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相模原事件について介護職だった自分が当時思ったこと(中)

 <相模原事件について介護職だった自分が当時思ったこと(上)>

https://note.com/lovingkitchen/n/nd72c3fd36f66

 前回まででは、植松被告と同い年の僕なりに学校生活を通して、異端である者、生産性が無いものを排除することを正当化する理屈を体得した過程を考察し、書いてきました。

社会保障が必要な弱者を支えるための社会保障を維持するために、働いている人の多くも、追い詰められている”弱者”

 今度は、就職してから、思い知ったことを書いていきたいと思います。遠いようですが、実は関係がある話なのです。それは、正社員だろうと、生活が厳しい人が沢山いる状況が現に存在していて、弱者を支える前に自分たちが支えを必要としている、そういう現実が本当にあるのを目の当たりにしてきました。「人の命を軽んじるなんてとんでもない」、「生産性の有無で人の命の重さが語られるなんて許せない」そういう声が正しいとは思っても、

「いや、そんな事言っても、働けない人たちを支えるなんてもう無理ですよ。自分の生活を切り盛りするのでこんなに大変だというのに、弱い人たちのために負担しなきゃいけないなんて、殺す気ですか!?」

という本音を抱えているだろう人たちが沢山いるのではないでしょうか。

 今多くの人が社会福祉を支えるため、働いている人たちがとんでもない働き方をしていることだと思います。僕は大学を卒業してからは、介護ではなく、小売企業で勤めました。僕は就職活動がうまくいかなくて、大学4年の10月にようやく内定が決まってこの会社に入ったのです。しかし、この会社が本社も出向先も酷いブラック体質でした。

decent work(まともな仕事)にありつくのが本当に難しい

 農場配属になってから、夏場は朝5時〜6時に出社し、夜7〜8時まで働きながら、残業代は出ない生活。休みはまとまって2日取ることはできず、月曜日と木曜日で週の内、飛び飛びで取れるみたいな状態でした。そうすると、休みに遠出するという事も難しいのです。おまけに、休みの日も会議や雑用に呼び出されたり、展示会に駆り出されることは当たり前。それでも残業代、休日出勤手当はもらえず、当然代休も無い。手取りが16万から17万円だったのですが、労働時間で考えると、正社員なのに時給700円台になるのです。

事前研修も指導もろくに無いOJT

 仕事の割り振り方も劣悪そのもので、たとえば、農場に外部の人が研修に来た時、研修担当させられるのですが、研修でやる内容とは、ビニールハウスを建てるというものだったりするわけです。しかし、僕はビニールハウスなんて建てた事もないので、やり方を知らない。それなのに、研修担当をやらされ、研修生の指導をさせられるのです。そんな調子なので、うまくいかない事しかありません。

農場では酷い時、朝から深夜まで肉体労働。徹頭徹尾人命軽視。

 でも、僕たちの働き方は、まだマシな方でした。いちご狩り観光農園でお客がそこまで入らなかった時は、作った熟れ熟れのイチゴを出荷しないといけないので、朝の6時から夜の12時ごろまで、パートさんも含めて、イチゴの収穫と出荷をしていたそうです。従業員の中には、夢にまでイチゴが出てきて、イチゴ恐怖症になった人までいました。

 5月の出稲苗の生産も、水の管理のため、日をまたいで働いていた人もいました。そうした先輩達の話を聞かされ、日に日に恐怖が増してくるのです。

 これも恐ろしかった話ですが、台風直前に高さ5mを超える大型のビニールハウスの屋根が剥がれていた事があって、そこを直すために、50代の農場長が、新人を連れてきて、直しをさせたのですが、訓練も安全装備も無いまま、いきなり作業に当たらせたのです。途中までやるのですが、結局、作業が危険極まりなことや、悪天候で人が飛ばされかねない状況になったので、作業ができない判断を現場が下すと、農場長は激怒。

「お前らなあ!農家さんだったら、危なっかしくてもやるんだよ!何危ないからって作業しない判断してんだ!」

「作業のやり方を誰も知らない状況かつ、危険なコンディションではできませんよ。」

「甘ったれたこと言ってんじゃねぇ。いいか、俺たちの代はなあ、自分が白だと思っても上が黒って言ったら黒です!って言ってきたんだよ!お前らは甘ったれなんだ!」

 一事が万事こんな調子だったのです。全ての仕事がインパール作戦やガダルカナルを彷彿とさせるもので、当然農場は万年赤字でした。

自分が嫌な経験をしても、下の人間に自分の嫌だったことをやらせる事が出来るのを楽しみにしている上司

 本社の副社長は、新入社員研修のときに、自分の大学の時の思い出を自慢気に語ったのですが、そのエピソードが会社の体質を物語っていると思いました。

「俺は亜細亜大学でバスケ部をやっていて、寮生活をしていたんだけど、これが厳しくてねえ。先輩の言う事が絶対で、便器を素手で掃除させられたんだ。尿石がついた所なんか、爪でカリカリやったもんだよ。一年の時は辛くて仕方なかったけど、俺は先輩になったら、後輩にやらせる事ができると思って続けたんだ。」

