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東大より医学部の方が将来の選択肢が多いというパラドックスについて

  東大VS医学部論争については今までも散々論じたのだが、今回もそのシリーズである。医学部の方がメリットが明らかに多いにもかかわらず、多くの人間が東大への進学を望むのは、東大に進学した方が将来の選択肢が多いからだろう。医学部に行けば医者にしかなれないが、東大に行けば理論上はどの学科にも進振りで進むことができるし、就職先も特に縛りは無い。しかし、よく良く考えれば東大の方が将来の選択肢が多いという前提は誤りかもしれない。実は東大を出るより医学部を出る方が将来の選択肢は多く、しかも転換が容易なのだ。今回は世間でほぼ認知されていない、このパラドックスについて論じてみようと思う。

進路選択

  東大に行った場合は一見色々な進路が可能なように見える。確かに間違ってはいないのだが、多くの人間はここで誤解をすることになる。

まず理科一類・理科二類・文科三類の場合は進振り競争が激しく、特に情報学科のような人気の学科に進学する場合は熾烈を極める。毎年一定の割合で希望の進路に進めない学生が出てくる。文科二類でも下位2割は経済学部に進むことができない。

   となると、東大の特徴である入ってから学科を選べるという強みはリスクにもなりうるということだ。ただし、医学部の勉強のハードさを考えると、東大の進振りを過剰に恐れる必要は無い。人気の学科を狙わない限り、進振りで失敗した学生は医学部で進級している学生よりも勉強していないだろう。医学部の学生と同じくらい勉強している学生が進振りに失敗することはまずない。というわけで、大学という場においてはまだ東大と医学部の格差は顕在化しない。むしろ学びという点では東大に軍配が上がる。
 
  ところが、就職の段階になると問題が顕在化する。東大生は入学時点で研究者を志望しているものが多いが、入学後にアカデミアの現実を知るにつれて幻影が冷め、民間企業への就職へ切り替える人間が多い。研究者にはほとんどの人がなれないし、なったとしても人生設計で諦めなければならないものが多いかもしれない。

  就職に関する選択肢はある程度広いのだが、ここにも問題がある。筆者の周囲を見回すと、希望の業界に進めた人間は半分程度である。業界単位ですらそうなのだから、ましてや希望の会社に入るのは研究室推薦などを除けば至難の業だ。例えば東大法学部の場合、官僚志望の人間のうち実際に官僚になれたのは半分で、希望の省庁に行けた人間はさらに少ない。では民間企業の方が簡単かと言うと、そんなことはない。民間企業の就職はバクチのようなもので、官僚よりもさらにコントロールが難しい。総合商社やマスコミなど希望の民間企業に行けた人間は半分以下なのではないか。

  この点医学部はどうか。医学部を中退したり東大を受け直す人間もいるにはいるが、一部の私大を除き95%以上は医者になっているだろう。これは東大生の進路選択にはありえない数値である。

年齢制限の厳しさ

  東大生の中間層は基本的に民間企業に就職することになる。特にJTCと呼ばれる大手民間企業に進む場合、最も重要なのは学歴でもコミュ力でもなく、年齢である。

  他大学は分からないが、東大に限れば留年は意外にハンデにならない。官僚や外資は年齢要件にやや緩く、JTCは東大パワーで乗り切れるからだ。しかし、それでも浪人や留年でプラス2を超えてしまった場合や博士課程に進んだ場合、何らかの事情で既卒になってしまった場合は東大卒であっても就職活動は厳しい。また、エンジニア等は違うかもしれないが、通常の日系就活においてはファーストキャリアがかなり大事なので、ここで失敗した場合に挽回するのはかなり難しい。

  一方、医学部の場合はどうか。医学部の場合は浪人や留年を繰り返したとしても、中退さえしなければレールに戻ることは容易である。同級生に引け目を感じたり、医局で出世しにくくなることはあるかもしれないが、東大のように初手の失敗が永続的に続くことは無い。こうした年齢要件のシビアさにより、東大から医学部再受験は大勢いても、医学部から東大再受験は少ないのである。

  というわけで、東大の場合は医学部よりもタイミング的にはシビアだと考えた方が良い。筆者も留年してチャレンジしたいものはあったのだが、新卒一括採用を逃す恐怖から逃れられず、結局サラリーマンの道を選んでしまった。

