関西出身東大卒の特徴について考えてみた

 筆者の愛読している「東大卒の人生を考える会」さんが興味深い記事を書いていた。

 東大というのは都内の大学にして珍しく関西人が多数生息する場所である。東大生の6人に1人は関西人であり、キャンパス内に関西弁が飛び交うことは非常に多い。筆者の周囲にも多数の関西出身者が存在していた。

 首都圏にはこのよう環境は意外に珍しいのではないかと思う。関西から上京してきたタイプはいわゆる「東京志向」であることも多いからだ。村上春樹が典型例である。村上春樹の作品は大体読んだことがあるのだが、名古屋や札幌は登場するのに、関西に関してはほとんど言及されていない。

 今回は関西出身の東大卒の特徴について考えてみた。

関西出身東大卒の分布

 関西出身の東大卒であるが、筆者の在籍していた文科一類には特に関西人は多く存在していた。灘や東大寺といったトップ進学校の生徒がまとまった数進学してくると言った事情もあるだろう。筆者の時代はまだ東大文一信仰のようなものがかろうじて残っており、理系至上主義の学校でも東大文一に進学する場合はそれなりに評価されることが多かった。現在はかなり怪しくなっているが、少し前まで東大文一は文系最高峰という性質により、文系の中ではちょっと特殊な立ち位置だったのである。

 一方、文科二類や文科三類は文一に比べるとそこまで関西出身者は見かけなかった。特に文科二類は首都圏出身者の割合が(統計は存在しないものの)東大の中で最も高いのではないかと思っている。東大文二の場合は進路が民間企業になる場合が多いため、地方出身者にとってイメージしにくいのではないかと思う。

 京大や医学部がある中でわざわざ東大に進学してくる人たちなので、当然学力的にはかなり高い人間が多かった。東大文一の同級生に関してはほぼ挫折知らずのような雰囲気の者も多かったと思う。

関西人は優秀?

 在学中に関しては、関西出身者はかなり優秀という印象だった。関西は首都圏よりも人口規模が半分なのにもかかわらず、灘高校をはじめとする関西中高一貫校のレベルは高いし、理科三類にも多数生徒を送り込んでいる。勉強に関する意識が首都圏の進学校に比べると明らかに高い印象もあった。首都圏の上位進学校の生徒はプライドが高い反面、ちょっと受験を舐めているフシもある。高3になっても学校行事に打ち込んでいる学校もある。例えば開成はあれほど東大合格者が多いのに、東大模試などで上位に食い込むタイプはあまり多くない。

 東大に入ってからも、関西人は優秀な人が多かった。首都圏の出身者よりも明らかに真面目で実直である。首都圏出身者はひたむきに努力するというよりは、見栄や周囲の評価を気にするところがあるので、独特のチャラさやドライさがある。この点、関西出身者は安定性を感じることが多かった。

 一方、受験で燃え尽きたり、首都圏に馴染めない者も結構存在していた印象である。筆者の周囲を考えても、留年を繰り返して東大卒としては微妙なところに就職した者や、起業に失敗したもの、引きこもりになってしまった者もいる。

サラリーマンについて

 こうした振り返ってみると、ある一つの特徴に気づく。関西出身の東大生は2極化が結構激しいということだ。東大卒の学者や官僚を見ていると、関西出身者は結構目立つ。一方、落ちこぼれてしまった人間も多い。中間層としてサラリーマンになる層が薄いのではないかという印象を受ける。

 先ほどの記事で関西出身者の予後の悪さについて記述があったが、これはどちらかというと中間層の関西出身東大卒のようである。言われるまで気が付かなかったが、確かにこの層は優秀層があまり存在しない。社会に出てから見かけた東大卒の出身を見ていても、地方公立や首都圏進学校が多く、関西進学校はほとんど見かけたことがないのである。

 その理由についてはいくつか思いつくので考えていこうと思う。

1.関西出身東大卒は民間企業への関心が低い

 これは関西というよりも地方出身者全般に言えることかもしれないが、基本的にエリサラへの解像度は低いし、意欲も大して高いとは言えないのではないかと思われる。地方には外銀やマスメディアは無いので、高学歴エリートの職業といえば医者や弁護士くらいしか思いつかないのである。地方出身者は研究者や官僚のようなそこまで民間の性質が強くない業界をイメージしている気がする。普通は東大に行く人間は財務官僚とか人工知能の研究者になると思われているようなので、そうしたイメージを引きずっている印象だ。

 これに加え、関西出身の東大卒はいくつかの要素が加わる。まず、手堅く就職するようなタイプは京大に進学するか、医学部に進学していることが多いだろう。これは他の地域にはない特性である。したがって関西からわざわざ上京しているタイプは飛び抜けて頭が良い挫折知らずのタイプや、学歴・学問に大してこだわりの強い変人タイプだろう。前者は民間就職に興味が薄いし、後者はサラリーマンに向いていないので、結果としてエリサラとして優秀な層は薄くなってしまう。

 この点、首都圏出身の東大卒は関西出身に比べるとわざわざ東大に行っているという雰囲気はない。普通に手堅く就職するつもりだったが、たまたま勉強が得意だったので東大に来てしまったというタイプも多いのである。

2.エリサラの世界を支配するのは慶応大学

 関西出身東大卒のうち、優秀層は弁護士・官僚・研究者といった業界を志向していることが多く、実際に彼らは社会に出てからも順調に出世街道を歩いている。彼らは予後が悪いどころか、むしろ余りあるほど優秀である。これらのルートは東大の延長線上にあるため、東大で優秀とされているタイプは社会に出てからも優秀であることが多い。