 さらに、彼は自分が前の小売の会社にいた時、入社2ヶ月で店長やらされた思い出を語ったのですが、これも印象的でした。

「入社2ヶ月で、当時配属された店の店長が痴漢で捕まっちゃって。俺が店長になるわけだけど、全然わからないんだよ。仕事が。でも、やっていれば何とかなるもんだよね。必死にやるしかない。結果、覚える。そういうもんだよ。仕事って。」

 副社長がこんな感じだったのですが、社長はこれをもっと強固にした人だったので、彼が考える新規事業というのは、まず大きく作って、お金を投じるものの、細かいことは全然詰めない。結果、失敗する部分が出るものの、そこは現場の対応力が無いからだと信じて疑わず、反省をしない。しかし、表向き大規模にやっているから、成功しているように見えるのです。テレビ東京の企業特集向け番組、『○ンブ○ア宮殿』に出て素晴らしい企業のように描かれていました。日経新聞でも、何度も取り上げていて、先進的企業のように描かれているのです。就活生の時、真面目に見ていたものってこんなに嘘っぱちだったんだと思い知りました。

 僕のいた会社では新興国から技能実習生を受け入れていて、テレビでは国際貢献をしていると語っていましたが、実態はそうでない部分があって、胸が痛くなりました。離れた農場へ技能実習生を連れていく時、キャブ車に彼らを押し込めて移動したなんてこともありました。真冬の中、休憩所が吹きっさらしのテントで、持ってきた弁当もキンキンに冷えるのに、当初は電子レンジすら支給がなかったなんてこともありました。技能実習生といっても、基本的に雑用だし、国に戻ってから役に立つ事をあそこで学べるのか、本当に疑問でした。いかんせん、正社員として入った僕たちですら、ちゃんと学べているのか疑問だというのに。

過酷な労働環境に、壊れていく生活、倒れる同僚。そして、被害者を責める社内

 どれだけ会社の状況を嘆いたところで、仕事は苦しくメンタルに不調が出る。自分の時間を満足に作れない上に、給料は安い。一人暮らしなので、家で家事もすれば時間もなかなか無いけれど、手取りが16万円程度じゃ外食もろくにできないし、弁当を買うのも厳しい。休日に定期的に行かないといけない皮膚科にいったら、気がついたらやっと取れた休みが終わっている。朝5時には出勤しなければならない状況なので、その前に早朝ゴミ出しに行くと、近所の人が抗議をしてくることもあり、ゴミ出しも億劫になって、家が徐々に荒れていく。

 一体何のために生きているのかわからなくなるのです。積もり積もったストレスにより、免疫力は落ち、皮膚に異常が出たり、原因不明の高熱が出るという悪循環でした。栄養ある食事をしようにも、仕事が終わると疲れ切って、帰って玄関で作業着で寝てしまって変な時間の食事になるなんて事もしばしば。

 同僚もそんな調子の働き方に苦しんで、勤務中倒れて、救急車を呼ぶ騒ぎになった事もありました。しかし、救急車を呼んだことについて、農場長は「大ごとにするんじゃない!」と激怒しました。この出来事で僕の中で抑えていた怒りが爆発したのを覚えています。倒れた同僚は、まだ高校を出たばかりの子でしたし、その子の将来のことを考えた時、とても許せる気持ちにはなれなかったし、その子の親御さんの事も考えた時、辛くて仕方ありませんでした。怒りを通り越して、悲しかったのは、社内の少なくない人が、倒れた同僚の弱さを責めていたことです。

「もっと日頃から節制していればよかったのに。」

「体調管理もできないなんて社会人として失格。」

こうした意見が次々と出ました。

中途入社の社員から学ぶ、24時間戦ってきた企業戦士の姿

 ギョッとしたのは、中途で入ってきた社員のコメントでした。

「俺、IT大手から来たけど、この会社の方が給料も仕事量もマシだね。ホワイトに感じる。」

「俺が働いていたホームセンターは、朝6時に出勤。帰りは午前様だったよ。労働待遇が悪くて倒れるとか甘えだよね。仕事は一生懸命やれば楽しいんだよ。倒れるほどストレスがたまるなんて、努力が足りていないとしか思わないね。新入社員の時は、休みの日に他のホームセンターの店員の接客とか見に行くんだよ。俺が普段扱っている商材をどう接客するのか見て、うまいところは真似するし、俺の方が説明できると思ったら、嬉しかったね。そうやって、仕事ってのは、休みの日だろうと勉強するんだよ。」

