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高学歴と言えるラインはMARCH?早慶?それとも東大?

 ネット上でしばしば話題になる議論として、「どこからが高学歴」というものがある。確かにこの手の議論は個人の価値観によって大きく変わるので、定式化するのが難しい。大卒はみんな高学歴という人から東大理三以外カスという人まで様々だ。

ネット上の動画にはこのような調査もあった。

 この動画を見る限り、早慶以上とかMARCH以上と答える人が多いようだ。因みに高田ふーみんの価値観では早慶旧帝辺りか少し下の同志社辺りらしい。

 実際は「どこから高学歴」という問いは業界や志向によって大きく変わってくる。今回は色々な業界を踏まえた高学歴の基準について考えてみたいと思う。

高学歴は「MARCH・関関同立・地方国立」以上という説

 日本人全体の上位10%に当たり、世間では妥当なラインとされる。このMARCH以上という基準は「大卒ホワイトカラー」の世界に入れる基準といってもいい。これより下の学歴の大手サラリーマンもいるが、多かれ少なかれ逆転要素が入ってくる。

 いわゆる就活戦線で話題に上るような大手企業は基本的にMARCH以上が必要だ。大体伝統的な日本の大企業は早慶旧帝以上が3割くらい、残りがMARCH等で占められることが多い。それ以下の大学の出身者は英語・コネ・資格など、何らかの強みが無いと厳しいだろう。

 全くの自由業であってもMARCH以上というラインは感じられる。ネットの記事などを読んでいても、学者なり報道なり作家なりといった人々は大抵がMARCH以上だ。それ以下となるとグッと減る。あたかもMARCH以上が前提のかのような言説も多い。「世の中に学歴は関係ない」という人も、大体は優秀な早慶やMARCHの人が東大に逆転している様子を話しているのであって、それ以下は土俵に登ってこないだろう。

高学歴は「早慶・旧帝」以上という説

 この価値観はより世界が限定されてくる。高学歴は早慶旧帝以上と考えている人はそれなりに豊かな暮らしをしている人だろう。先述の通り、大卒サラリーマンの世界ではMARCHが前提なので、「高学歴」と扱われるのは早慶旧帝以上となる。

 都心部・富裕層・大手企業といった界隈では学歴の「真ん中」がMARCHになる。SAPIX通塾者の平均学歴もMARCHである。そのため「頭いいね」と言われるのは早慶旧帝だ。筑波や横国といった上位国公立大学は大変微妙な扱いを受けることが多い。

 また、早慶旧帝の強みが1つある。それは「天井」が無いことだ。早慶旧帝が学歴フィルターに引っかかることはない。MARCHが就職できない業界はあるが、早慶旧帝が就職できない業界はほとんど存在しない。東大じゃないとダメな世界もあるが、ほんの一部の特殊な分野に限られる。日本を代表する政治家や大学教授が早慶旧帝の出身でも普通に賢くて優秀とみなされるだろう。基本的に早慶旧帝のラインをクリアすれば学歴がハンデになるシチュエーションは存在しないと思って良い。

 テレビ番組の扱いも高学歴の基準は早慶のようだ。クイズ番組を見ていると、早慶以上の大学の出身者は大学名がことさらに強調され、頭のいい人という扱いになっている。慶応卒のミッツ・マングローブや早稲田卒のやくみつるも文化人扱いだ。情報発信の主体がいかにMARCH以上で成り立っているかの良い例である。

高学歴は「京大・一橋・東工大」以上という説

 このゾーンは比較的分かりにくく、そもそも学歴の壁が認知されていない可能性もある。概ね学歴人口比で考えると東大と早慶の差は早慶とMARCHの差よりも遥かに大きく、間に京大・一橋・東工大が入る。東大・一橋・早慶・MARCHで等間隔である。

 また三者を一括りで扱うのが難しいのは、京大と一橋・東工大の性質が全く異なることにもよる。京大は東大に準ずるブランド力を持つが、一橋・東工大は非常に地味だ。また、上に明確に東大が君臨するというハンデもある。

 このラインが高学歴と認識されるのは限定的な環境だろう。大手企業の中でも特に上位の総合商社やマスコミ系では早慶が当たり前なので、京大・一橋・東工大以上が高学歴として扱われるかもしれない。

 また、このラインが重要な意味を持つ業界が一つだけある。それは医師だ。医学部は早慶旧帝よりも難易度が高く、簡単なところで東工大レベルだ。医師は早慶旧帝では届かない特殊な業界の筆頭に挙げられるだろう。

