冴えない少年だった僕が大学生でネトウヨになった過去

 「社会の分断」という声を聞くようになって久しいなあと最近思います。ちょっと前に、イスラム国に青少年が夢中になったり、トランプ大統領の誕生だとかで、世界的にもその傾向は見られるようになってから、特にそう言われていると思います。2019年には映画『ジョーカー』が話題を生んでいました。

 

ヘイトスピーチという形でしか、自分の痛みを社会に訴える術がない人がいる

 

 日本の場合、「ヘイトスピーチ」を叫ぶ、「ネット右翼」という人達の存在が注目されていますが、あの人達はどうして生まれるのか。個別具体的な事情は、様々で捉えきれない事があるかと思います。ヘイトスピーチを叫ぶ事は、誰も幸せにしないし、悪だとするのは確かに正しいと思います。個人的には、ヘイトスピーチは社会の合意として、禁止にした方がいいと思っています。しかし、ヘイトスピーチという形でしか、自らの抱えている怒り、痛みを表出して、社会に訴える術がない人達だっていると思うのです。そうした人の不安、怒りを聞く事をしない限り、本当の改善には向かわないと思っています。

 僕は、ゆとり世代として、生きてきて、一度はネトウヨになった過去があります。僕の体験談は普遍的なものではないかもしれないですが、この社会の一側面だと思って、読んでいただきたいと思っています。

 

今では自民党支持なんて、とんでもないと思うけれど、かつては僕もネトウヨだった

 

 参考になるのかわかりませんが、ネトウヨとなって、自民党を支持してしまった過去を紹介します。僕は、2013年の選挙で自民党に票を入れた事を、今では本当に悔いています。あの当時、僕は自民党を本気で支持していましたし、地元を離れ、九州の大学に通っていたので、『たかじんのそこまで言って委員会』も毎週見ていました。『ニコニコ動画』でチャンネル桜などの動画を躍起になって見たり、『保守速報』を熱心に読む大学生でした。悲しいかな、新聞なんて滅多に読まなかったし、本もちゃんと読まなかったので、良質ではない情報媒体を元に、投票行動をしていたのです。

 

 僕が有権者になったのは、2012年で、その頃はまだ民主党政権でした。当時の記憶として、かなり印象に残っているのが、僕が『そこまで言って委員会』を見ていた時、普天間や尖閣問題、竹島問題の対応を強く批判していた事です。その後、震災があったり、TPPや消費増税の強行などに違和感、疑念を募らせていたのをよく覚えています。あの時、後に首相に返り咲く安倍晋三が強気な発言を番組内でしていて、出演者達も「頼もしい」と絶賛し、僕はそれを疑わないで見ていました。

 

「無能」というレッテル貼りを受け入れ続け、思考する事、疑う事を放棄させられていた自分は、強気な大人の発言に引っ張られた

 

 疑わないというより、疑えなかったというのが正しいと思います。散々、それまで「学がない事」を馬鹿にされてきて、「未熟」で「思考力がない」と言われ続け、自分はそうなんだと受け入れていたので、周りが言っている事を信じるしかできなくなっていたのです。自尊心が傷つき過ぎて、自分の考えどころか、自分自身を肯定するものなど、何もないという考えに支配されきっていたのです。そういう状態だと、強気で「俺を信じろ」というメッセージを発する人を信じてしまうというのを僕は身をもって、経験しました。

 

 学校生活で徹底的に自尊心を叩き潰された心を理解してくれたのは、ネトウヨ傾向のある人だけだった

 