  また、時間的なシビアさが運命を大きく分けた例も知っている。筆者の知人の医学部生は学生時代にうつ病になり、数年間学校に行けない状態が続いた人がいた。しかし、病気を直して復帰し、国試に合格して医師をやっている。一方、筆者の東大時代の知人に就職活動の直前に親が急逝し、メンタルがダウンしてしまった人がいた。おかげで民間就活がめちゃくちゃになってしまい、彼の能力からすると不相応に思える中小企業に就職することを余儀なくされた。こうなると通常の方法で挽回するのは難しい。彼自身も不本意だったという認識があったのか、再受験で医学部に合格したらしい。

  東大の場合は医学部に比べて時間的な制限が遥かに厳しいため、「まさかの坂」に対して弱い。特に新卒一括採用のプレッシャーは強烈であり、失敗した時の再チャレンジはかなり難しい。医学部を卒業してしまえば国試は何回でも受けられるが、新卒就活は原則1度きりなのである。

専門性

 これまでは比較的差異が少ない項目だった。浪人や留年が自由度かというと微妙だし、進路選択の幅も東大はなんだかんだ広い。東大卒と医学部卒の差が一気に広がるのは卒業後である。

 筆者にとって驚きだったのは、医者の専攻の希望が通りやすいことだ。皮膚科医になりたかったが、面接に落ちて強制的に精神科になった、といったケースはそこまで多くないのである。(もちろん専門医の段階でドロップアウトする人間はいるが、これはどちらかと言うと短期離職に相当するので別個に論じることにする)

 一方、東大卒はどうか。東大卒の多くはサラリーマンになるので、基本的に配属の希望は(最近はマシになったとはいえ)通らないと考えたほうが良い。自分はこの仕事がやってみたいと憧れていたとしても、それを決めるのは会社である。基本的に就職した後は自分の意思で進路を決定するという概念はなくなると考えてよいだろう。

 更に深刻なのがミスマッチ問題だ。医学部の場合は初期研修で一通り科を経験することができるので、個々人の希望と特性に応じて働く方向性を決めることができる。医学部合格者がコミュ障でもどうにかなってしまうのは、この時点での選択の幅の広いからだ。一つくらいは適性のある診療科があるので、初期研修さえ乗り越えてしまえば、どうにかなる人が多い。

 一方、東大を出た場合はかなり厳しいことになる。先述の通り希望の業界に進めるのは半分くらいだし、会社単位となると更に少ない。インターン等があるとは言え、多くの東大生は会社で何をやるか良くわからない状態で入社することになる。入ってから「違う」と思ったとしても、既に新卒就活は終わっているので、遥かに不利な状態で戦うことになる。

 キャリアチェンジの難易度とリスクは東大の方が遥かに高い。医学部の場合は給料が高い上に横並びであるため、多少路線変更しても最終的には給与水準が追いつく。一方東大の場合は第二新卒くらいまでなら有利かもしれないが、会社の格が下がって生涯賃金が目減りする可能性は否定できない。実際、官僚の転職はかなり厳しそうだった。

転職

 医者の場合は転職はかなり容易である。ジョブホッパーだったり、空白期間があったとしても、そこまで問題にはならないらしい。医局で出世しようとしたら別かもしれないが、専門医などの資格があれば引く手あまたである。フリーランスで働くことも可能だ。

 一方、東大を出ても転職は慎重に行わざるを得ない。東大を出ていても、有利なのはせいぜい第二新卒までだ。新卒であっても希望の会社に入ることは難しいが、この難易度は年齢とともにどんどん上がると考えてよいだろう。基本的に日本のサラリーマン社会において転職はあまり好ましくないこととされており、勢いで転職して失敗したら元の待遇には戻れないかもしれない。サラリーマンの場合はキャリアが会社に依存している事が多く、医者よりも遥かに人生への影響が大きいのだ。したがって転職先も少しでも信頼のある大企業にするのが無難となる。もちろん空白期間があったらアウトである。

勤務地

 医学部の場合は勤務地の選択の余地は大きい。地方は医師不足であり、いくらでも働き口はあるだろう。しかも都会よりも給料が高いという話である。医局に所属した場合はハードな転勤があるらしいが、医局を抜ければ関係のない話である。

 一方で東大卒はどうか。東大卒が行きがちな官僚や金融機関などの職場は首都圏に集中しており、地方に就職するのは難しい。地方に帰る人間もいるが、基本的には「キャリアダウン」であり、医学部行った場合とは給料や社会的威信の側面で大きな差ができてしまう。

 更に言うと、外資系や地方公務員などを除いて東大卒が就職するような会社は(最近はマシになったとはいえ)転勤が激しいことが多い。地方移住が難しいどころか、東京に安住することもできないのだ。

働き方

 ここは個人差が大きいが、医師の場合はフリーランスや非常勤といった働き方も可能のようだ。もちろん給与水準は医師の給与水準である。バイト医として勤務することも可能だし、単発のバイトで荒稼ぎすることも可能だ。なにより、これらの勤務形態は自分の意思である程度操作可能である。

