<地政学>リッチな立地のスイスに学ぶ、武装中立を守る条件
今回はリクエストのあったスイスに関する記事を書こうと思う。スイスは世界でもかなり豊かな国であり、一人当たりのGDPはアメリカを超える。文化水準も極めて高い。
また、スイスは永世中立国として知られ、いかなる同盟にも加盟しないことで知られる。スイスの地政学的環境はアフガニスタンに近いにもかかわらず、スイスは繁栄を謳歌しており、アフガニスタンは貧困と孤立の中にいる。この違いはどこにあったのだろうか。今回はスイスが「勝ち組」となるに至った地政学について議論してみたいと思う。
ユーラシアの山岳国家群
アルプス・ヒマラヤ造山帯という言葉を地理の授業で習った人が多いと思う。ヨーロッパから東南アジアに至る、ユーラシア大陸を横断する山脈の連なりのことだ。この山脈に沿ってユーラシア大陸には数々の山岳民族が居住してきた。山岳は防衛に適しており、山岳民族の多くは恐ろしいくらいに攻めるのが難しい。侵略者に対して何世紀も抵抗し、最終的には追い出すことも多い。それほど地政学的に難攻不落の要塞ということだ。
このアルプス・ヒマラヤ造山帯に沿って民族を見てみよう。
東端のミャンマーには多数の山岳民族が居住し、中央政府に対して常に反乱を起こしている。中央政府は独立以来、一度も山岳民族を完全に支配したことはなく、現在はむしろ敗北が近づいている。
北に向かうと雲南省がある。ここは中国の中では比較的支配を受けたのが遅く、元の時代までは大理国のような独立国家が存在していた。現在も雲南省は多数の少数民族が居住しており、古代の文化を今に残している。ただし、中央政府に対しては従順である。
その西のチベットは一点、非常に独立意識が高い。1949年に人民解放軍の侵攻を受けるまでは独立状態だった。それまでの歴史を見てもチベットはその過酷な環境により、ほとんど外部の干渉を受けなかった。
チベットの南にはヒマラヤ山脈があり、その南麓にはネパールとブータンがある。両国の間には20世紀まで独立国だった、シッキムという小国があった。小国が独立を保っているということも、山岳の抵抗力を良く表しているだろう。
ヒマラヤの西にはアフガニスタンがある。以前の記事でも書いたように、アフガニスタンは最強の山岳ゲリラ国家だ。外部勢力の干渉をいつの時代も撥ねつけてきた。
ちょっと西に飛ぶと、コーカサスである。ここは多くの少数民族が居住し、ユーラシアのへそといっても良い地域だ。コーカサスの少数民族は獰猛で、外部勢力に抵抗を繰り返してきた。最近だとチェチェン人が有名だ。
ヨーロッパに入ってみよう。バルカン半島の好戦性は良く知られているが、その中でも最強と言えるのがモンテネグロである。モンテネグロはオスマン帝国の最盛期であっても帝国に抵抗を続けていた。クリミア戦争の原因も元を辿ればモンテネグロの反乱だった。
アルプス・ヒマラヤ造山帯の西端に存在しているのがスイスである。この国の独立性もまた、今までに挙げた山岳国家と同様であり、地理によって規定されたものと言えるだろう。
スイスの特殊性
これまでに挙げた国家と比べると、スイスには際立った特徴がある。スイスという国は今まで挙げた山岳ゲリラ国家の中では例外的に豊かなのだ。
アフガニスタン・コーカサス・バルカン半島といった地域に良いイメージがある人は少ないと思う。むしろ後進的で暴力的という偏見を持っている人が多いのではないだろうか。これは山岳国家の特徴に由来する。
地政学的な障壁として考えた時に、最も理想的なのは海だ。海は交通を促す側面と交通を遮断する側面がある。海は軍事侵攻する際には強力な障壁となるが、交易をする時はむしろハイウェイとなりうる。海は2面性を持った特殊な地理的条件であり、この特殊性が原因で「海軍」という独立した軍種があるのだろう。
一方、山岳は遥かに単純だ。山岳は障害物である。山岳はありとあらゆる交通を妨害する効果がある。したがって、山岳国家を攻めるのは非常に難しいが、山岳国家が交易に乗り出すのも難しい。イランのような例外もあるが、山岳国家の多くは内陸に封じ込められており、経済的には不利なのだ。内陸国は英語で「landlocked country」であり、陸地によって封じ込められているというニュアンスが出ている。
したがって内陸の山岳地帯の多くはあまり豊かではない。バルカン半島はウクライナを除けばヨーロッパの 最貧地域であり、アフガニスタンはユーラシア大陸で最も貧しい。チベットやミャンマーの内陸部も似たようなものだ。近代においては海に面していることが文明化の第一条件である。山岳ゲリラ国家は外部から征服されることはないが、そのかわりに物質的には貧しい状態に置かれてきた。
ところがスイスは圧倒的に豊かだ。ほとんどの先進国を上回っている。その秘訣は一体何か?それはスイスがヨーロッパの中央に位置しており、ドイツやフランスとの交易が容易であるという事情が大きい。「内陸国の罠」は経済大国との交易が困難という事情が原因なので、裏を返せば経済大国との交易ができてしまえば内陸でも発展可能ということになる。スイスにとってフランスやドイツとの国境は海の代わりの役割を果たしてきた。更に言ってしまうと内陸国に限らず、アメリカの内陸の州やドイツのバイエルン辺りの地理にも同様のことが言える。