 しかし、僕がそのような状態に陥るまでには、学校生活で経路ができていたと強く思います。僕がネトウヨ的思想に触れたきっかけは、中学の時、社会科の先生だった担任が『ゴーマニズム宣言』を教室に置いていた頃からだと思います。そこから、高校生の頃、僕にとって、もっとも身近な大人に影響され、僕はネトウヨとなって行きました。あの当時、僕の立場に立って話を聞いて、わかってくれた人が、保守速報を絶賛し、韓国に対するヘイトを叫んでいたのです。少なからず、当時はそうした影響を受けていました。紛れもなく、現実に対する不満が溜まりに溜まっていた事が背景にあります。高校を卒業するまで、家庭にも学校にも、精神的に居場所のない生活を送っていました。新卒のブラック企業で働いている日々より、学校生活の方が苦しいと思います。高校生のとき、その痛みをわかってくれたのは、現実に不満を持っている人だけだった事を僕は書いておきたいのです。

 

『 協調性を乱す = みんなと違った事をする = 悪 』 という学校生活の原則がスクールカーストを生んだのではないか

 僕の親世代には、クラスの「スクールカースト」という概念がわからない人がいる事を、とりわけ父を通して知っています。僕は平成の始まりの頃に生まれていますが、小学校の頃から、クラス内の上下関係があるのを感じていました。僕は勉強も運動も手先の器用さもなかったので、いつもクラスのスクールカーストでは下の方にいました。授業についていけなかったり、引っ込み思案なところがあって、共感者を作りにくいと攻撃対象にされやすいのです。学校というのは、「協調性」が随分大事にされる空間です。なぜなら、

 協調しあえる、つまり、ノリが共有しあえる人が多い人が多数を形成して、楽しい空間を作るようになります。しかし、全員が協調しあえるわけではないので、漏れ出る人が必ず出てきます。すると、漏れ出た存在は、「協調性を乱す」として、断罪しやすくなるのです。

 

クラスの運営上、

 

絶対正義 =「協調性」≒「みんなで同じ事をする」

 

ということになるので、

 

「みんなと違う事をする」= 「悪」

 

という図式が成り立ってしまう空気がありました。だから、クラスでいじめ問題が起きて、クラス内で話し合いになった時、

 

「いじめられる子が輪を乱すから、いじめられるんだ。」

「いじめ問題の原因は、いじめられっ子にある」

と言った子がいましたが、まさにこの図式を象徴した発言だったと思うのです。

 

 基本的に、下位に位置付けられると、他のクラスメートと同じノリで話す事も許されないし、上位のクラスメートにちょっかいを出されても、それを「いじり」と認識して笑っていないといけない。そこで正義感を持って戦おうものなら、クラスの社会規範を乱したとして、反発したいじめられっ子が責められるのです。イメージしやすいかわかりませんが、NHK大河ドラマの『龍馬伝』の上士と下士の関係と同じです。同じ武士であっても、下士出身の坂本龍馬や武市半平太は、土佐では人間扱いされないというやつです。あれを見ていた時、自分の実生活とリンクするので、思わず下士で構成された土佐勤王党に共感せざるを得ませんでした。

 

 

「恋愛」という美しい見かけの暴力

 

 中学の時からスクールカーストが生み出すものは、陰湿になったなあと言うのが実感としてあります。「異性関係」、「恋愛」という要素が中学の頃になると出てくるからです。剣道部だった僕は、隣でやっている女子剣道部とは接点があったのですが、女子の視線というのは、カースト下位の男子だった僕には、かなり残酷なものがありました。女子剣道部の子が話しかけて来る事があっても、それは恋の始まりと思ってはいけないのです。

 実は、女子剣道部は、部内のイジメがすごくて、不登校が何人も出る環境でした。僕に話しかけて来る子は、部内のイジメの親玉にけしかけられて、嫌なのに僕に話しかけさせられているのがわかっていました。悲しいかな、スクールカースト下位の僕とカップリングを成立させる事で、その子の名誉を傷つけると言うイジメです。バレンタインの時、女子剣道部の子から送られたチョコレートが僕の下駄箱に入っていて、一緒に入っていた手紙には、匿名の差出人からで、「感想を書いて、部室のロッカーに置いておいて下さい」とありましたが、感想を書いてしまったら、きっとその子が部内でからかわれるのがわかっていたので、僕は感想を出さないでやり過ごしました。中学で、相手の名誉のためにも、学校にいるうちは、僕は恋愛なんて出来ないんだなと痛感した瞬間でした。自分が人を好きになっても、自分の好意が相手の名誉を傷つけるなんて悲しい話ですが、そういう社会のルールでは仕方ありません。受け入れるしかないのです。