高学歴は東大だけという説

 この意見を主張する人もいるが、基本的にネタか精神を病んでいると考えて良いだろう。東大でないと就職しにくい業界はほとんど存在しないからだ。例外はキャリア官僚くらいだろうか。官僚は東大卒が中心というカルチャーが根強く、他大の出身者は傍流という感じが拭えない。京大ですら自虐する始末だ。他に例を見ない異常な環境と言える。

 他にも東大卒が3割とか4割よりも多くを占める外銀や外コンも東大以外は高学歴扱いにはならないだろう。ただし、それ以外の大学を低学歴扱いするのは世間の常識に著しく反しており、どちらかというと「全員が高学歴」という認識になるだろう。

 東大でないとクリアできない何かがあるとすれば、それは「学歴だけでコンテンツを作る」ことである。早慶旧帝ではフィルターに引っかかることが無いだけで、他にプラスアルファが必要だ。しかし、東大を出ているとそれだけで目立つ事ができる。これは東大のみが持つ特殊な性質だろう。

高学歴は東大理三だけという説

 ごく稀に学歴厨の一部がこうした言説をすることがある。基本的には意味不明と考えたほうがいい。このような人は仮に東大理三に合格したとしてもその後にコンプレックスを抱える可能性が高いだろう。学歴厨の業界ですら「東大理三でないとできないこと」は存在しない。あるとしたら鉄緑会の講師くらいだろうか。

大卒はみんな高学歴という説

 これはそれなりに説得力のある言説である。1950年代の大学進学率は10%程度で、現在のMARCH関関同立地方国立に近い人口比だった。大卒と高卒は資格要件が厳密に分かれており、事実上の慣習でしか無い偏差値の格付けとは違って法的な根拠が存在する。

 ただし、現在は大学全入時代だ。大学進学率は50%を超えている。こうなると、大卒だけで高学歴というのは無理がある。見るからにその筋のものであるガーシーやルフィですら大卒だ。昭和の「大卒」の感覚は現在のMARCH以上と考えたほうがいいだろう。実際に私立小や中学受験組など、環境が整った階層のボリュームゾーンはMARCHだからである。

修士・博士が高学歴という説

 これは国際的にかなり説得力のある価値観だ。外国では東大の学部卒は低学歴扱いであり、修士博士が評価の対象となる。実際に修士や博士を出た人も、大学以降の学びの蓄積を考えるとこのように評価したくなるだろう。

 ただし、日本社会の現状がそうなっていないのが問題だ。一般企業で修士博士が評価の対象になることは少なく、学部卒の方が下手すると評価が高い。日本の学歴評価基準は東大や早慶といった大学のブランドにフォーカスされており、ガラパゴス的である。

まとめ:重要度が高いのは早慶ラインとMARCHライン

 実社会の学歴フィルターを考えると、重要度が高いのは早慶とMARCHだ。日本の一般企業がこの基準を重んじる傾向が強いからである。MARCHは大卒ホワイトカラーの世界に参加するための1つのラインとなっており、大手企業に行くにはほぼ必須だ。

 都心部・富裕層・私立小・中学受験組といった世界の場合、ボリュームゾーンはMARCHとなる。整った環境に身をおいている場合は平凡な才能でもMARCHに進学できると考えて良い。政治家の二世がいい例だ。

 学歴フィルターが存在しなくても、社会的に発信している人々はMARCH以上が殆どで、このあたりに学識による分断が存在している可能性が高い。日本の格差は「MARCHが真ん中だと思っている人」と「MARCHが上位10%だと思っている人」の間で起こっているのだ。

「MARCHが真ん中だと思っている人」の世界で高学歴扱いされるのは早慶以上だ。政治・経済・マスメディアの世界ではこれが通念となっているようだ。彼らの考えるエリートコースに参加できるための学歴が早慶以上ということになる。

 早慶以上の大学に進学するには一定程度の努力と才能が必要であり、彼らは間違いなく自分のことを勉強が得意と思っているだろう。しかし、MARCH近辺の場合は所属環境の影響を大きく受ける。5chで「世間ではMARCHが高学歴」といった言説は、無意識に彼らがMARCH以上の高学歴の世界に住んでいることを示している。それ以下の世界の住民は情報発信能力が低く、言論空間では異世界と考えられがちだ。ここが学歴以上に日本社会の壁となっているのである。言い換えれば東大だ慶応だ明治だと言っている人々は同じ世界の中のマウンティングであり、本当はそれ以下に日本人の半分強を占める、不可視化された世界が存在するのだ。ホワイトカラーの人間にとって、彼らは公立小学校以外で出会うことのない異質な相手である。


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