 東大を出てもこんな芸当は不可能だ。フルタイム勤務でなければまともな賃金はもらえないし、一度バイトに転落したら復帰は難しい。空白期間も基本はNGである。東大卒の働き方は、医師で例えるならば年限の無い地域枠であり、しかも65歳になると「免許」は失効するのである。

 医学部と東大の大きな差はドロップアウト耐性かもしれない。医学部の場合は資格業なので、ドロップアウトしても復帰は可能である。東大の場合はドロップアウトはサラリーマンとしてのゲームオーバーを意味する。東大法学部⇒長銀という経歴の林修ですら門前払いである。

賃金

 医師の賃金はものすごく高い。だが、給料が高いからといって幸福ではないことは良く知られている。医師の真の強みはそこではない。幸福度は年収800万を超えると上がらないと言われている。医師の場合はこのラインを切ることが無い。したがってひたすら高給を追い求めるのもよし、年収800万でゆるく働くも良し、やりがいを求めるもの良し、である。

 東大卒にそのような自由はない。年収800万を稼ぐのは簡単ではなく、新卒でずっとレールの上に乗り続けなければならない。その上、そういった稼げる仕事はやりがいが欠如していることも往々にしてある。給料を取るかやりがいを取るか問題は医師にも存在するが、医師の場合は給与水準の高さからやりがいを求めても赤貧の生活にはならないので、この点で自由度は高いと言える。また、サラリーマンと違って進路変更も可能である。

 医師の強みは結局のところ、給料のことを気にしなくて良いという一語に尽きる。これのお陰でフリーランスで働いたり、非常勤で働いたりという生き方も可能になっているのである。東大卒の場合は賃金水準が低いので、多くの人間はやりがいを求めてハイリスクな道を進むか、収入の安定したつまらない仕事に付くかの二択を迫られる。後者を選んだ場合は仕事の意義はほぼ金になるが、それでも医師の賃金よりは1ランク下がるのが普通だ。

ブルシット・ジョブ

 東大卒の中には勤務医と同等の待遇で働いている人間は大勢いる。ただし、留意しなければならないのは、そうした人々が従事している仕事は基本的にブルシット・ジョブだということだ。面白そうな仕事や夢のありそうな仕事は基本的に食えないか搾取的なので、普通の東大卒は現実と折り合いを付けてブルシット・ジョブに従事することを選ぶ。筆者の周囲を見る限り、民間企業で働いている人間は本当に仕事がつまらなそうである。

 医学部の特異なところは、1000万円以上の給料をもらっていながら、やりがいを感じている人が結構存在することだ。拝金主義的な医者も多いが、一方でそれほど高い給料を求めず(それでも800万円は越えている)、患者や医学のために頑張っている医者も多いのである。

 また、医者の場合は転職が容易なので、やりがい志向になって違ったと思ったら元の路線に戻ることは可能だ。東大の場合は一つ一つの進路が取り返しがつかないので、慎重にならざるを得ない。東大卒エリサラが「やりがい」を求めて転職を仄めかそうものなら、即座に「嫁ブロック」である。

  両者の違いを考えると、やはり医者が年収800万を切らないという要素に行き着く。東大卒がこのラインを超えるためにはやりたいことを諦めてブルシットジョブに従事しなければならない。転身したくても失敗のリスクが高すぎて踏み込めないのだ。

人生生の後半戦

 医師に定年はない。一度医師免許を取ってしまえば一生物である。これは資格の最大の強みと言えるだろう。実際、70代80代で働いている医師はたくさん存在する。 一方、医師の場合は給与水準の高さから、FIREすることもできる。引退時期を早めることも遅くすることも容易なのである。

 一方、東大卒はそのような資格ではない。東大を出てもその効果は新卒就職の1回券なのである。当然、65歳になれば定年で無職になる。この段階から就ける仕事は介護・警備・飲食など、これまでの学歴や職歴を生かしにくいものになりがちだ。ではFIREできるかというと、(人にもよるが)医師よりは難しいだろう。

海外

 昔から一定数日本には海外信仰が強い人間がいる。グローバルに活躍できない人間はダメだという話だ。日本は学士が威張っているから低学歴なんて話もこの一環である。

 医学部を出た場合は修士扱いだし、博士号も取りやすいのでこの点では国際的に通用する「高学歴」ということになる。またアメリカの医師免許を取ることも可能だ。医師の資格は場所を選ばないので、紛争地帯でも働く事ができる。基本的にグローバル化に強いと言えるだろう。

