえする。サビしか覚えてないけれど。


noteを長く続けたら、こういう自分の無意識があちこちに散りばめられていて。

自分が迷ったとき、それを拾い集めたら、きっと勇気や励ましをもらえるのだろうなと思う。

「誰かのためになるものを書きたいなと思っているけれど、最終的には自分のために書いているのだな」と、3ヶ月続けてみて感じた。

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それでも、続けていられるのは、やっぱり読んでくださる皆さんのおかげです。

どう考えても、読者ゼロで3ヶ月はやる気がもたなかったでしょう笑

いつもあなたのスキに励まされています。
本当にありがとうございます。

それでは、よい一日を。

ごきげんよう


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