見出し画像

自分の心に対しての罪滅ぼしの気持ちがある。

昔の私は、内向的な自分の特性を汚点のように考えていたと思う。

小さい頃から周りの大人たちが、私と活発で社交的な姉とを比較し続けていたから、

自分は一般的に求められる性分ではないんだな、というのが幼心にもよくわかっていた。

残念なことにそのまま大人になっちゃって、

多分30歳くらいまで、自分の内向的な部分を無くしたいとか克服したいとか思っていたし、

人生経験を積むことで自分の内向性をうまく隠し、周りから求められる人間を演じるのが上手くなっていったと思う。


内向的だけじゃななくHSPでもある私は、その場の空気をメチャメチャ読めてしまう。

人の感情の動きとか、言葉に言い合わらせない空気の波のようなものを感じ取ってしまうので、その場で求められる振る舞いやリアクション、コメントが何となくわかってしまう。

そして「私が何とかそれに応えなきゃ」という義務感がずっとあった。

それが自分に与えられた役割だと言わんばかりの使命感。

7年前にうつになって壊れてしまうまで、何年も何十年もそんなことをしていたんだと思うと、自分の心に対してなんて酷い事をしたんだろうと思う。

ずっと私の心は、私に否定され続けてきたのだから。

スクリーンショット 2020-10-12 22.40.28


うつの一番辛い時期は、

『身体は生きてるのに心はほとんど死んでる』という状態だった。

だから朝目覚めた時に、『え、まだ私生きてるの?!』と絶望感が襲ってくる。

あんな経験は勿論しないほうがいい。

ただあの時期を経たことで、今は自分の心が喜ぶものに注力するようになれた。

今まで散々放置し、否定してきた『私の心』に対して、

せめてもの償いをしたいという思いで、自分の心にいつも問いかけるようになった。

本当は何を感じているのか、どうしたいのか...。


結構簡単なようだけど、

図らずも長年演技を続けてきた人間には、自分の本当の声はなかなかわからない。

それでも、うつのためのカウンセリングを何年も続けてるうちに、

少しずつ心の声を聞くことができるようになった。

他人が求めてるものと自分の心が一致しなくても、昔のように他人に合わせる事はしなくなった。

私の人生の責任は私にしかとれない

だから『私の人生は私のものなのだ』と堂々としていることに躊躇うことも、怖がることもないんだという思いが体で理解できるようになる。

それからの私は、自分の心に負担をかけることや人からは距離を置くようにした。

それを繰り返していくうちに少しずつ心が解放されていくのがわかる。

以前に比べて笑うことが増えたし、日常の中で興味や好奇心も出てきたからだ。

私はまだ寛解していないけれど、以前に比べたら本当に良くなったぁと感じる。

これからもっともっと、心の声を聞いてあげるつもりだ。

体の傷は時間と共に治るけど、心の傷はそう簡単には治らない。

自分の心の声が何と言ってるのかにじっと耳を傾ける事は

『心』に対しての私ができる唯一の罪滅ぼしだと思っている。


   ◆この記事を書いている人について◆








この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?