 一方東大の場合はどうか。理系のエンジニアや研究職なら海外でも通用するかもしれないが、医者ほどの汎用性はない。問題は文系や文系就職したパターンだ。まず学士しか取っていないし、学歴ヒエラルキーも海外では通用しない。日本のサラリーマンは潰しが効かないと言われるが、会社外で通用しない人材が海外で通用すると考えるのは難しい。弁護士や会計士のような文系専門職も、基本は英語ネイティブに対抗するのは難しく、日本関係の案件に限られるだろう。商社マンも見方にもよるが、基本はドメスティックである。これらのJTCの英語人材は東大卒というよりも早慶の帰国子女の方が優位性があるのではないか。

 立地の関係もあって、医学部よりも東大の方がグローバル化には対応しているように見えるが、実際は逆である。doctorはどこの国に行っても通じるが、「〇〇会社に平成8年度に入社した参事役で、東大法学部を出ていて・・・」と言われてもしっくり来ないだろう。

なぜこうなったのか

 東大卒と医学部卒は卒業後の自由度の高さが大きく異なる。東大を出ても希望の進路に行ける人間は多くなく、しかも就職してしまえば普通のサラリーマンなので、進路選択の自由はほぼゼロとなる。一方、医学部卒の場合は医師免許という万能カードがあるため、働き方を選択しやすいし、引退時期も決められる。空白期間などがあってもノープロブレムだ。

 単純化するならば、医学部卒が自分のやりたい専攻科を選び、やりがい・名誉・労働環境と収入を天秤を掛けているのに対し、東大卒の多くは希望とは異なる就職先に落ち着き、自己決定権は転職くらいしかなく、それもタイミングがシビアである。しかも給与水準は医学部卒よりも下がる。正直、就職後に関しては医学部の圧勝だ。

「社会に出たら学歴は関係ない」というのは通常、学歴差が縮小することを指す。しかし、東大卒と医学部卒の場合は逆転が起こるという奇妙な状態である。なぜこうなったのか。

 東大と医学部を比較する時にしばしば誤解を生むのが大学時代の比較だ。東大は素晴らしい大学だ。先述の通り、教育機関としての学びは医学部よりも東大の方が遥かに長所が多いだろう。だからほとんどの人間は医学部よりも東大を選ぶ。高校生の段階では大学の学びやキャンパスライフの方に目が向いてしまうのは仕方がないだろう。

 東大と医学部の逆転現象が本格化するのは卒業後だ。東大卒の問題とは大学それ自体というよりも、JTCや日本社会の問題なのだ。例えば「東大受験は二浪まで」と決めているのは東大ではなく、大企業である。東大はすべての人に開かれているが、大企業はそうではない。そしてその大企業のメインストリームはどちらかと言うと早慶やMARCHである。

 東大卒は卒業するとタダの人になってしまい、医学部に劣後してしまう。この格差は年齢が行くにつれてどんどん大きくなっていき、60代になると医学部卒は「先生」なのに対し、東大卒は体力の無い単純労働者という扱いになってしまう。

 しばしば東大VS医学部論争で理三を持ち出す人がいるのだが、これは議論を無駄に複雑化させるだけである。入試難易度と卒業後の乖離が一番激しいのは理三かもしれない。こうなると理三は医学部よりもむしろ東大寄りだろう。

まとめ

 今回は実は東大卒よりも医学部卒の方が将来の選択肢が広いのではないか?という論点について考察した。多くの人間がここに気が付かない理由は、大学入学直後の入口の段階では東大の方が選択肢が広いように思えるからだ。実際、学びという観点では東大の方が圧倒的に選択肢は多いだろう。

 しかし、就職という観点では異なる。医学部卒が医師免許取得と共に価値が爆上がりするのに対し、東大卒の多くは早慶やMARCHとそう変わらない進路になる。こうなると、両者の立場は逆転することになる。東大卒不幸論の根源はここにある。一見気が付きにくいが、東大卒の多くは卒業と同時にに社会的地位が下落しているのである。だからぼんやりとした挫折感を抱えた人間が散見されるのではないかと思われる。

 東大卒はある方面において、確実に卓越した能力を持っている。しかし、その能力を活かす場所が社会には十分に存在しない。したがって東大卒の多くは早慶やMARCHと似たような社会的地位となる。唯一の例外は受験産業で、ここでは東大卒の能力と肩書は絶対的な威力を発揮する。だから進路に困った東大卒は塾講師になるのである。

  大変皮肉なことだが、林修氏は東大卒のキャリアの弱みを体現した存在でありながら、最も東大の強みを活用した人物でもある。本当に数奇な人生だ。

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