 一方、中間層としてエリサラの世界に入っていった東大卒はどうか。エリサラの世界の文化で中心となるのは明らかに東大ではない。多数派は早慶やMARCHといった首都圏私立大学の出身者である。特に代表格は慶応大学だ。したがって関西出身東大卒が入っていく世界は東大とは異質なものとなる。

 慶応大学的な価値観では概ね内部生>首都圏出身>地方出身、というーストが出来上がっている。これは東大には見られない構造である。東大を含む国立大は立地にこだわりが少ない人間が多く、「都会感」はあまり興味を持たれていない。したがって地方出身者が比較的活躍しやすい環境である。一方、慶応大学はこれらとは全く異質なカルチャーであり、頭の良さよりも金持ち感や都会感の方が重要である。東大における灘高校のような存在は慶応大学やその他の私立大学には存在しないである。

 また、慶応大学辺りの学生は五教科の偏差値や教養面、数理的な素養で東大生に遠く及ばないため、英語や国際交流などを強みにしようという気質が強いように思える。就職活動やインターンなどに関しても明らかに地方出身東大卒に比べて積極的である。関西出身東大卒はこうした慶応大学的なカルチャーとは全く違うところで生きてきたため、エリサラの世界に馴染めないのではないかと思われる。

3.親がエリサラではない

 これも地方出身全般に言えることだが、関西出身東大卒で親がエリサラという人間は少ない。関西出身東大卒のうち、親が高学歴エリートという人間は大半が親が医者である。医者は18歳時点から一般大学とは進路が交わらないため、エリサラの世界にはどう考えても疎いだろう。民間企業勤務の人間もいるが、最近は企業の首都圏移転が加速しており、関西のエリサラ層はどんどん薄くなっている。

 したがって、関西出身東大卒のうち、親がエリサラの事情に詳しいという人間は少ない。マッキンゼーとかゴールドマン・サックスといっても、Fラン大のように聞こえてしまうらしい。

4.「東京」に馴染もうとしない

 これは東大に存在しないカルチャーなのだが、普通は地方出身の首都圏移住者は何らかの点で「東京」に憧れを持っているケースが多い。例えば地方出身で東大京大に届かない学力層の人間は首都圏に大して特にこだわりがない場合は地元の旧帝大に進学することが多い。言い換えれば地方出身で早慶やMARCHなどに進学してくる人間は「東京」に憧れを持っているということだ。

 一方、関西出身東大卒で「東京」に憧れを持っているという人間は筆者の観測範囲内では見たことがない。というか、関西の方が格上と考えている人間もいる。彼らがこだわっているのは「東大」であって、「東京」ではないのだ。こういったメンタリティを持っていると、官僚や弁護士といったエリートコースには憧れを持っても、タワマン文学に代表されるような「東京」の文化には馴染みにくいのではないか。

 この点、地方出身者は関西のような比較対象が無いため、比較的すんなりと「東京」に馴染んでいく印象である。

気が付かなかった理由

 筆者はこうした事情に言われるまで気が付かなかったのだが、思い返してみると確かに関西出身東大卒の予後が良いとは言えないと思うに至った。その理由を考えてみると、筆者が高校や大学の延長線上で彼らを捉えていたということがあるかもしれない。彼らは頭が良いし、東大に入ってからも優秀な人が多かったのだが、確かにエリサラの世界ではめっきり見かけない。

 色々考えてみたが、筆者が実のところエリサラの世界での成功について疎いという理由があるかもしれない。高校の時に筆者は灘高校の天才を見て感銘を受けたのだが、同様の感銘を会社で出世した人や外銀出身の超有能人材に感じることはなかった。筆者の才能や人物評価に関する価値観は東大時代で止まっているのである。これらを考えると、筆者もまた関西出身東大卒と似たような問題と挫折を抱えていると言えるかもしれない。

関西人、本当にわからない

 唐突だが、筆者は関西人という存在が良く分かっていない。関西人はどうにも場所や人種によって全く違った姿を見せるのではいかと思っている。要するに、首都圏よりも棲み分けが激しいのではないか。

 例えば関西出身東大卒の特徴に反し、関西系のJTCは首都圏よりも更に保守的で泥臭いことが多い印象である。インテリ的な気風は全く尊重されないし、むしろ嫌われているのではないかと思う。また、関西の気風は京大のカオスな気風とも異質だと思う。保守的な京都の地からあのような大学が生まれる辺り、京大は京都とは別の法則で回っているのだろう。筆者の考える関西の気風は京大でもなければ関西出身東大卒でもなく、阪大である。

 学歴を見ても関西の奇妙な棲み分けを見ることができる。関西は首都圏に比べて公立信仰が強く、中学受験の割合は低いはずである。ところが、関西出身東大卒はほとんどが中学受験組だ。筆者の観測範囲内で高校受験組は灘以外見たことがない。むしろ関西の方が中学受験率が高いような印象であった。関西はどうにも公立高校から京大阪大に行く層と私立中高一貫校から東大や医学部に行く層が分かれているのではないかと思う。

 筆者の知っている関西人はかなり優秀だし、それは灘高校が大量の東大理三合格者を送り込んでいることからも分かる。しかし、関西の教育水準は学力テストの点数を見る限り、あまり高くないようだ。

 どうにも関西という土地は何事も2極化しやすいようである。関西は首都圏と違って階層社会の性質が強く、ジニ係数が高いのではないかという素朴な感想を持っている。関西という不思議な土地に関する考察は色々あるのだが、あまり書くと問題になりかねないので、今回はこの辺りで終わることにする。多分書くとしても有料記事かな・・・

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