なぜ日本人は東大<<医学部に気が付かないのか

「東大卒の人生を考える会さん」からのリクエスト?でまたまた考察記事を書いてしまった。元ネタはこの記事である。

 東大に進学するよりも医学部に進学した方が明らかにメリットが大きいにもかかわらず、多くの人間が東大に進学するのはなぜなのか?という疑問は長年謎とされてきた。実のところ、筆者も考察したのだが、想像以上に両者の格差は大きかった。医学部卒が圧倒的な給料とやりがいを得られ、しかも生涯有効なのに対し、東大卒の肩書が有効なのはせいぜい第二新卒くらいまでで、しかもキャリアの自由度はかなり低いのだ。

 偏差値というと馬鹿にされるかもしれないが、結構重要である。偏差値は大学の市場価値そのものだからだ。東大の偏差値は医学部のほとんどを圧倒しており、日本人の多くが東大に医学部を上回る価値を見出していることが分かる。それに対して卒業後のパフォーマンスはなんとも貧相である。この事実は世間はもちろんのこと、東大卒の多くにとっても認識されていない。その理由について考察していきたい。

職業選択まで目が向かない

 特に高校生に顕著なのだが、どうしても目先の偏差値で大学を選びがちである。東大や医学部に受かるような生徒は学術的好奇心が強いものが多いので、やはり東大に進学したくなってしまう。筆者も学問の府としての東大の価値は非常に高いと思っている。

 高校生はそれまでの人生で教育しか受けたことがないし、教育への適性が高いとなれば、東大へ意識が向かうのも無理はないだろう。要するに、教育それ自体が目的になってしまうため、卒業後の経済的価値に目が向かないのである。

 地方の場合は親は医学部に行ってほしいのに、子供は東大の悪魔的魅力に従って東大志望になるという話がしばしばあるらしい。筆者は長年気が付かなかったのだが、地方出身者が東大に持つ期待感の一つに「東京」という要素があるようだ。確かに、地方の人間はやや東京をステータス視しているところがある。医者もかなりその傾向が強い。地方の医学部志向が緩和されている原因の一つは「東京に行けば可能性が広がるだろう」という希望があるに違いない。東大に行くような高校生は地元ではダントツに優秀だろうから、尚更である。

東大の圧倒的な権威

 職業的成功以外の無関係な側面で東大卒を評価している人間はたくさんいるようだ。年収・職歴が同じだったとしても、東大卒の肩書が欲しい人間は沢山存在する。なんと、医者にすら東大コンプの人間はいるらしい。やはり「頭が良い」という肩書は価値が高いのだろう。なぜかは分からないが、教養や学問に興味を持たない人間ですら、東大だけは評価していることが多い。

 要するに、日本社会においては東大は凄まじい社会的権威を持っているので、目がくらんでしまうのだ。例えばYouTuberのコバショー氏は医学部に行かなかったことを後悔しているとも言われるが、コバショーの学歴厨ぶりを見ると医学部に進学していた場合は重度の学歴コンプに悩まされていたことは確実である。

 この問題を突き詰めると「学び」をどこまでキャリアの手段として捉えるかという問題に行き着くだろう。ただし、「学び」の達成度という観点では東大の学部卒は中途半端である。

有名人の存在

 東大卒はしばしばメディアに取り上げられがちである。東大王なんて番組もある。東大卒の人物はありとあらゆる業界で出世して有名人になっているだろう。国会議員の排出率が一番高いのは東大法学部である。学者や知識人においても東大は強い。他にも東大卒の有名人を挙げればキリがない。三島由紀夫とか、星新一とか、安部公房とか、色々いる。(ちなみに安部公房は医者ではない)

 となると、やはり東大と医学部では東大の方がスター性があるのは間違いない。アップサイドでは東大の方が上ということになるだろう。

東大卒と医学部卒が交わる機会は少ない

 東大と医学部を比較する人間は存在するが、かなり一部界隈に偏っている。よほどのマニアか、有名進学校の出身者か、医者家系の出身だけだろう。

 医学部は特殊な世界であり、医学部卒と東大を含むその他の一流大学卒が交わる機会は皆無である。したがって両者の世界を比較する機会は少ない。首都圏に国立医学部は少なく、しかも都心から離れている。私立医学部は別の意味で特殊な世界であり、東大卒の多くは関心がない。ましてや卒業後となると、ほとんど交流はないだろう。

 また、これは東大卒のみならず、早慶旧帝の普通学部に関しても同様に医者との接触機会は少ない。エリサラ層が医学部よりも東大の方に目が向くのは当然だろう。メディアは首都圏に集中しているため、一層この傾向は煽られる。

東大理三という撹乱要因

 東大VS医学部論争を撹乱する存在として理三の存在がある。理三を持ち出す人間がいるせいで、この論争は常に混乱をきたす。この論争は東大理三を持ち出すと逆にわからなくなってしまうのだ。

