生徒指導=過去 支援教育=今 人権学習=未来
どの分野で生きていく?
正規採用2年目、教員になってから5年目の校長面談での一幕。
「君は、先生として、どの分野で生きていくつもりでいる?」
この校長は、いろんな校長を見てきた中で、一番信頼できるし、すごいと思った先生である。自分が評価についてや先生として「学ばねば」と思わせてくれた先生である。ちなみにその先生は生徒指導バリバリできて、人権感覚にも優れてる先生である。冒頭の言葉は、その先生から聞かれた言葉である。
「人権学習です」
見てくれも、生徒への対応を見ても、自分は生徒指導の先生って感じである。が、人権学習に関しては結構やって、考えてきたという変な自信があった。その先生は意外そうな顔もしつつ、なんとなく納得したような顔をしていた気もする。
その後の言葉が頭から離れない。
「仕事は自分が何がしたいよりも周りから何をして欲しいかで決まることの方が多いぞ」
意図は、自分がしたいって言える時にやっとかないといけないよってことだと思っています。
その校長は、校長会でも現場の先生のために色々言ってくれたり、教育委員会の訳のわからないことも跳ね返そうとしてくれたりする人だったけど、生徒のことを何より大事にしていた先生で、絶対、校長なんかしたくないし、教育委員会なんか行きたくなかった人だったけど、周りから必要とされたんだろうなと思う人でした。そんな人の言葉だったので、なんか大事なんだろなと感じ、言葉として残っています。
支援担任はいらない
いろんな地域の支援学級のあり方があるので、なんともいえないところもあるのですが、誤解を恐れずにいつも言っていることがあります。それが上の「支援担任はいらない」です。これは、今の支援担任がダメだ。と言っているのではなく、全教職員が支援教育できたら、教科指導の中で支援教育取り入れたら、担任ができたらいらないよね。ってことです。もちろん、その支援担任という肩書きが取れた先生は教科指導で入れば、副担任で入ればいい訳で。T1とT2にすれば、いい訳で。
これを言い出したのは自分が支援担任をしていた時です。要は、任せっきり人って結構いますよね。けどあなたのクラスの生徒でもありますよ。支援が被ってしまったら手厚くていいじゃん。ってこと。
今日も地域の研修で、支援教育ってありました。とてもいい研修でした。誰が支援学級で担任することになっても、教科担当することになっても支援教育の視点は必要なものです。困っている「今」を助けることは先生として、一番必要で、一番大事なことです。
人権学習って難しい?
難しいのは事実。
けど、絶対必要だし、これは生徒の「未来」の話なんだと思う。
自分にはいまだに答えの出ない問題がある。きっと一生答えを考えるし、答えは出ないんだと思っている。けど、考えることは絶対にやめないお話。
高校生2年生の時、親友の一人が、深夜、自分をファミレスに呼び出した。親友になったのは2年生から、言っても1年そこいらの関係である。地元も違う。意を決した顔で自分が実は「ハーフ」であるという話を自分にしてきた。返し刀で
「そんな関係ないよ」「そんなんどうでもいいよ」「お前はお前じゃん」
自分では、なんの疑いもなく、この返答は100%正解だと思っていた。
先生になってからもむしろ、エピソードとして話ていた。そんな時に、
「その友達は意を決して言ったんだよね、アイデンティティのことを」
「その友達は自分に大事なことだから、言ったのに関係ないよと言われて「やっぱりわかってくれないんだ」ってなってないかな?」
と同僚の先生に言われたことがあります。実はその先生も同じ境遇で、同じ経験をしたそうです。
ハッとしました。
その友達のことはもちろん大事だったけど、それより、自分が「差別なんかしない自分かっこいい」みたいになってなかったかなって。そいつどう思ってたんだろうってあんまり考えなかったなぁって・・。
ジェンダーの話も障害の話も病気の話も外国人の話も話題には上がるんだけど、大事なのってその子らが「未来」で、人に出会った時に、純粋にその人ってどんな人?って考えたり、好きになったり、嫌いになったりができるようにする価値観ってみんなで考えるのが、人権学習なのかなって・・。
一人一人のアプローチが深みを作る
生徒指導の先生って怖いイメージ。
確かにそうです。
生徒指導って難しい。
確かにそうです。
限られた先生しかできない。
半分違います。
支援教育が「今」で人権学習が「未来」なら生徒指導は「過去」。
過去の失敗は一緒に反省してあげましょう。「ダメだったね」って共有してあげましょう。
だから、何がダメだったかを整理しないといけないし、ダメだったことを認めさせないといけないし、次どうするって話をしてあげないといけないと思う。けど、「自分がダメだった」って認めたくないですよね。人間だもの。
だから難しいんですが・・・。
大きい声をあげなくても、怖がらせなくても、生徒の心には残るし、逆にそうした方が残ることもあるし、コンコンと聞いた方が効果があることもあるし、いろんなアプローチがあって、育っていくんだと思います。そうじゃなかったら、ゴリゴリの180cmの人しか先生できないし。そんなこと絶対ないから。
結局言いたいこと
生徒指導できるけど、人権学習できないとか。
人権学習できるけど、支援教育できないとか。
支援教育できるけど、生徒指導できないとか。
そんなんじゃないよね。全部、繋がってるし、全部できないといけないんだと思う。
ただ、今の時点でできないとだめってことではなく、結局、学んでいくことが大切だよねって話。
どの分野にも関心のある先生でありたい。
それが、全員に関わるってことなのかって。
「自分の学校の全ての生徒の先生でありたい。」
それが「自分にとって大切なこと」かな。
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