 

 これも実際にあった話ですが、ラブレターが届いていて、「告白したいからこの日のこの時間にここに来てください。」と書いてあって、しかも差出人が気になる女の子のイニシャルだったので、期待して行ってみると、誰もいない。いくら待っても来ない。実はその手紙を出したのは、いじめっ子の女子達で、待ちぼうけを食っている様子を離れたところから笑って楽しんでいたのです。こういう人の感情を弄んで、傷つけることも娯楽として消費される空間にずっといる事を余儀なくされるのが学校なのです。加害者に抗議したくとも、抗議する術もない。そんな加害者達と仲良く過ごしたいと一体誰が思うでしょうか。

 

イベントや強制参加が多すぎる学校生活 〜 一部の生徒の心を犠牲にして成り立つ協調的空間 〜

 

 しかし、学校のカリキュラム上、イベントが本当に多いし、一緒に協調性を持って、自分を押し殺して取り組まないといけない時間が本当に多いのです。僕は、個人的には、文化祭、体育祭、部活動、修学旅行なんていらないくらいに思っています。極論だと思う気持ちはありますが、そのくらい嫌な思い出を作るものになってしまっているという事は申し上げておいた方が良いと思います。どこかで妥協点だったり、本来の目的なども鑑みながら、変更していく必要があると思います。今は、コロナの状況ですから、イベントを楽しみにしていた人は残念かもしれませんが、当時の僕がコロナでイベント自粛を経験していたとしたら、大喜びだった事は間違いありません。

 学校は、問題を顕在化させることを恐れる傾向があって、何とかみんないい仲間としてうまくやっているという空気を演出させる必要があるのです。学年主任が毎月僕たち生徒を通して、保護者向けに発行する「学校だより」が、僕は嫌いで嫌いで仕方ありませんでした。学年主任としては、学校は、学校が用意しているイベントを通して、生徒の心を育み、生徒が良い学校生活を送っていると保護者に広報する必要があります。だから、美辞麗句ばかりなのです。生徒が文化祭とかの後に感想を書いて、寄稿するのもありますが、基本的には学年主任の手によって改ざんされ、素晴らしい体験だったと感動した内容に書き換えられるのです。僕が寄稿した経験があるので身を以って知っています。

 しかし、僕は、先生方を責めたくはないです。先生方は、自分の職務を一生懸命にやっていた事を知っているからです。辛いこともあったけれど、先生方には感謝しています。だから、教師のブラックな労働状況は、当時だけでなく、今も本当に心配しています。教師の皆さんも含め、みんな学校に押し込められていました。

 生徒として思う事は、あんな最低なスクールカーストから抜け出すには、それこそ、学校から出る必要があります。将来に不安を持った時は、親や先生以外の大人と会って、話を聞いてもらう必要があるのです。もう多分、それしか方法が無いでしょう。しかし、当時は、部活動への参加が絶対だったり、文化祭、体育祭、修学旅行といった学校、クラスに雁字搦めの仕組みがあるのです。どうしても相性が悪かったり、共感できない相手がいる事を許さない教育システムでは、退出の選択肢が与えられない。

 子供が不登校になったり、自殺している状況があると聞きます。クラスにいるだけで死にたくなるような気持ちになる事は本当にあると思います。子供が不登校になるというのは、その子が弱いからとか、親御さんの育て方が悪いからという事じゃなく、そのクラスにいる事がそれだけ辛いという事の証左なのだと思います。2018年4月に神木隆之介さん主演の『やけに弁の立つ弁護士が学校でほえる』というNHKのドラマで、今の中学校の様子が描かれましたが、基本的に僕の学校生活とあまり変わらない様子で、大変だと思いました。