これは世界の一人当たりGDPである。内陸国にもかかわらず、比較的発展している国を見ていると、全て経済大国に隣接していることが分かる。例えばスイスやチェコは欧州最大の経済大国のドイツに隣接しており、交易が容易だ。カザフスタンはロシアに、ボツワナは南アフリカ共和国に面している。したがって、これらの内陸国は豊かな隣国と同じくらいの水準まで自国の経済水準を上げることができた。もちろん多くの内陸国は失敗しているし、海岸に面している国でも貧しい国は大量にある。ただ、周辺諸国が全て貧しいのに、内陸国だけが経済水準が高いという状況はありえないということだ。日本は海に面しているので中国に先駆けて近代化を果たしたが、ネパールは直接欧米に接続できないので、インドが近代化をするまで近代化はできないことになる。
もっとも、スイスの一人当たりGDPは隣接するドイツやフランスをも上回っている。その要因はスイスがタックスヘイブンとなっているからである。スイス銀行の話は有名だろう。外国から多額のマネーが流入しているので、その分上振れしている。実は技術のフロンティアに到達している先進工業国の経済水準はほぼ横並びであり、この水準を抜けてGDPが高い国は何らかの理由で外国から資金が流入している小国だ。スイスはタックスヘイブン、ノルウェーは石油、カタールはガス、ルクセンブルクは仏独からの通勤が原因である。
スイスの歴史
スイスは元から独立性が高く、欧州の歴史の中でも自律性を保ってきた。このあたりの振る舞いはコーカサスやチベットにそっくりである。スイスはスイスで地味に生き残っており、外部からの干渉を受けてもびくともしなかったということだ。
スイスはもともとハプスブルク家の影響力が強かったのだが、近世初期の戦争でハプスブルク家を打ち破り、神聖ローマ帝国の内部で事実上の独立を勝ち取った。スイスの傭兵の強さは欧州でも知られており、各地に傭兵として出稼ぎに行く人間が絶えなかった。アルプスの少女ハイジのおじいさんも傭兵だったらしい。スイスの傭兵の強さは同じ山岳国家のネパールの「グルカ兵」とそっくりである。やはり山岳民族は勇猛果敢で、兵士として有能ということだろう。ウクライナ戦争ではチェチェン出身の兵士が活躍しているらしい。
三十年戦争ではスイス出身の兵士は大暴れし、ハプスブルク家と激しい戦闘を行った。カルヴァンがスイス出身だったように、スイスは新教の国であり、三十年戦争では大勝利となった。この辺りでスイス国家の原型が形成されたと言えるだろう。
スイスにとって最大の危機となったのはフランス革命戦争だ。フランス共和国は大軍でスイスを征服した。山岳ゲリラ国家のスイスと言えどもフランスが本気を出すと勝てなかったのだ。スイスの地はヘルヴェティア共和国となり、占領下に置かれてしまった。しかし、ナポレオンの裁定によって自治が認められ、スイスはナポレオン帝国の崩壊後に独立する。これよりスイスは永世中立国となり、戦争に参加することはなくなる。
スイスは1847年に内乱を経て、現在の連邦国家となった。スイスの現体制はこの時に確立されたと考えてよいだろう。スイスは当初から共和制国家であり、この時代としては非常に進んでいた。20世紀に一連の革命が起こるまで、ヨーロッパの共和制国家はフランス・スイス・サンマリノくらいだった。
スイスは二度の世界大戦にも参加しなかった。周囲を全て交戦国に囲まれているにもかかわらず、スイスは平和の孤島として生き延びる事ができた。これは当時のヨーロッパとしては大変幸運なことだった。お陰でスイスは世界大戦の被害を受けず、戦後ヨーロッパで最も豊かな国として反映することができたのだ。
スイスの地政学
スイスは一見地政学的に脆弱に見える。スイスは周囲をドイツ・オーストリア・フランス・イタリアに囲まれており、普通なら大国によって「バトルアリーナ化」されてもおかしく無かっただろう。しかし、ポーランドと違ってスイスには山岳と強力な軍隊があった。お陰でスイスはどの勢力からもスルーされることができた。
小国の生き残り方はいくつかあるのだが、スイスの場合は武装中立という手段を取った。いかなる国とも同盟を組まず、自分の力で独立を担保するというやり方である。これはかなり難易度が高く、条件が全て満たされないと不可能だ。自らを守れるくらい強くないといけないが、他国を脅かすほど強くてはいけない。
スイスにこのような芸当が可能だったのはアルプス山脈のお陰である。スイスは山岳国家であり、その征服には多大なる労力を要する。その割にスイスから得られる資源は少なく、割に合わない。もう一つ、重要なことに、スイスは他国によって基地として使われる危険性が少ない。スイスを通り道としてドイツがフランスに攻め込むといった事態はアルプス山脈の影響で考えにくい。ヨーロッパにおけるスイスは、アジアにおけるチベットと同じく、通過不能の障害物なのだ。
