東大生はなぜ医学部への切符を捨てたのか 

「東大より医学部」、これはしばしば言われることである。今に始まったことではなく、以前からこのように考える人はいた。正直、東大が医学部に勝っている点はあまり存在しない。それにもかかわらず、東大人気は収まらない。それどころか最近は東大理一の人気はうなぎのぼりである。

 それにしても東大生はなぜそんなに勉強ができたのに、医学部に行かなかったのだろう。医学部に入れば勉強は大変かもしれない。それでも、就活で失敗するリスクは低いし、給料は大半のサラリーマンより高いし、首になるリスクは低いし、開業はしやすいし、定年はないし、患者に感謝されることだってある。こうした多大な恩恵を捨ててまで若者が東大に行くのは経済合理性で説明できない謎である。これは以前の「東大卒の人生を考える会」さんの記事でも書かれていたし、筆者も疑問に思うことである。

 今回は筆者の個人的なエピソードを軸に、なぜ東大生は医学部進学というプラチナチケットを捨てて東大に進学したのかという問いを考えてみたいと思う。

やりたいことがあるから

「俺の大学入試は理科一類に出願すると決断したその日に終了した」

 これは筆者が大学時代に理一の後輩から直接聞いた言葉である。彼はものすごく頭が良く、大変な努力家だった。当然成績はとんでもなく優秀だった。日本の上位0.01%に入っていたと思う。京大医学部は常にA判定で、東大理三もたびたびA判定を出していた。当然本番の点数は理三の最低点を大きく超えていた。

 彼は進路に迷ったらしい。慎重な彼は理三に出願する自信はなかったが、京大医学部「程度」であれば100回受けて100回受かると分かっていたようだ。それでも、片田舎の病院で老人を毎日診察する人生と、東京に出て自分の限界まで挑戦する人生、どちらがいいかを考えたらしい。結論は後者だった。仮に東大に行って自分よりはるかな天才にあって、挫折することになっても、それもまた華だ。だから一度しかない人生に挑戦してみたい、それが彼の結論だった。

 彼は最終的に自分の専門を生かした仕事に就き、精一杯活躍をしている。決断は正しかったのだろう。本人は高3の時に東大理一に出願する勇気を出した自分に対して心から満足しているようだ。

医者になりたくないから

「毎日クタクタになって深夜に帰ってくる親父の姿を見て、医者にだけはなりたくないと思った」

 これは筆者が学生時代に知人から聞いた言葉である。彼は地方の医者の息子だった。それにもかかわらず、医学部には進学しなかったのだ。

 実は東大に医者の子供は多い。筆者は医者の息子は偏差値が足りないケースを除いて医者になるものだと思っていたので、意外だった。医者の仕事がハードなのは間違いなく、近くで現実を知っていれば、別の道がないかと考えるのも自然かもしれない。実際、昔に発行されていた東大文一本を読むと、地方出身者には結構な数医者の子供がいることが分かる。彼らは医学部進学を一度は考えたが、やっぱり「医者じゃない」と考えて東大に進んだのだ。

天才だから

「理三?興味ないっす」

 これは科学五輪に出場した同級生から聞いた言葉である。彼は正真正銘の天才だった。本当にけた違いだ。東大理一はおろか東大理三ですら余裕という人物が世の中には存在する。模試は常に一桁だったし、本番も理三の最低点を100点近くオーバーしていたらしい。ただ、彼が進学したのは理科一類だった。医者に全く興味がないため、普通に理学部に進学していった。プライドの高さも一切なく、突き抜けて楽しそうにしていた人だ。

 このように、あまりにも優秀な人物の場合、普通の医者であってもなんだかもったいなく感じられるというケースは存在する。科学五輪出場者を見ていても、理三ですら余裕で受かる成績なのに、理一に進学するという人は多い。このクラスの天才になると、医者ですらもったいないと考えるのだろう。

東大の方がかっこいいから

「地方進学校にいると、早慶よりも旧帝大、医学部よりも東大の方がかっこよく見えるんだよね」

 これまた学生時代に同級生から聞いた言葉である。受験生は何も将来の職業だけで大学を選んでいるわけではない。それよりも、目先のブランドで選ぶという人間もいる。正直、学歴ブランドという観点では医学部よりも東大の方が遥かに上だ。東大王という番組はあっても、医学部王なんて番組は聞いたことがない。東大よりも偏差値的に劣る医学部はもちろん、千葉大や医科歯科の医学部であっても、東大にはブランド面で勝てない。

 やっぱり東大という肩書は垂涎の的だ。医者であってもあこがれる人は多い。だから高校生が東大に行きたがるのは当然なのだ。医学部に行けば良かったと言っている東大卒だって、それは東大卒の肩書を得た上で言っていることだ。何物でもない高校生の時期にその決断ができたかは怪しい。彼らは長年偏差値教育を受けてきているし、東大合格を目前にして撤退することなど考えられない。