 

 

やりたくもない部活動 〜高校の年間授業時間以上の時間を費やす部活動〜

 

 僕は辛くても毎日学校に通って、やりたくもない部活も中学高校とやり切りましたが、逃げられなかった自分が許せず、心の傷を負いました。両親は僕が長男だった事もあり、途中で投げ出す事なんてとんでもないと、僕の気持ちに寄り添える状態ではなかったのもわかっています。その事を責めるつもりはありません。両親も必死だったのです。当時高校生だった息子の僕のために、高校生でしかできない事をやってほしいと強く思っていたようで、部活動は絶対参加の方針でした。しかも、一度始めたなら、何があっても辞めるなというスタンス。

 僕もそれなら、良い加減な部活に入ればよかったものの、厳しい環境で自分を追い込んで鍛えないといけないと言う周囲に影響され、厳しい合唱部に入ったのです。この部活は年間800時間は合唱に費やす部活でして、年間で必要な授業時間数が730時間だと言う事を鑑みると、授業時間以上の時間を費やしていました。やはり時間をかけているだけあって、実績ある部活でした。

 

「優しさ」、「団結」、「好きな事だから頑張れる」美しい言葉がことごとく辛い

 

 音楽だけでなく、芸術は、好きな人は本当に好きで、表現をすることが生きがいになって、側から見ているとストイック極まりなくなる要素があります。合唱部顧問を始め、部に集まる人は、音楽大好き集団だったものですから、当然僕はついていけない。しかし、音楽大好きという人からしたら、何で音楽を好きにならないのかわからないわけです。

「ついてこれないのは、練習しないからでしょ?」

「好きだったら、もっと練習するよね?」

「好きじゃないから、練習しない?何を言っているの。甘えないで。練習しないから好きにならないの。」

どんな反論もやり込める音楽への情熱、愛を持っている人たちが本気の文化部には集まっています。しかも、合唱部というのは、ソロではなく、みんなで力を合わせて作っていくから、また協調性が求められるのです。本当に馬鹿だなと自分でも思うのですが、協調性の求められる集団で苦しむんだから、協調性の求められないところに行けば良いものをそういうところに行ってしまったんですよね。

 しかし、合唱部の部内というのは、途中で辞めると言いだす人が出た時、あっさり辞めさせてはくれません。戦力が落ちるのもあるのですが、それ以上に自分たちの集団が脱落者を生み出す集団になっているということが倫理的に許せない人が多いのです。

「みんな仲間じゃん!辞めたいって思うほどに追い詰められている人がいたら、助け合って、支え合う!それが仲間じゃないの!?」

という事を涙ながらに訴える人が実に多いのです。根本的に優しい人が多くて、仲間を大事にしたい思いの強い人が多いから、善意を思い切りぶつけてくる。表現方法を学んでいる分、表現が強いし、表現する過程で世界観に酔いやすいところもあるのか、正義の力をまとって迫ってくる。でも、そうした善意を受けていると、和を乱して、退出する、つまり辞めたいとか、そんなに練習したくないとか言いだす自分は、どうしても悪者になってしまう。

 また、不運なことに、僕は運動も勉強も不得手だった一方で、音楽大好きで部の中心人物になる人は、みんな成績が良かったんですよ。僕の二つ上の代は、部の中心人物たちが学年トップと二位の成績を取っていたし、有名国立大学に進学する人もいました。一つ上の代の人も学内の成績上位の人が多かったのです。一方、僕と来たら、部内でもうまくやれない上に、学内成績も良いほうじゃなく、肯定できることが何も無いわけです。常に輪を乱しながら、目立った結果を出す事も出来ない。そこにいる事が辛くて仕方がないのに、音楽も好きになるどころか、嫌いになるばかりで、でも辞める選択肢を選択できないままやりきってしまいました。