スイスの山岳国家という特徴は武装中立を続ける上でほぼ不可欠な条件かもしれない。武装中立を守るには自らを守るくらいに強くないといけないが、他国を脅かすほど強くてもいけない。これは平地の国家の場合は達成不可能だろう。自国を完全に防備できるくらいに強力な軍隊を整えると、必然的に他国を脅かすことに繋がるからだ。例えばドイツは周辺国と陸続きであるため、防衛力を強化しようとすると、欧州征服が可能になってしまう。それ故、他国から敵視されるというジレンマを持つ。山岳国家は防御が簡単であるため、自主防衛を達成するのにヨーロッパを征服するだけのパワーを保つ必要がない。
また、平原の国家は他国へ続く通り道になることもある。この場合、必然的に地政学的な争奪戦の対象となってしまう。ベルギーもスイスと同様に永世中立国を謳ったのだが、二度の世界大戦でフランスへ進軍するドイツ軍によって蹂躙されてしまった。自らを守るほど強くない場合、周辺国は別の地域大国に取られる前にその国を取ってしまおうとする。この点でもスイスは問題ないだろう。同様に武装中立を貫き通したスウェーデンもまた事実上の島国であり、他国から介入を受けにくい場所にあった。
スイスの地政学的環境は第二次世界大戦後に更に変化している。スイスはNATOに四方を囲まれることになった。スイスは永世中立国なので、ソ連と同盟を組むなどしてNATOを脅かすことはない。同様に、NATOがスイスを脅かすこともない。スイスはオーストリアと同様にNATOの中の「島」であり、自国の防衛に資源を割く必要が全く無くなっている。むしろ、NATO内部のフリーライダーといっても過言ではないだろう。
もう一つ、スイスの特徴として多民族性がある。スイスはドイツ系・フランス系・イタリア系が混在する国であり、言語的な統一がなされていない。それにもかかわらず、スイスは国民国家として結束を保ってきた。これは言語的な統一がなくても国民国家の形成が可能であることの証である。ヨーロッパでは言語ごとに国民国家を形成するというのが一般的な価値観となっているが、スイスはこうした価値観が一般化する前に強固な独立国となっていた。
バラバラになってしまった二重帝国や、定期的に独立話が持ち上がるイギリスやスペインとの違いは何かという話だが、スイスが周辺諸国に比べて明らかに恵まれた立場にあり、大変豊かな国であるという事実と無関係ではないだろう。例えばスイスのフランス語地域が独立してフランスの一部となったら、スイスの国際会議の舞台やタックスヘイブンとしての「うまみ」はなくなってしまう。端的に言えばスイスで無くなったジュネーブは単なるフランスの地方都市に過ぎなくなる。
ユーゴスラビアの記事でも考察をしたが、自国よりも貧しい国に支配されるメリットは基本的に無い。台湾と香港が中国に飲み込まれるのを嫌がるように、スイスの各地方はEUの一部になるよりもスイスとして存在してい方がメリットが大きいのだ。この点でベルギーは周辺国と経済水準があまり変わらないので、北部と南部が分離独立してもこれまでと同様にEUの一部であり続けるだろうし、スイスのような重大なデメリットはない。
以前の記事で経済水準はあまり地政学的要因に左右されないと述べたが、その逆は結構影響する。地政学的影響は国力だけではなく、その国の経済水準にも影響されるところがあり、いくら自国より強大であっても自国より経済水準の低い国には影響されたくないのである。筆者の見解では人種や宗教よりも経済水準の差の方が国家間の差異を論じる上で大事である。
まとめ
スイスはヨーロッパの中央に位置していながら、永世中立国である。スイスの立ち位置を可能にしたのはこの国がアルプス山脈に守られた山岳国であるという地政学的環境だ。しかし、スイスはアフガニスタンやバルカン半島と違い、経済的に豊かなフランスやドイツに面しているため、内陸の山岳国が抱える最大のデメリットを解消することができた。
スイスは武装中立を守っているが、それはこの国が自然の障壁に守られているだけではなく、他国にとっての利用価値も乏しいといった事情も影響している。お陰でスイスは二度の世界大戦に巻き込まれることがなく、繁栄を謳歌することができた。現在はスイスは周囲をNATOに完全に囲まれているため、いかなる侵略を恐れる必要もなく、安全保障にほとんど資源を割く必要がない。武装中立国よりも、むしろフリーライダーである。
現在のスイスの一人当たりGDPは周辺諸国を上回っている。お陰でスイスはEUに入るメリットが全く無い。これはスイスの中立的な立ち位置がもたらした「旨味」でもある。スイスは国際的な機関が置かれることが多いし、タックスヘイブンでもある。政治的なゴタゴタに巻き込まれないという信用力によってスイスは多大なる利益を得ている。スイスが言語的に統一されていないにも関わらず、分離独立運動が全く見られないのはスイスというまとまりが各地域に多大なるメリットをもたらしているからだろう。
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