 やはり、頭がいいというセルフイメージを持ってしまうと、だいたいの人は東大に行きたくなるのだ。数学や物理が得意な人間にとっては旧帝大の医学部よりも東大理一の方が遥かに魅力的に思えるだろう。東大理一の進路が医学部に劣後したとしても、東大に余裕で合格するような人は万能感を持っているため、意に介さないのだ。

職業選択のイメージが湧かないから

「医者?解剖とか怖いし、汚くね?」

 これまた筆者が学生時代に知人から聞いた言葉である。高校生の段階で将来の職業を決めるのは難しい。特に首都圏はその傾向が強い。筆者の周りで医学部に進んでいたのは医者の子弟ばかりだった。一般家庭で育った場合はわざわざ医学部という選択肢を取る人は多くない。それよりも自分の育った環境の延長として東大への進学を希望するケースの方が圧倒的に多い。

 現代日本は職業選択の自由があるが、実際は結構環境に左右されるものだ。やはりエリサラの子供はエリサラになる傾向が強い。首都圏の場合は医者のステータスがそこまで高くないので、東大に受かる偏差値を持っていれば、何も考えずに東大に行くケースがほとんどだ。筆者の周りを見ていると、むしろ東大にやや届かない層の方が医学部に進学していることが多い。

 やっぱりサラリーマン家庭に育っていると、まったくの畑違いである医者はイメージが湧きにくいのだ。医学部に進学した人間の家庭は医者以外にも歯医者や薬剤師など医療系が多かった。東大を出て再受験した知人もまた医者家系である。

何がやりたいか分からないから

「医者は違うなと思ったけど、弁護士にも興味が湧かないし、理系に行っても研究者はなあ・・・」

 これまた大学時代の知人が言っていた言葉である。進路があやふやな人間にとって、18歳の段階で医学部進学を決めるというのは不可能だ。普通は選択肢の多い東大に進学するだろう。ただ、東大に行っても進路は一つに選択しないといけないから、この手の悩みは尽きない。選択肢の多さはある程度の年齢になると、むしろ悩みの種になることが多いのだ。

受からないから

「あなたはお母さんより頭がいいから、絶対医学部に行くのよ」

 これは友人の医師が幼少期に母親から言われた言葉である。母親は数学が苦手で医学部受験を断念せざるを得ず、東大文系に進学したそうだ。少数ではあるが、医学部に受からずに東大に進学したという人物は存在する。

 彼女はその後、結構苦労したようだ。一昔前の大企業は女性が働く上で障害があまりにも多かった。東大卒の優秀な女性であっても、育児などでキャリアを断念し、ただのパートのおばさんになることが多かったようだ。一方で医学部に行った同級生は復帰してキャリアウーマンをやっている。卒業後の残酷なまでの格差に劣等感を感じ、絶対に子供は医学部に入れようとしたらしい。社会に出てから何らかの壁に直面し、東大進学を後悔する人物は多いのだ。

ドロップアウトしたから

「暗記ばかりで下らない」

 これは医学部を退学して東大に入ってきた知人から聞いた言葉である。例外的かもしれないが、中には医学部をドロップアウトして東大に入学してくる人物がいる。医学部に入ったものの、まったく医学に興味が湧かず、辞めて東大に行ったというものだ。医学部の勉強はハードなので、興味が湧かない場合は苦痛極まりないし、一定数退学してしまう者もいる。

既にレールに乗っているから

「あと1点高ければ医学部に行けたのに・・・」

 これは理科二類からの医学部進学に失敗した友人の同級生が言っていた言葉である。この人は医者になろうと理三を志願したが受験に失敗し、理科二類からの傍系進学を狙っていた。そこそこの成績を取っていたが、あと一歩で足りず、医学部への進学は叶わなかった。彼は別の学部に進学し、医者になっていない。

 それにしても、この進路選択は謎である。医者になりたいのであれば、わざわざ東大医学部に固執するのではなく、理科二類に籍を置いた状態で他の医学部を再受験した方が早いのだが、そうしなかったらしい。人間は所属した環境に影響される生き物なので、一度コースに乗ってしまうと、なかなか外れる勇気がないのだ。それがたとえ成功への確実な近道でもである。

 個人的に医学部狙いでの理科二類への進学はおススメしない。なぜなら医学部への進学はあまりにも難易度が高すぎるし、失敗したら医者になれないからだ。理二に受かる人であれば多くの国立医学部には合格できるだろうし、東大医学部にこだわってチャンスを逃すのが一番もったいない。再受験は日本社会のレールを外れるし、相応のリスクが伴うので、東大というレールに乗ってしまった人間にとっては厭わしいものだ。

