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"アーティスト元年"

ラッパー、シンガーのLUCKDAR(ラクダ)と申します。
YouTubeやApple Music、Spotifyをはじめとしたサブスクにて、音源やMusic Videoを配信しております。

前回、前々回の記事に引き続き、今回も自己紹介の記事を書かせていただきます。
自己紹介については今回で最終回となります。
過去の記事をまだ読まれていない方は、併せて読んでいただけますと幸いです。

ここまでの記事では、自身のアーティストとしての姿勢や、活動名の由来についてお話してきました。
今回は、私LUCKDARが「ラッパー」、「シンガー」として歩き出した"記念日"について、語らせていただきたいと思います。
私は学生時代、洋ロックにどハマりしていました。
Fall Out Boy、Boys Like Girls、The All-American Rejects、All Time Low、Relient K.…
様々なバンドにハマり、いつか自分もバンドマンとしてステージに立ちたい。
そんな思いを抱え青春時代を過ごしました。
しかし、その夢は夢のまま終わってしまいました。
今にして振り返ると、あの時願いが叶いバンド活動が出来ていたら、現在私はLUCKDARではなかったと思います。
やりたかった。出来なかった。悔しかった。
そういった負の感情が、心の奥底に根深くこびりついたまま、ただ漠然と日常を過ごしておりました。
2020年。世界はコロナ禍の真っ只中にあり、私も突如訪れた非日常に辟易していました。
そんな2020年こそが、私の"アーティスト元年"であります。
約10年ぶりに再会した旧友が、私を音楽の世界へと誘(いざな)ってくれたのでした。
先述の通り、生粋のロック好きであった私に、
「ラップ」というのは少々クセが強く、当初彼からの誘いに対し、気乗りがしなかったというのが正直な思いでした。
しかし、「曲をつくる」ということはとても刺激的で、かつ中毒性のある行為でした。
なにかに突き動かされるように、毎日曲を書きました。
そうしてつくったデモを、彼に聴いてもらい、褒められるとそれが快感となり、次第に病みつきになっていきました。
そんな友こそが私の相棒、SASONLY(サソリ)なのですが、彼については後日記事にさせていただきます。


期待と不安が入り混じりながら、初めて音源をYouTubeに投稿した日のことは、今でも鮮明に覚えております。
僅かですが再生数が増えていったり、高評価やコメントを貰えると、拙いながらもアーティスト意識が芽生え、歌うことへの誇りを確かなものへとしていきました。
創作活動を続けていると、「作品を生の声で届けたい」、「ステージに立ちたい」。
そんなふうに思うようになっていきました。
しかしながら、以前の記事にも書いた通り、私はアーティストとしては微妙な立ち位置。
ライブに出たくても、当時の私はどうやって出たらいいのかまったく分かりませんでした。
しかし、そこで挫けるような私であれば、未だに音楽を続けていることはなかったでしょう。
頼もしい仲間、SASONLYと共に「無いのであれば作ればいい」と、2人でイベントを立ち上げました。
その名も"HALO"。
このイベントについても、いずれ記事にする予定なので割愛しますが、晴れてステージデビューを飾ることができました。
それこそが私にとってもう一つの"アーティスト元年"でもあった訳です。
そのようにして、何もかもが初めて続きの、音楽の旅。
未踏の荒地を耕すがごとく、誰の足跡もついていない、イバラの道を歩んできたLUCKDARですが、もし私一人であれば、きっと挫けてしまっていたと思います。
先程から何度も登場している彼、SASONLYの存在が、何度も私を支えてくれました。
次回の記事では、そんな彼についてお話をさせていただきたいと思います。
どうぞご期待ください。

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