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沖縄生活日記 不幸な出来事に出会ったら、目をそっと閉じて拝む

 今回は、ちょっと命に関する話なので、気分があまり優れないときはお読みにならないことをおすすめします。

 今日、散歩していると道端で猫ちゃんが車に轢かれてしまって、亡くなっているのを目撃しました(画像の猫ちゃんではなく、他の野良猫ちゃんでした。さすがに、亡くなった猫ちゃんは心が痛んで撮れませんので…)。

 その場で私はそっと目を閉じ、手で合掌して、拝みました。


 やすらかに成仏されますように…


 そのことだけを考えていると、徐々にまわりの音が私を現実の世界に戻していきました。

 それから予定を変更して、献花用のお花を買いに行こうとしたら、1台のトラックが私の近くに止まりました。

 トラックからは作業服を着た男性が降りてきて、黒板と黒い布袋を荷台から取り出して、その黒板を猫ちゃんの前に置きました。

 すると、男性は写真を撮り始めました。

 たぶん猫ちゃんのご遺体を引き取りに来られたのでしょう。

 そして、ご遺体を布袋に入れるとトラックの荷台にゆっくりと置かれました。

 男性は、運転席に乗り込むとすぐに走り去っていかれました。

 私は、ご遺体が葬儀場から火葬場に出棺される感覚がこみあげてきて、再び車が去っていった方角を拝みました。

 徐々に車が行き交う音や近くのお店のBGM、建て替えの工事音などが、精神世界にのめりこんでいた私を再び現実世界に呼び戻しました。


 あの猫ちゃんとの別れを糧に、私は生きていかねば。


 そんな気持ちを持って、私は家に帰りました。


 今回の猫ちゃんに限らず、人同士の交通事故や動物が轢かれて亡くなっているのをたまたま見て少し病んでしまったり、食べ物を落としてしまって、生き物の死を無駄にしてしまったなどなど、不幸な出来事は生きている限り、遭遇するのは必然です。

 なので、そのたびに自分が病み過ぎずに、前に進めるように私は「拝む」ことをしています。

 拝むことで、自分とその命への気持ちにいったん区切りを強制的につけることで、病みすぎや考えすぎによる自分の停滞を防ぐことが出来ます。

 私が停滞せずに生きていくことがその命に対する最上の敬意の表現ですからね。

 

 

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