 まず、東大卒の根底にある、偏差値とリターンが見合っていないという問題は、東大理三においても同様に存在するということだ。したがって幸福度論争において理三は医学部ではなく東大に似た振る舞いをする。理三の人間を見ても医学部の強みはわからないだろう。

 また、東大の一般学部の人間が医学部の強みを理三の強みと誤解するケースもある。偏差値が高いからリターンも大きくて当然と納得してしまう。実際は理三の強みは全ての医学部に共通する点なのだが、肝心な点が覆い隠されてしまうのだ。

 東大卒にとって接触機会が比較的多いのが東大医学部だが、その立場があまりにも特殊であるため、むしろ撹乱しているのである。もし理三が存在していなければ、成績優秀者の医学部志向はさらに弱くなっていただろう。

首都圏の医者はそこまで儲からない

 首都圏の場合、医者はそこまで社会的な地位が高くない。エリサラが多数存在する一方で、医者の給料は首都圏において低いからだ。筆者の小学校には医者の子供が大量にいたが、別に医者が格上扱いされている印象はなかった。少なくともエリサラに対して優位に立ってはいなかった。むしろ東大卒の方が尊敬されるかもしれない。

 東大卒の多くは首都圏で働いているため、東大と医学部の卒業後格差を実感する機会は多くない。収入それ自体に大きな格差があるわけではないのだ。特に東大卒が意識しがちな東大医学部は日本で最も平均年収が低い医学部なのではないかと思われる。

 というわけで、首都圏に住んでいると医学部の優位を実感することは少ない。むしろ激務でキツイ福祉職という印象である。首都圏には起業家など無限に金持ちがいることも拍車を掛けている。美容クリニックで大儲けしている医者もいるが、単に儲けるだけだったらホリエモンや三木谷浩史の方が儲けている。医師は勝ち組ではあるが、数ある勝ち組の一つという認識である。

首都圏の医者はそこまで威信もない

 名誉面でも同様だ。首都圏は医者以外に威信のある職業が無限にあるので、医者がエラいと実感することはない。総理大臣・事務次官・日銀総裁の前では医者は霞んでしまう。むしろこうした分野でイメージされるのは東大法学部である。医者の世界の頂点である医学部教授も、他の学部の教授に対して名誉面で優位に立っているとは言えないだろう。

 やはり医者は数ある専門職の一つという認識であり、首都圏においてはそこまで目立つ存在ではない。東大はあらゆる分野で目立つので、名誉面では東大の方が強いかもしれない。首都圏のエリサラ家庭で育つと、なぜ理三や医科歯科の偏差値が高いのかさっぱりわからないのである。筆者の周囲を見ても東大に行く学力があるのに医学部(理三以外)に行った人間は親が医者のものがほとんどだった。

異なる業界を比較する難しさ

 大学受験はせいぜい文系理系の違いくらいしかなく、様々な学校が一律に評価されてしまう。しかし、就職の場合はレールが複線化しているため、どちらが上か下かと言われても困ってしまう。総合商社より官僚の給料が安いからといって格下ということににはならないのと同じだ。特に医学部の場合は特殊過ぎるので、比較しようという発想にはなりにくい。

 人間は自分のいる環境の中で相対的に優劣を判断する生き物なので、高校卒業以来会っていない医学部卒には目が向きにくい。劣等感を感じるのは基本的には同じ会社・年代・性別の人間だろう。 サラリーマンというのは基本的に内向きな種族なので、会社の外の出来事にあまり関心が無かったりする。高校の同級生が医学部に進んで倍の給料を稼いでいても気にならないが、隣の席の同僚が早く昇進して基本給が1万円上がってしまうと悔しくなってしまうのだ。

東大卒の比較対象は東大卒

 比較の難しさに関わってくることだが、東大卒の比較対象は基本的に東大卒である。これは結構独特かもしれない。いつまでも東大時代の同級生に意識が向いている人間は少なくないのだ。

 東大卒はなんだかんだプライドを持っている人間が多いので、やはり「人と違う」という特権意識を持ってしまう。したがって比較対象は内向きであり、いつまでも同級生の話題が出てくる。裏を返せば、駅弁医学部に進学した人間が自分より収入が高かったとしても、意外に気にならないのである。

医学部の優位の見えにくさ

 医学部の本当の優位は東大に比べて見えにくい。首都圏において東大卒エリサラは医師と対して収入が変わらないし、仮に収入差があったとしてもエリサラは幸福度の上限とされる年収800万を確実に超えているので、精神的な生活水準は変わらない。違いがあるとすれば贅沢品の購入だが、東大卒の多くは贅沢品に興味がないと思う。