 

辛すぎる現実に諦めがさし、転生願望が芽生える

 

 高校時代、大きく傷ついた僕の心に寄り添ってくれたのが、多重人格者の作品でした。高校生の頃、僕は『24人のビリー・ミリガン』という多重人格の人の実話をまとめた本に夢中になりました。『隣人13号』という映画も当時ハマって何度も観ていました。とにかく暗い作品が当時の僕の心を癒してくれたのです。

  
 

https://www.amazon.co.jp/24人のビリー・ミリガン%E3%80%94新版%E3%80%95上-ハヤカワ・ノンフィクション文庫-ダニエル・キイス/dp/415050430X


https://www.amazon.co.jp/24人のビリー・ミリガン%E3%80%94新版%E3%80%95-下-ハヤカワ・ノンフィクション文庫-ダニエル・キイス/dp/4150504318/ref=pd_bxgy_img_2/356-8540484-6233653?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4150504318&pd_rd_r=7b624269-2fc1-403f-9d95-4ed0b1f0df39&pd_rd_w=O0znn&pd_rd_wg=NLrxK&pf_rd_p=e64b0a81-ca1b-4802-bd2c-a4b65bccc76e&pf_rd_r=PAMJSJ3XSWQ4ARWZGMY7&psc=1&refRID=PAMJSJ3XSWQ4ARWZGMY7
 

 改めて、あの頃の自分の精神状態が不安定だったと思いますが、あの本は当時読んだ時、どこか憧れてしまいました。ビリー氏は義父から受けた凄惨な虐待によって、多重人格になってしまった人です。彼にとっては、あまりの苦痛に耐えきれないが故に、多重人格になってしまった経緯なので、本来憧れてはいけないのですが、自分の肉体で別の人が生きている状態に救いを感じてしまったのです。ビリー氏は、人格が変わると、知能、身体能力そのものも大きく変わるのですが、僕もそうなりたいと思ったのです。学校では、何をやってもうまくいかない事から、不安が増大していました。

「きっとこの先何をやってもダメな負け犬人生が待っているんだ。将来なんて見たくない。今がこんなに辛くて、小学校、中学校、高校と人生がどんどんハードになっていく。この先もっとハードになると思うと耐えられない。もう死んでしまいたい。死ぬの怖いけれど、誰かが僕の人生を生きてくれれば、僕は救われるかもしれない。」

真面目にそういう事を考えていて、毎朝起きた時、昨日との連続性を確認しては落ち込むなんて事をやっていました。

 

 高校生の時、大好きだった『隣人13号』についても話したいのですが、この作品は、幼少期に顔に硫酸をかけられるほどのひどいイジメを受けた主人公が多重人格になった挙句、復讐をしにいくという話です。主人公の十三は、かつてのイジメっ子の職場で働き、イジメっ子の住むアパートの一室に住んで近づき、もう一人の人格である13号によって復讐が実行されるという話です。

 当然賛否両論ある作品ばかりですし、気分のいい作品ではないことは間違いないです。しかし、腹に抱えた怒りを現実的に爆発させるわけにはいかないから、そういう作品を読むことで、自分の怒りをバーチャルにぶちまけ、カタルシスをそこから得る作用があったんですね。当時の僕は、間違いなく、現実世界に対し、攻撃性を持っていたし、自分を取り巻く社会に復讐したい感情を内に持っていた部分がありました。しかし、倫理的にも社会的にもそれがいけない事、得にならないことはよくわかっているので、こういう作品で自分の思いを客観視することでカタルシスを得て、かつ自分の感情のままに行動してはならないと抑制する作用を働かせていたのです。

 

https://www.amazon.co.jp/隣人13号-DVD-中村獅童/dp/B000ATJZ0M

 経済成長を遂げ、物質的には満たされているはずなのに、何でかわからないが辛い。

 現実が辛い。

 どうにも希望が持てないから、転生したい。

 