怖くなりましたよ。本当に。みんなこんな思いで働いているのかと。みんな戦士の顔つきをしていました。

あまりの危機感に労基署に駆け込むと、やっぱり変化はある

 こんな環境では、いつまでも会社は変わらないし、いつか本当に死者が出てしまいかねないと、僕はすぐに労基署に相談に行きました。労基署は対応が良くて、「斡旋」という形で匿名の報告を受けたという事で、何度か調査に来てくれました。ずっと働いている人曰く、労基署の調査が来た後、確かに会社は危機感を持つようになりました。休日を取れないで働いていた人がいたのが、ちゃんと休みを取るようにという動きがありました。

 ずっと在籍していた人の中には、会社は大きく変わったと目を輝かせて言う人がいましたが、僕からすれば、相変わらず酷い状態でした。パートの人も最低時給で過酷な労働を余儀無くされる状態だったもので、僕は危機感を募らせていました。

劣悪な労働環境から抜け出す事を難しくする奨学金問題

 労働組合の立ち上げをしようと数人で連合に相談に行くのですが、仲間の一人がその場に来ず、代わりに本社の人間が乗り込んでくる事態になって、結局頓挫しました。そんな僕に重くのしかかって来るのが奨学金の返済でした。とりあえず働いて毎月奨学金の返済を支払っていれば、15年で返済が完了しますが、15年間この働き方をできる自信はとてもありませんでした。辛いけれど、家族の事を考えると、必死に働くしかない。転職出来るだけのスキルも無く、学び直す事にもお金も時間もかかる事で八方塞がり。

 小泉内閣以降、奨学金の財源が年金になった事から、その徴収は本当に苛烈になったという話を大内裕和さんの『ブラック化する教育』(2015)で読みましたが、本当に小泉・竹中改革に対し、僕はいまだに納得できていません。

『ブラック化する教育』
https://www.amazon.co.jp/ブラック化する教育-大内裕和/dp/4791768639/ref=sr_1_12?dchild=1&qid=1595735605&s=books&sr=1-12

基本的に僕ら若者に、維持費のかかる車なんて買えるものじゃない

 さらに、地方の会社だったので、車の購入、維持が必要でしたが、これがなかなか苦しい。毎年の軽自動車税、民間の車の保険料、車検やスタッドレスタイヤの購入と言った臨時出費だけでなく、日常的な燃料代など、とにかく車の維持費にもお金がかかります。

 結局、1年4ヶ月を新卒で入った農業の会社で過ごしましたが、どんどん貯金が減っていき、切り詰めた生活に、心身のゆとりが無くなっていました。会社がおかしい事は間違いなかったし、変えるため動く事が必要とは思っても、奨学金という借金も背負って、ギリギリの生活を続ける中ではそんな余裕なんて無いです。水攻めされながらの籠城戦をしているといった感じでした。


わずかな休みに転職活動、すがる思いで行った先に待つ『自己責任論』

 わずかな休みの間に転職活動をするものの、リクナビや転職エージェントを活用した転職活動は都内になりがちで、休みの前日、仕事が終われば、軽食を済ませて、シャワーを浴びてから、車に乗って都内に向かう。途中で車中泊なり、ネットカフェで休んで、翌日面接なり、説明会に参加するという生活でした。

 本当に絶望しましたが、そんな僕に社会がかけてくれるのは、「お前が頑張らなかったのがいけない」、「お前がもっとちゃんと就職活動で調べなかったのが悪い」と、僕を責める「自己責任論」のオンパレード。人材企業の転職エージェントなんて、そういうことをマニュアルかの如く言って来ます。

 この時期に味わった苦痛と絶望感は、僕の人生史上においても忘れる事が出来ないものです。転職活動するも、キャリアを変えるという事の難しさが立ちはだかるのです。転職情報を見ても、載っている仕事は、明らかに心を壊すか、下手すれば、身体的に危険の伴うものばかり。


フツーに仕事を続けるには、逆に心を壊して麻痺させたり、ハイになっていないといけないのかもしれない

 今、心を壊していないで働いている人って、どれほど居るんでしょう?一見、普通に会社に行って、普通に仕事をしているという人でも、実は精神的におかしくなっているから働けているという可能性も無くはないと思っています。パワハラ、セクハラが問題になっていますが、ああいう事が起きるのは、ストレスがすごかったり、精神的に病んだ人が多いからだと思います。全てとは言わないけれど、精神的に満たされている人は、ハラスメントなんてする理由が無い傾向があるのではないでしょうか。

人命が軽く扱われる社会で、「人権」はどれだけ訴える力を持つのか?

 今回書いてきた事というのは、介護とは直接的に関係の無い、僕が見てきた「会社で働くということ」です。一見関係ないように見えるかもしれませんが、人命を軽視した働き方が蔓延している傾向があるだろうと言えると思うのです。そういう状況下で誰が「生命」を重んじるでしょう。「生産性」が「生命」より重い社会で、生産性が低い事が何を意味するのか。僕はこんなの絶対間違っていると思うのですが、経済を優先させる考えが労働者の中にすら多いこの状況で、「人権」を叫んでも虚しく響くのです。

<つづく>


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