 名誉面でも医学部は地味だ。医学部で頂点に立つ医学部教授は首都圏においてマイナーな存在である。政治と経済の中枢が存在する東京において医学部教授になりたいという層は多くない。筆者が子どもの時に「白い巨塔」を見た時も、医者より裁判官の方がエラいという認識だった。東大卒がコンプを持ったとしても、最初に浮かぶのは学者や事務次官になりそうな同級生であり、町医者が浮かぶことは少ない。

 医学部の強みは部屋を埋め尽くすブランド品でもなければ、偉そうな医学部教授でもない。医学部の強みを体現しているのは近所のおじいちゃん耳鼻科医や子持ちのおばさん医師なのだが、ここに気がつく人間は多くないだろう。

 医学部の真の強みは進路選択の自由度である。この点にフォーカスすると東大と医学部には圧倒的な格差があることが分かるだろう。だが、「自由度」という項目はかなり抽象的なので、多くの人間は実感することが難しい。医学部の強みは医者にも東大卒にも今ひとつ理解されていないのである。

S型N型

 MBTIの話になってしまうが、S型N型のそれぞれの特性も影響している。S型は基本的に自分の所属する環境を疑わない人種なので、医者の息子でない限り、偏差値に従って東大に進学するだろう。就職後は自分とは全く進路の異なる医学部に興味を持つことはない。

 一方、N型の場合は環境に囚われない人種なので、独自の理由で医学部へ興味を持つことがある。筆者が知る中で医学部再受験した人間は100%N型である。しかし、N型は学術的好奇心が強い人間が多く、東大の(見かけ上の)選択肢の多さに心惹かれてしまうため、実際はS型以上に東大志向になってしまう。実利を優先して医学部に行くという生き方はN型にとって魅力的ではないのだ。

 東大VS医学部論争をしているのはほぼN型である。N型は「あり得たかもしれない、別の世界線」の話が好きだし、机上の空論で論じることが多い。S型にとって医学部は時間的にも空間的にも遠い世界の話であり、どうでもいいだろう。

まとめ

 東大と医学部の効用は基本的に後者の方が上である。東大から医学部受験をする人間がいるのはそのためだ。世にも珍しい、「偏差値が低い大学への仮面浪人」である。それにもかかわらず、市場において医学部よりも東大が評価されてしまうのは、医学部の真の強みが理解しにくいからだ。

 医学部の強みは進路選択の自由度であり、給料の高さはその一環でしかない。しかし、この「自由度」という概念はわかりにくい。普通の人間は目に見えているものをベースに考えているので、「あり得たかもしれない、別の可能性」にはなかなか気が付かない。いや、気付かないような仕組みになっている。東大生も医学生も気が付いていないかもしれない。天才の集う東大を見ても、激務で疲労する医師を見ても、さっぱり見えてこないだろう。医学部に行った同級生が呼び出しで昼食を食べられないと言っていたのは驚いた。人生で食いっぱぐれることはなくても、一日単位だと頻繁に食いっぱぐれるようだ。この調子では医学部にブラックなイメージを持つ人間が多くても当然だ。

 医学部の真の強みは潜在的なものだ。専門も働き方も幅が広く、まずいと思ったら方向転換もしやすい。転職・独立も普通である。確かに眼の前の医師はブラック労働をしているかもしれないが、それは好きな専攻を選んだからかもしれないし、やりがいが多いからかもしれない。給料がべらぼうに高いからかもしれないし、出世したいからかもしれない。辞めてもどうにかなるという安心感のお陰かもしれない。

 東大卒の場合はこうは行かない。まず入学時点での進路の希望が叶うのは半分以下だ。安定したキャリアを歩もうとすれば働き方の自己決定権は返上する必要があるし、一度転落したら戻るのは難しい。自由な生き方をすることもできるが、そこには大きなリスクを伴う。他大学に対する優位もあまりない。医師免許が一生使えるのに対し、東大の肩書が使えるのは新卒だけなのだ。その割にキャリアへの期待感や自己有能感はバブル状態なので、精神的に苦しむ人がいる。

 それでも東大の威光が揺らがないのは日本社会の東大信仰があまりにも強いからだ。確かに東大の学力は他の大学を圧倒しているため、眩しくてその先が見えないのだろう。情報の非対称性というのか、自分よりも圧倒的に頭の良い人間の価値観は予測不能と思われるため、東大卒なら特権がなくても自力でキャリアを何とかするだろうと思われている。(実際に何とかする人は多い)ただ、実際に自分の会社に東大卒が受けに来たらコミュ力の低さや新卒で無いことを理由に不採用にするのである。

 ただ、キャリア面に限らなければ、東大卒の肩書は意外と使い出があるかもしれない。例えばほとんどの人が気づいていない東大卒の肩書の意外な使い方として、女医と結婚しやすいことがある。この話に関しては随分先になってしまうだろうが、記事で語るかもしれない。

 

 

 

 

 

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