 そういう感情を抱えている人は、今も多いのではないかと思っています。僕は詳しくは知らないのですが、『転生したらスライムだった件』が『小説家になろう』で投稿されてから多くの人の支持を集め、アニメ化されている現象に、そうした傾向を感じずにはいられません。ただ、この作品の主人公が「かわいらしいスライム」である事、争いが嫌いで、「種族関係なく平和に暮らしたい」という願いを持っているところに、現代の人の「優しさ」が表れているように思いました。自分自身を変えるだけではなく、世界そのものを「優しい世界」にしたいという願望が表れているのかなと。

 優しい価値観が広がっていることは、良いことに思う一方で、それだけ現実社会が疲れるし、辛いという絶望感の表れに思える部分が個人的には感じます。

 

<『転生したらスライムだった件』 原作小説>

https://ncode.syosetu.com/n6316bn/

<アニメ公式サイト> 
www.ten-sura.com

 

学校は社会に出るまでの訓練機関だというけれど、多分、社会に出てからの方がラク

 時々、僕はあまりに学校生活が嫌で仕方がなくて、中学の頃から、夕食の時などに「死にたい」などネガティブな事をいう事が多くなりました。高校の時は、特に深刻な状況でした。本当は死にたいのではなく、生きたいのです。助けて欲しい。自分の味方になってくれる存在が必要だったのです。

 僕としては、学校に行きたくないのだけれど、行かないという選択肢を選択したら、この先の人生どうなるんだろうという不安は、両親だけでなく、僕自身強くありました。結果、前に進まないといけないけど、前に進みたくない。にっちもさっちも行かない、なら死にたいとなるのです。

 両親にとっては、長男の僕は初めての育児で、失敗が怖い部分もあります。子供の自立を願って、辛くても学校生活を続けさせないといけない、甘ったれた事言ってちゃ世間でやっていけないという価値観が両親の育児方針にあったと思います。なぜなら、学校というのは、社会に出るまでの訓練機関だという大義名分があるからです。もし、学校で耐えられないようなら、社会ではやっていけないという思いが、僕たち親子を雁字搦めにしました。

 

子供の抱えた悩みを親が理解するのは、相当に困難

 

 それに、僕は、基本的に普段真面目に学校行ってて、異変がわかりやすい形で出ているわけではないから、いきなり「死にたい」と口走る僕の姿には、両親も戸惑っていたと思います。

 
 今では、円満な家庭ですが、当時は、家族で夕食時、一緒にテレビを見ているのも苦痛で、父親はテレビに出て来る僕と同世代のすごい子が出て来ると、発破をかけるつもりなのか、「お前もああいう風なの目指してみろ」とか、テレビのクイズ番組を見ていて、僕が答えられないと、「何でお前はあの問題が解けないんだ。勉強が足りない!」などと言うので、父と食べる夕食が本当に苦痛で仕方なかったのです。

 さらに嫌だったのは、もう多分父は覚えていないと思いますが、僕が高校生の時、夕食時、あまりに僕に彼女ができたなどの浮いた話が無いので、「お前、ホモじゃないよな?」と聞いてきたことでした。当時は今ほどLGBTに対する関心もなかったのです。

 同性愛を疑われたことが嫌だったというより、父親が「高校生になったら、彼女ができるはずなのに、息子には彼女ができていない。きっと息子は同性愛に違いない。」と考えていた事が苦しかったのです。

 息子の僕からしたら、スクールカースト下位層にいて、恋愛の話をすることも、告白をすることで、僕は当時、自分が好意を打ち明けることで、相手の名誉を汚すのではないかと恐れるくらいの感覚を当時持っていました。相手のことを大切に思おうとするほど、その感情を秘さねばならない。そういう心理状況が父親には理解できないのもよくわかりました。

