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生成AIの台頭とアーティストの杞憂

ラッパー、シンガーのLUCKDAR(ラクダ)と申します。
YouTubeやApple Music、Spotifyをはじめとしたサブスクにて、音源やMusic Videoを配信しております。 

前回は相棒のSASONLY(サソリ)との関係性について記事を書きました。
またその他自己紹介の記事も過去に書いております。
よろしければ併せて読んでいただけば幸いです。

さて今回の記事ですが、少し趣向を変えて、世の中に目を向けてみようと思います。
最近巷では、生成AIによる画像、動画、文章、そして音楽が各界隈を騒がせております。
私もアーティストの端くれですので、他人事ではありません。
しかしAIについてはあいにく門外漢の私ですから、下手なことは言えないのですが、自身のフィールドを脅かされるかもと思うと、心中穏やかではいられません。
私の考えるAIの特徴、強みはなんといっても「学習する」ということです。
膨大なビッグデータから得た「知識」を解析し、そして最適な「答え」を提示してくれるAIは、我々の生活から切っても切り離せないものとなっております。
今現在この記事を読んでいただいている、あなたのスマートフォンやパソコン、タブレットも、そんなAI技術によってもたらされた産物であることは、否定出来ないでしょう。
しかしながら、便利な技術が生まれれば、それを操る我々人間にも、モラルや責任というものが同時に生まれます。
中には悪いことに利用する人もいることでしょう。
では"悪いこと"とは何なのでしょうか。
悪質なフェイク画像、動画、フェイクニュースやポスト。
そして、「誰かの何かによく似たナニカ」です。
私も制作活動を続ける中で、陥(おちい)ることがある"既視感"。
人間には無意識というものがあります。
日々の生活の中で何気なく耳にする音楽や、フレーズ、光景やイメージ。
そういったものが、脳の中に無意識として刻み込まれ、私の作業を邪魔するのです。
「すごくいいんだけど、どこかで聞いたことがあるな」
何度経験したことでしょう。
おそらく分野が違えど創作活動をされている方でしたら、きっと共感いただける感覚かと思います。
無自覚での無意識の介入、それにより生まれる作品。
その匙加減が絶妙であれば、恐らく大衆に受け入れてもらえる大作となるやもしれません。
もしくは「オマージュ」、「インスパイア」といった尾鰭がつくこともあるでしょう。
(但し最初からそうと謳っている作品については別ですが。)
線引きが難しいのですが、そのような作品づくりは、古来より様々な分野で行われていることですので、今更歯牙にも掛けないのですが、先ほど述べました"悪いこと"についてはどうでしょうか?
そういった既視感を作為的に引き起こしたり、もはや本家と瓜二つレベルの事例も見られ、さながら"無法地帯"の様相を呈しています。
と、ここまでネガティブなことばかりを挙げましたが、やはり便利なものは便利。
使い方によっては大いに役に立つツールでもあるのです。
Music Videoや楽曲のアートワーク作成等、制作の助けとなる側面も持ち合わせています。
私の場合はアナログ人間なので、自身で撮影したり、絵を描いたりしている為、今のところその恩恵に預かることはないのですが、生成AIの足音がすぐ近くまで来ているのを実感しております。
話は変わりますが、皆様は松尾芭蕉の句、
「古池や蛙飛び込む水の音」
一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
たった17音で描き出される情景描写に、私は趣(おもむき)を感じます。
言葉を詰め込むラップと、限られた音の中に世界を見出す俳句では、対極の存在とも言えますが、
私は自身の作品づくりの中に、俳句や短歌のエッセンスを添えています。
「語らずに語る」
そして日本人として備わった「侘び寂び」の精神。
物語の語り部(かたりべ)として、そういった先人の
"ビッグデータ"にあやかる私でありますが、AIが「趣(おもむき)」、「侘び寂び」を理解する日は、訪れるのでしょうか。

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