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新藤兼人『絞殺』【勝手に西村晃映画祭⑥】

イチョウが黄金色の葉を輝かせていた頃、体調が悪化していてなかなかnoteに手をつけられなかった。反省。
体調が少し落ち着いてきたらイチョウの葉はもうすっかり落ちていて、もう2023年も残りわずか。西村晃映画祭は年をまたいで細々と続けていきます!


新藤兼人は美術見習いから映画業界でのキャリアを出発させた脚本家で、1951年に『愛妻物語』で監督デビュー。そして79年『絞殺』が監督としての36本目(短編含む)。
『絞殺』の前作『竹山ひとり旅』上映の都合で年1公開のペースが崩れてしまったというが、この28年の間には脚本で参加した作品も多くあるわけで、彼の突出したバイタリティと体力には改めて驚いてしまう。

さて今回取り上げる『絞殺』は、開成高校生殺人事件をヒントにある家族の軋みを描いた作品である。元ネタの事件発生は77年で母親の死が78年、映画公開が1979年。映画化するにはやっぱり早すぎるような……。でも、事実を活写して人を集めたい下世話さより新藤兼人の視点が強く投影され事実とは別方向に膨らんだ作品なので、まあいいのかな。
あとは、ほぼ同時代に撮影されたおかげで土地や映り込んだものから当時の雰囲気が感じ取れたのが案外よかった。
特にロケ撮影が際立つ蓼科のシーンでは、再開発前の茅野駅や土地の雰囲気、鉄製の諏訪バス、おそらくまだ新しいであろうリゾートホテル蓼科(たぶん)の外観などが見られる。
茅野駅前は再開発でずいぶん変わってしまっているみたい。

https://www.city.chino.lg.jp/soshiki/toshikeikaku/chono-nishi.html
https://www.city.chino.lg.jp/soshiki/toshikeikaku/1399.html

↑「こういうブログ好き」シリーズ。

さて本作で西村晃は、たたき上げのスナック経営者・狩場保三を演じている。保三本人に学がない分、息子の勉(役名と芸名が同じ狩場勉)にはいい大学に進んでほしいと妻・良子(乙羽信子)と願い応援している……なんてものではなく、「息子の進路はとにかく東大」と決め込み自分の歩めなかった人生を勉に託そうとする父親役。立派な男として振る舞う傲慢な姿ばかりでなく、勉の暴力にうろたえ喚くほかない弱々しい姿も印象的だ。
乙羽信子は、勉に執着しながら過大なプレッシャーを与える母親・良子を演じた。やさしいようだが勉に対しては加害者の側面ももつ、恐ろしい存在である。
タクシーに乗り込むと目的地を何度も変更させながら加藤登紀子の『鳳仙花』を口ずさむ場面はすごかったな。とにかく不気味なのだ。わたしは『絞殺』を観てから『白と黒』を観たので、あっちの気立てのいい奥さん役との落差にちょっとびっくりしてしまった。

話を戻す。

勉の暴れようは近隣住民に知れ渡るほど悪化したため、隣近所から保三の勉殺しがDVに対する正当防衛だと擁護してもらえるのだが、その近隣住民たちが絶妙にいやーな感じなのだ。本編で実際に見てみていただきたい。
隣人のなかには殿山泰司もいるよ。


※楽天TVにスチル写真がたくさん載ってるけどDVDも出てるし、23年末の時点で楽天TVのほかにiTunes(都度課金)、U-NEXTでも観られる。

そもそも狩場家の間口はけっこう狭い。廊下も狭く、2階に上がる階段も狭くて急だし、かなり暮らしにくそう。
勉が両親の性交渉を目撃してしまうのは保三の配慮のなさに問題があるけど、家の間取りや動線にもう少しゆとりがあればよかったんじゃ…って感じ。
本作では敢えて説得力のある家のセットを制作したものだろう。

でもプライバシーが尊重されない環境のわりにはお互いに必要な会話が欠落している。
保三は“家長”として妻子を抑圧するばかりで彼らの心情を慮らないし、良子はそのシステムの中で生きるために保三におもねり自分の自由=愛情を託すために勉を溺愛し、勉が成長しようとするとそれを裏切りと捉える。
勉は彼らの行動を言葉で責め立てないけど、成長する自我に突き上げられるようにして暴力をふるう。
新藤兼人は本作について、次のように述べていた。

失われた対話をテーマに、と思ったんです。何人かの人間のからみを断面的で見るという、立体的な組み方のなかで。

キネマ旬報・1979年5月号 P149

この狙いは、初子(会田初子)の存在でより明確になる。
初子も裕福な継父(岡田英次)に支配どころか性的に虐待されており、苦しい日々を過ごしている。義父による初子への虐待を目撃した勉は両親の性交渉を目撃したとき同様の鬱憤とエディプスコンプレックスを募らせる。
その後、(実は継父を殺害していた)初子に誘い出された勉が行くのが蓼科である。景気が良かったころに建てられた大きなリゾートホテルがぴかぴかなのにがらんどうで、なんとも寂しく、いいロケーションだったなあ。雪山で性交渉するシーンは滑稽にすら見える生命の叫び、みたいな感じでわりと印象に残るシーンだった。(そうは言いつつ、観ながら「寒そう…日焼けしそう…」なんてどうでもいいことが頭によぎった)
その後初子が亡くなったことを知ると、混乱した勉のエディプスコンプレックスが再燃し、初子の“父殺し”をヒントにするかのように家庭内で暴力を振るい始めるのだ。
新藤兼人の筆致には、閉塞感に苛まれる勉や勉のようなこどもたちへの同情を感じる。同情といったら上から目線ぽいニュアンスが含まれるかもしれない……思春期の大変さを経験してきた大人としての共感というべきか。
ただし、もちろん暴力は良くないことで、DVが始まってからは勉側の描写はほぼなくなるところからもやはり新藤兼人の意思は伝わってくるなあと思った。

わたしも10年くらい前にこの作品を観てたら、あまり冷静に観られなかったかも。中学受験の塾通いで感じた鬱屈や体力を持て余してた中高時代のつまらなさから、今は幸いにも随分遠ざかってしまったんだなあ。

今日はこのあたりで。
ごきげんよう!

https://amp.natalie.mu/eiga/film/150406

『絞殺』(1979)
上映尺:116分
監督・脚本:新藤兼人
製作:多賀祥介・能登節雄
撮影:三宅義行
音楽:林光
美術:大谷和正
出演:乙羽信子、西村晃、狩場勉、会田初子、岡田英次
アスペクト比:アメリカン・ヴィスタ(1.85:1)
配給:近代映画協会=ATG

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