 学校でのことを、親に言えないのかというコメントも耳にしますが、親世代と生きている時代が違う分、伝え方が難しいのです。想像の範囲を超えたことは、理解が難しいものですし、子供としては説明したくても整理がついていないことが多いのではないでしょうか。

 

やっと自分の痛みを理解してくれる大人に出会い、ネット情報と出会う

 中学、高校と、僕は学校ではカースト下位であることに耐え、家庭では父親と過ごす苦痛に耐え、居場所がなかったわけです。そんな時に僕の心の痛みに気づいて、話を聴いてくれた人がやっと現れたのです。詳しくは言えないのですが、両親でも先生でもない、外にいた大人でした。彼は僕の様子を側から見て、「君はグレたりする事なく、耐え切った。誇って良いんだ。」と言ってくれました。

 それまで、僕の周りの大人は、将来への不安を煽って、「このままじゃいけない、もっと向上心を持て!」と言ってくる人たちばかりだった中で、ただ一人、僕の痛みに耳を傾けて、「自分を誇って良い」と言ってもらえた事は、大きな救いになりました。ただ、痛みをわかってくれる人がいるという事が本当に嬉しかったのです。それから、僕は彼の影響を強く受けることになるのですが、彼は社会現象や、ネットに詳しく、人の志向をキャッチする観察眼が優れていた上に、現実社会で報われない思いを良く知っていました。しかし、それゆえに、『2ちゃんねる』や『保守速報』などのネットで言われている事の影響を強く受けていて、そこで仕入れた情報を僕に与えたのです。

 これまで、ただ学校のことだけで生きていた僕が、急に社会に目を向けるようになったキッカケは、彼が紹介してくれたネット情報でした。学校では、正しい情報源から情報を得る術なんて習わないまま、いきなりショッキングなネット情報に触れました。高校3年までパソコンを、大学1年まで携帯電話を持つ事がなかった僕は、大学になってネットをやるようになり、『ニコニコ動画』などを見るようになりました。そこでは報われない現実を皮肉ったコンテンツが山ほどあって、次々と自分の心を癒していくのです。

 

オフラインで出会った信用できない人達と、オンライン上の顔の見えない同志

 しかし、一方で、なまじ真面目な分、怒りを駆り立てるショッキングなものや、韓国批判を目にした時、異様に闘志のような物が湧いてくるのを感じ、それまで生きる気力が無くなっていたのが、嘘のように生きる気力に満ち溢れるのを感じました。ニコニコ動画や保守速報とか見ていると、バーチャルな世界にいる、現実社会の悲哀を共感し合えた同志たちが韓国に怒っているのです。

 「国が大変だ。国のために戦わなければならない」という気持ちになったのをよく覚えています。あの段階になると、情報の正確性なんて全然気にしていません。ただ、同志が怒っているから一緒に怒るのです。ネット上では、誰が書き込んでいるのかなんてわかりません。しかし、オフラインで出会った顔の知っている人間は、僕を傷つけるだけの信用ならない人達ばかりだった一方で、オンラインの顔の知らない人達は、自分の痛みや現実の悲哀に共感しあえる同志です。彼らが怒っている事実は、まともな議論より信用できてしまうのです。大学を卒業する頃には、すっかりヤバいネトウヨになっていました。

 

 すっかり長い文章になってしまったのですが、これが僕がネトウヨになって、2013年の衆議院選挙で安倍政権の誕生に貢献したまでの一連の積み重ねです。

 今では良い思い出になっていることですが、当時のことを思い返すと、辛かったし、大変でした。後輩達には、同じ思いはして欲しくはないと思っています。僕がもし、当時の自分に言えることがあるとすれば、

「伝えにくい辛さをいっぱい抱えていると思う。でも、それはそれだけ自分が苦しんでいることだし、無理に昇華する必要はない。聞いてもらえないことが多くても、未熟でも『辛い』って言った方が良い」

ということですね。

この記事が参加している募集

部活の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?