けい

平成生まれ。農業、小売、介護を経験。

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  • 介護職として思うこと

最近の記事

2021年3月21日 家庭菜園記録

<前回> 露地栽培(大根、エンドウ、そら豆、緑肥)<京水菜> 花壇に蒔いた京水菜が収穫できるようになった。3月15日まで収穫ができ、そこを過ぎると、途端に花が咲き出した。下の写真は1月20日に収穫した京水菜だが、背丈は20cm程度のかなりの小ぶりなものだった。3月に収穫した水菜は何とか30cmに到達する程度だったが、基本的に下の写真同様、白い部分が短く、下の方まで青々とした葉が生い茂った状態だった。無肥料でも、とりあえずは育つが、きちんと間引きをしないと、後から生えてくるホ

    • 2021年3月21日家庭菜園記録 養液栽培

      ​ 久しぶりの更新になります。 養液栽培(小松菜、水菜、リボベジなど) 最後に記録したのが、2020年11月になりますが、12月26日の段階で、次の写真のようになりました。  スポンジ上で発芽させて、だいたい1週間くらいすると、本葉が展開してきました。春菊は少し早めで、小松菜がもうちょっとかかるけれども、そこまで差がない感じでした。本葉が展開してからは養液栽培に移行しましたが、養液は、ハイポネックスキュートを1000倍で使用しております。  春菊のタネの方が新しいのも

      • イボ治療経過 巨大な血豆を切開して9日目(※閲覧注意画像あり)

        最初に申し上げます。今回も患部の画像があります。出血している写真がありますので、ご了承下さい。 【イボ治療で血豆ができた時の記事】 【巨大に腫れ上がった血豆を切開した時の記事】  イボの液体窒素冷凍凝固から9日が経過すると、流石に痛みが軽減されてきました。9日経過してもなお、一部血が出ているが大分治ってきました。1週間経つと、松葉杖を使用しながら歩けるくらいに痛みは改善します。血豆を切開したばかりの時は、入浴するのも億劫になるほど、ひどい苦痛でしたから、治ってきて本当に

        • イボ治療腫れた血豆を切開~介護士だった自分が介助をされてみて~

          前回までの治療【治療内容まとめ】 1、血豆の皮の切除 2、傷口を生理食塩水により洗浄 3、ゲンタマイシンで傷口の殺菌とガーゼによる保護 4、ガーゼをテーピング、包帯により固定 5、整形外科にて松葉杖をレンタル + 使用方法のレクチャー 3日経ってもおさまらない血豆の腫れ。全く歩けない苦痛   金曜にイボ治療のため、液体窒素による冷凍凝固治療を施してから3日が過ぎようとしていた。直径5cm、厚さ2cmほどに膨れ上がった僕の血豆は、一向に良くならなかった(画像は衝撃的

        2021年3月21日 家庭菜園記録

        • 2021年3月21日家庭菜園記録 養液栽培

        • イボ治療経過 巨大な血豆を切開して9日目(※閲覧注意画像あり)

        • イボ治療腫れた血豆を切開~介護士だった自分が介助をされてみて~

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        • 介護職として思うこと
          3本

        記事

          イボ治療は舐めたらいけない!当事者が語る困難(※閲覧注意画像有り)

          【注意:治療による閲覧注意画像有り】  今、僕は足の裏に出来たイボの治療をしています。生死に関わる病気ではないのですが、この治療は、予想を大きく上回る苦痛を伴います。まだまだ理解があるとは思えないため、是非とも、私のこの経験をシェアしたく、この記事を書きました。  ぜひ今、治療にあたっておられる方、ご家族の皆様、多くの方の理解が深まればと切に願っております。 <イボとの出会い>  初めて僕の足の裏にイボが出来たのが、僕が小学生の頃。水泳と剣道をやっていたので、その時に感

          イボ治療は舐めたらいけない!当事者が語る困難(※閲覧注意画像有り)

          2020年11月20日(金) 家庭菜園記録

          2020年11月20日(金)  最高気温:23℃ 最低気温:15℃ 天気:曇り・晴れ(強風あり) 室内最高気温:25℃ 室内最低気温:21.3℃ 室内湿度:46〜50% <花壇とプランター こうして見るとかなり見てくれが・・・> 【現在露地にて栽培中の作物】 1、大根(2020年9月2日播種〜) 2、 韓国唐辛子(2020年5月3日頃定植〜) 3、日本唐辛子『鷹の爪』(2020年5月3日頃定植〜) 4、 そら豆(2020年10月30日播種〜) 5、えんどう豆

          2020年11月20日(金) 家庭菜園記録

          相模原事件について介護職だった自分が当時思ったこと(下)

          <最初> <前回> 今回は、ちょっと感情的に受け付けないだろう部分があると思います。介護士として働いていた時感じた率直な思いも含めて書いているからです。 介護職に就いた理由 上、中と書いてきた事が介護とは関係ない話でしたが、今回で、ようやく介護職の話をします。僕が介護に転職したのは、新卒の会社があまりにブラックだった事、そして奨学金返済をするためでした。介護職というと、給料が安い、休みが少ない、いわゆる「3K」という話をよく聞きますが、実は奨学金の返済をするには良かった

          相模原事件について介護職だった自分が当時思ったこと(下)

          相模原事件について介護職だった自分が当時思ったこと(中)

           <相模原事件について介護職だった自分が当時思ったこと(上)> https://note.com/lovingkitchen/n/nd72c3fd36f66  前回まででは、植松被告と同い年の僕なりに学校生活を通して、異端である者、生産性が無いものを排除することを正当化する理屈を体得した過程を考察し、書いてきました。 社会保障が必要な弱者を支えるための社会保障を維持するために、働いている人の多くも、追い詰められている”弱者” 今度は、就職してから、思い知ったことを書いて

          相模原事件について介護職だった自分が当時思ったこと(中)

          相模原事件について介護職だった自分が当時思ったこと(上)

          相模原事件の報道を見た時、「起こるべくして起きてしまった」と思った 相模原事件からもう4年が経過したことを受けて、もう4年が経過するのかと月日の早さに愕然とすると共に、当時介護職として働いていた自分があの事件の報道を受けて感じたことのショックを改めて書いておきたいと思うに至り、筆をとりました。あの事件について思いを語るのは、正直なところ、とても勇気のいる事です。というのは、あの事件が起きた時、事件について、「信じられない」と涙ながらに語る職場の同僚、上司が居る中、僕は「ああ、

          相模原事件について介護職だった自分が当時思ったこと(上)

          冴えない少年だった僕が大学生でネトウヨになった過去

           「社会の分断」という声を聞くようになって久しいなあと最近思います。ちょっと前に、イスラム国に青少年が夢中になったり、トランプ大統領の誕生だとかで、世界的にもその傾向は見られるようになってから、特にそう言われていると思います。2019年には映画『ジョーカー』が話題を生んでいました。 ヘイトスピーチという形でしか、自分の痛みを社会に訴える術がない人がいる  日本の場合、「ヘイトスピーチ」を叫ぶ、「ネット右翼」という人達の存在が注目されていますが、あの人達はどうして生

          冴えない少年だった僕が大学生でネトウヨになった過去