燃え尽きているから

「普通の学部ですら卒業できない人間が医学部を卒業できるわけないじゃん」

 これは筆者一学年下の先輩が言っていた言葉である。一学年下の先輩である。そう、留年を繰り返しているのだ。どんな集団にも燃え尽きる人はいる。東大も同様だ。特に地方から出てきた学生にとって、東大でうまくやっていくのは過酷だ。一定の割合で学校に行けなくなり、落ちこぼれてしまう人がいる。

 筆者の周囲にもそうした人間は何人もいた。留年を繰り返し、就活もやる気がなく、この先の人生は真っ暗のように見えた。こうした人物は頭がいいのだから、再受験した方がいいはずだ。しかし、実際に東大で「詰んだ」タイプの場合、医学部再受験を考える人は多くない。大学生活に適応できないのだから、また大学に入りなおそうと考えただけで足がすくむし、そもそも頑張るエネルギーが無くなっていることが多い。

医学部に進学したのは誰なのか

 これらと対比して、実際に18歳の段階で医学部に進学した人間はどういった人なのだろうか。

 圧倒的多数は医者の子供である。彼らは親によって進路が誘導されているし、医者として働くイメージもしやすい。したがって、彼らは東大に合格できる偏差値を持っていても、医科歯科や千葉医に進学していった。

 一般家庭から医学部に進学している人間を見ていると、筆者の周囲ではむしろ東大ラインをわずかに超えていない層が多かった。東大は難しいが、地方の医学部なら届くというゾーンである。東大というブランドに惑わされない分、医学部が進路選択に入りやすいのだろう。

 もちろん純粋に医者になりたいと考えていた人もいる。彼らはかなり誠実な人々だった。競争社会に惑わされず、医者の二世独特のチャラさもなく、真面目でいいやつだった。

 また、現役で東大に落ち、浪人中に進路を冷静に考え直した結果、医学部に進学した知人もいる。彼の進学先は医科歯科だったので、望めば東大にも受かっただろうが、そうしなかった。やはり東大受験はある種のブランド志向の「若気の至り」なのかもしれない。

 筆者の周囲では何人か再受験で医学部に行ったものもいる。彼らの多くはやはり医者の子供である。ラグビーの福岡選手もやはり医者の子供だった。一般家庭の人間にとって、再受験はなおさらイメージが湧きにくく、レールから外れた異形の存在なのだ。また、あまり言いにくいのだが、再受験した知人は軒並み何らかの挫折をしていた。就活に失敗してブラック中小企業で働かされたとか、大学院博士課程で詰んだといった具合だ。

早くレールに乗ったもの勝ちという現実

 医学部になくて東大にあるメリットといえば「可能性」の豊富さだろう。医学部に行ったら医者にしかなれないが、東大に行けば光り輝く色々なキャリアが待っているように思えてしまう。

 しかし、最終的に選択肢を一つに決める以上、選択肢の多さは就職すると意味が無くなってしまう。この段階になると東大は医学部に劣後する。むしろ専攻や勤務地の観点では医学部の方が遥かに選択肢は広がるだろう。18歳の段階で他の可能性を切り捨てるセンスがあったか否かで岐路は分かれている。

 社会で最も強力な参入障壁は何か。学歴だろうか。資格だろうか。いや違う。それは「年齢」である。大学入試に年齢制限はないので、学歴を変えることができないのも突き詰めれば年齢の制約の問題に行きつくだろう。早い段階でレールになるというのは最強の参入障壁であり、気が付いた時にはライバルには手が届かない優位となっている。

 早く可能性をあきらめるほど、その後のリターンは大きい。高学歴の場合、最も勝ち組は18歳で医学部に進学した人々だ。この時点での優位を一生キープできる。次に優位なのは大学時代に勉強して弁護士や会計士の資格を取る人たちだ。就活リスクがあるため医学部には及ばないが、それでも転職や勤務地の自由を勝ちとることができる。その次が大学卒業と同時に新卒でJTCに入って出世ルートを歩む人たちである。

 可能性を切り捨てられない人物ほど将来の期待値は少なくなる。例えば学者や官僚など「チャレンジする人生」を選んだ場合は給料も安定性もJTCに劣後することになる。離職した時は既にルートに乗っている同級生とは挽回不能の差が付いているだろう。外資系は給料が高いかもしれないが、やはり不安定なので、生涯年収でJTCに勝てるかは分からない。

 しばしば35歳までにやりたいこと探しをしろという話があるのだが、筆者はいまだに賛同できていない。コースの確定は早ければ早いほど良く、その分出世の可能性も開ける。人生の勝ち組になるのは早い段階で見切りをつけた人間なのだ。

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